携帯電話症候群(その2) 2000年5月29日

帯電話については一度書いた。告白するが、ドイツに行く前、私は携帯電話を持っていた。だが、帰国してからは持たないことに決めた。理由はいろいろある。電磁波が脳に与える悪影響についての不安もある(アエラ6月5日号特集「携帯電話がこわい」参照)。より大きな理由は、ドイツでゆったりとした時間の流れを体験したことにある。たしかに、携帯電話があれば、移動中の緊急連絡など、便利このうえない。仕事柄手放せない人もいるだろう。だが、さして急がない用事や、少し時間をおいた方がよい問題ですら、携帯電話があるとつい連絡してしまう。人と人とのコミュニケーション=伝達手段が、いつの間にか「連結手段」になっている。ほんの1、2時間でも連絡がないと不安でたまらず、「今どこにいるの」なんて確認し合っている若者たちも多い。まさに「確認オブセッション(強迫観念)」である。ドイツでも「ヘンディ」(日本の携帯電話より大きい)が普及して、電車のなかでも映画館でも、不快なチャクメロが鳴り響く(ベートーヴェンの第九もある!)。ただ、日本より普及率がまだ低いので、不快な思いをする機会はさほど多くはなかった。帰国後、休みなしでストレスの連続のなかにいると、携帯電話の着信音が妙に神経にさわるようになった。帰国直後に山の手線に乗ったとき、混雑時に電源を切ることを求めるアナウンスを聞き、ドイツより進んでいるなと思った。もっとも、ドイツでは日本のような殺人的ラッシュがなく、「人間間隔」は適度に保たれているから、そこまでは要求されないのだろう。

  ところで、最近、「マナーの問題」に解消できない、深刻な体験をした。ある出版社の仕事で人と待ち合わせをしたのだが、約束の時間がとうに過ぎているのに、相手は到着しなかった。しばらくして、その方が電車の中で気分が悪くなって帰宅したことが分かった。満員電車のなかで至近距離で携帯電話を使った輩がいて、心臓ペースメーカーが誤作動したのだ。帰国後の日程のなかで無理をして入れた仕事だったので、キャンセルのダメージは大きかった。携帯電話の現実的弊害を初めて実体験してみて、改めて問題の重大さを感じた。「ペースメーカー使用というワッペンあるいはバッチを付けて電車に乗るべきだ」と言った学生がいた。だが、発想が逆だ。自分の病気や症状を他人もに分かるように表示しなければ、公共交通機関に安心して乗れないというのでは不合理である。着信音や話し声への不快感だけならば、使用の態様を問題にすればいい(バイブレーター、留守録にしておくなど)。しかし、ことがペースメーカー使用者などの生命・身体(健康)に関わる以上、「混雑時に電源を切る」ことを要求することは正当である。問題はその実効性である。改札口に電磁波検知メーターを設置して、電源を切らないで乗車しようとする者をチェックする方法もあるが得策でないし、息苦しい。といって、ことは「マナーの問題」にとどまらず、電磁波による他人の権利の侵害が問われている。携帯電話を電磁波防御ケースに入れて販売することをメーカーに義務づけるというのも手だろう。電磁波防御グッズはおしゃれという感覚で、ギャルたちにも定着させる工夫が求められる。さらにより効果的で、私が密かに期待しているのは、携帯電話の電磁波が脳に与える悪影響が科学的に立証される日が来ることである。郵政省は安全だと宣言しているが、信用できない。煙草の害と同様、いずれ「健康のために使いすぎに注意しましょう」といった表示が義務づけられるかもしれない。
   ついでに言えば、人間関係でも日常生活でも、「間」(ま)が大事である。「間の取り方」を知らず、「間が持てない」人々は、携帯電話で常時連結的な人間関係を築く。自分(および他人の)健康のためと、「人」の「間」を大事にするために、私は携帯電話を捨てた。

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