ベルリンには中央駅(Hauptbahnhof: Hbf)が2 つある。西の動物園駅と、東の中央駅。その間、特急(ICE) でも14分かかる。この夏日本から来た友人は、旅行社が用意したチケットに東駅の到着時間しかなかったため、慌てて動物園駅で下車したそうだ。 11月9日で「ベルリンの壁」崩壊から10年。このところ、テレビや新聞・雑誌では、このテーマの特集が目立つ。ネタ切れの感もあるが、意外な事実の発掘もある。「東欧はアレクサンダー広場から始まる」という地味なレポートが印象に残った(taz
vom 13.9,S.19) 。91年に私はアレクサンダー広場前の高層住宅に住み、統一直後の激動する社会と法状況を「定点観測」したことがあるので興味深く読んだ。レポートは、2つの駅の描写から始まる。東駅6番線にポーランドからの特急列車が停車し、ポーランド人が降りる。ほとんど無人の列車が動物園駅に向かう。一方、ケルンやボン方面からの特急列車が東駅1番線に着くが、降りたのは10人足らず。乗客の平均75%が動物園駅で降りてしまうためだ。ポーランド人にとって、西駅までの15マルクがおしいというより、昔からの知り合いの家に泊まる人が多いからだ。東駅は「ポーランド的ベルリン」とされる。一方、西駅で降りるドイツ人はライン・ルール地方から来た人々だ。東に用事のある人は少ない。観光客の大半もここで降りる。「壁崩壊後10年、ベルリンはなお分割された都市のままだ」。 私自身、東部に何度も出かけたが、91年滞在時と比べるとはるかに落ち着いてきた(もちろん州や都市により程度は異なるが)。偶然泊まったハルツ山系の小さな町のホテルは、驚くほどきれいで、対応も親切で、快適だった。コルビッツ原野で出会った人々も、心やさしい、ポジティヴに生きる人々だった(前回「直言」参照)。いま書斎の窓から、学校帰りの小学生が見える。彼らは「壁」崩壊後に生まれた世代だ。「壁」がなくなって10年。日本の旅行者はもっと東ドイツを訪問したらいいと思う。整備され尽くされていない分、「古きよきドイツ」が残っている。「壁」崩壊については、次回も述べよう。 |