ベルリンで「首相祭」(Kanzlerfest) をのぞいた。9 月11日の開始式は、シュレーダー首相の演説で始まった。このところの州議会選挙での大敗続きなど何処吹く風だ(テューリンゲンでは旧東独党の末裔PDS に次ぐ第3 党に転落!)。ブランデンブルク門周辺は、ベルリンに移転した各省庁のテントが立ち並び、職員が市民へのサービスに務めている。国防省のテントでは、兵士が連邦軍CD-ROMを無料配付していた。ところで、地元紙は先月、一頁全面カラー版で、各国トップの官邸の比較を特集した(Berliner Morgenpost vom15.8)。ホワイトハウスは、人の身長より少し高い程度の黒い柵。フランスとイタリアの首相官邸は道路に面しており、塀はなし。イギリスは、Downing Street10番地と、普通の住宅街の印象だ。ボンの首相官邸は、7 月2 日、1 日だけ市民に公開されたので見学した。緑を巧みに使い、柵もあまり目立たない。ところが、ベルリンに新設された首相官邸は、全周800mにわたり高さ5mのコンクリート製の壁が作られた。シュプレー川沿いにあり、10年前、そこに「ベルリンの壁」があった。同紙は、「ドイツ首相のように壁の向こうに隠れている首相はいない」と、新しい壁を皮肉る。防護壁(Schutzwall) というそうだが、旧東独政権党も「反ファシズム防護壁」(antifaschistischer Schutzwall) と呼んでいたのが想起される。電車で何度か通ったが、壁に沿って大量の照明灯もあり、かつての壁を思い起こさせる。あまりメリットがあるとは思えない。ところで、ブランデンブルク門のすぐ隣にアメリカ大使館ができる。ロシア大使館は近くの一等地にある旧ソ連大使館をそのまま引き継ぎ、英仏の大使館も門のすぐ脇に建設中だ。門を囲むように、戦勝4 カ国の大使館。その隣の広大な空き地に、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)記念碑もできる。まるで「20世紀の歴史展示」みたいな街づくりだ。しかも、アメリカ大使館は安全上の理由から、「壁」ではなく、周囲に30m幅の安全ゾーンを要求。これだと門の横の通りの通行に支障をきたすため、ベルリン市が拒否。結局、22メートル幅に落ちつきそうだ。それでも2車線が失われる。首都の中心部はその国の「顔」。その象徴ともいうべきブランデンブルク門の周囲は、アメリカ大使館のために、かなり無理なつくりになる。少し先にある旧東独人民議会があった「共和国宮殿」(Palast der Republik) 。腐った国家社会主義を象徴するかのように、この建物にはアスベストがたっぷり。そのため、私が滞在した91年以来ずっと放置されている。粉塵一つ外に出さないで取り壊すのに、相当な費用がかかるからだ。斜め向かいの旧社会主義統一党(SED) の厳めしい党本部建物。その最悪イメージから、どこの省庁も再利用を敬遠していた。8 月に、その前にガラス張りの巨大な建物が完成した。連邦外務省だ。これにより、党本部の建物が正面の通りから見えなくなった。多数の部屋は使うが、建物は隠してしまう。うまく考えたものだ。9 月3 ~4 日、私の研究室の大学院生5 人がボンに滞在し、合宿を行った。ドイツは初めてという人もいた。小奇麗なボンで、「ドイツはきれいだ」と感激していたが、夜行で着いたベルリンの巨大さと工事現場のような状況に驚いたようだ。首都移転も本格化した。それが、この国全体の「かたち」にどのような影響を与えていくのだろうか。9 月8 日。連邦議会がベルリンに移って初めての本会議が、帝国議会(Reichstag) の建物で行われた。 |