「国中をひっくり返す」。ドイツの有名週刊誌『シュピーゲル』4月10日号に掲載された 、写真入り3頁の石原都知事インタビュー記事の見出しだ。アメリカと中国を切り、憲法改正を叫び、言いたい放題。最後に同誌東京特派員が、「あなたは、大半の日本の政治家たちと違って、国民の多くが考えていることをあけすけに語る。自分の党を作ったり、首相になろうということはないのか」と「美味しい質問」をすると、「あと10歳若かったら」と応じながら、都知事で十分やれると答えている。月曜発売の同誌がドイツのキオスクに並ぶ前日、石原氏は自衛隊記念式典で、「不法入国した三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、震災が起きたら騒擾事件が予想される。警察では限度があり、災害でなく治安の維持も遂行してもらいたい」と発言。ドイツの読者に話題提供のサービスをした。当日13時06分に共同通信がいち早くこの発言を配信(その際、「不法入国した」という部分を省いて石原氏の怒りをかう)。各紙は新聞休刊日のため、10日付夕刊で一斉に報道。「三国人」という表現に批判が集中した。だが、石原発言の重大性は、外国人による「騒擾」と治安出動を結びつけるとともに、毎年9月に行われる防災訓練を「三軍演習」と位置づけ、治安出動訓練と一体化すべきだとした点にある。治安出動とは、「間接侵略その他の緊急事態」が発生し、「一般の警察力をもっては、治安を維持することができないと認められる場合」に、内閣総理大臣が国会の事後的統制のもとに(二〇日以内の承認) 自衛隊を出動させる警察作用の一種である(自衛隊法78条)。治安出動にはもう一つ、都道府県知事の「要請」によるものがある。これは、「治安維持上重大な事態につきやむを得ない必要があると認める場合」で、都道府県知事が当該公安委員会と協議した上で、内閣総理大臣に対して要請する(法81条)。その要請文書には出動を要請する理由のほか、当該出動要請に対する都道府県公安委員会の意見が必須である(自衛隊法施行令104条4項)。「一般の警察力」が機能するのに、自衛隊が出動することは許されない。だから、これまでもかなりの「騒擾事件」が起きても、自衛隊は出動できなかった。1960年6月、安保改定をめぐって、連日国会をデモ隊が取り巻いたとき、川島自民党幹事長や佐藤栄作蔵相らは、赤城防衛庁長官に対して自衛隊の出動を強く求めた。だが、杉田陸上幕僚長は 「自衛隊を安易に出してはならない」という態度を変えず、赤城も辞表を胸に要請を拒否した。鎮圧に自衛隊が出れば、同胞相討つことになる、と。もっとも、杉田が長を務める 陸上幕僚監部では、「関東大震災における軍、官、民の行動とこれが観察」(陸幕第三部 、1960年3月)を作成し、そのなかで、「外人(鮮人及び他の在日外人)及び要注意人物(思想犯その他の犯罪容疑者)を収容、監視するとともに、これが警護にあたっているが 、これらは国際的問題をじゃっ起するおそれもあるので特別の配慮が必要である」と指摘し、旧軍が行った行為から「教訓」を導出している。同じ頃、陸幕は「治安行動(草案)」という鎮圧マニュアルも完成させている。なお、杉田陸幕長は大本営陸軍部の高級参謀 (大佐)。60年当時、幹部には旧軍出身者が多く、「鮮人」という言葉も無批判に使われている。それから40年が過ぎ、近年、自衛隊の部内からも、治安出動を自衛隊の任務から 除くという主張も出ている。そういう立場からすれば、災害派遣(地震防災派遣)を重視して国民のなかに定着しようというのに、石原氏の発想は40年前に引き戻そうとするアナクロニズムということになる。陸自幹部が「犯罪のたびに出動しろと言うのであれ ば、自衛隊本来の目的と違ってくる。暴動鎮圧などは本来、機動隊の役割で自衛隊が代わりに使われるのは困る」と述べたのは、正直な感想だろう(『朝日』10日夕刊三社)。ただ、石原知事は単に口がすべったのではない。近年目立ってきた外国人犯罪への市民の漠然とした不安感を巧みに利用して、「寝た子を起こす」狙いもあろう。都に寄せられた声のうちの75%が石原支持(『アエラ』4月24日号)というのも気になる。そういえば、右翼ポピュリズムのオーストリア自由党の政権参加が問題となっているが、その陰の党首J・ハイダーも州知事だった。