アウシュヴィッツを見たいという家族の希望で、車でポーランドに行った。往復2357キロ。国家社会主義崩壊後の「荒野」は想像以上だった。
交通事情を例にとろう。まず道路がひどい。クラクフまでのアウトバーンE40は、工事の完成した一部を除き、洗濯板(ちょっと古い表現だが)状態が延々と続く。対面一車線が多く、社会主義時代のポンコツ車がゆっくり走っているため、凄まじい追越し合戦が展開される。上り坂で見通しが悪いのに、両車線から次々と車がセンターライン付近に出てくる。もちろん追越し禁止区間だ。トラックの排気ガスに耐えながら、坂道が終わるのを待っていると、後ろの車がパッシングで圧迫。その車が私を追い越そうと反対車線に出た瞬間、その背後からライトを上向きにして別の2台がクラクションを鳴らしながら猛スピードで突っ込んできた。後ろの車はあわててもとの車線に戻った。反対車線でも同じことが行われていて、上向きのライトが私の正面にいくつも見える。こちらの車線を「占拠」している時間は、こちらが何度も路肩に入るほどだ。やっとのことで見通しのいい直線に入ったので、トラックを追い越した。とその時、青色灯を点滅させたパトカーが急接近してきて、停まれの合図。追越し禁止違反だという。愕然。パスポートを見せろとも言わず、その場で100ズローチ(約3200円)を要求された。他の車の方が危険だったと抗議すると、「警察まで来るか」ときた。対面一車線のアウトバーン上でのこと。追突の危険もあったので、仕方なく渡す。警官は一転笑顔になり、「ダンケ」と言って、金を手帳にはさんだ。そこにはすでに何枚かの札が。パトカーはアウトバーン上でクルッと反転。次の「獲物」を求め、猛スピードで走り去った。 程度の差こそあれ、旧社会主義圏では同様の傾向が見られるが、帝政ドイツと帝政ロシアの時代からいじめられてきたポーランドだけに、よけい痛々しい。国家社会主義の傷痕を癒し、極端な拝金主義を克服して、社会が落ち着くまでには、かなり時間が必要だろう。 |