新聞の週刊誌広告は、朝、新聞を開いたときの一瞬で勝負が決まる。だから各紙とも発売日の広告に凝る。先日、女性誌の広告を見て、男性誌にはない「切り口」に気づいた。年齢である。『女性セブン』8月24・31日号の広告はすごかった。例えば、「田中真紀子さん(56)は『鉄の姑』。長男(29)の嫁(31)を3年絶縁」「憲子さん(52)景子さん(35)の『ごっつあん』癖」等々。一つの広告に年齢の記載が21箇所もある。『女性自身』8 月22・29日号も負けてはない。「雅子さま(36)」の記事から「愛しすぎた女たちの消息――桜田淳子(42)カオリン(28)荻野目慶子(35)石川ひとみ(40)ルビー・モレノ(34)大林雅子さん (53)桐生ユウ子さん(43)伊藤素子さん(52)三浦良枝さん(41)」まで年齢記載は22箇所。芸能人と「芸能人化させられた社会的事件の当事者たち」との扱いの違いは、「さん」がつくかどうかだけ。一度週刊誌ネタにされると、忘れたころに古傷を暴かれる。毎年ネタの切れる「夏枯れ」の季節になると、「あの人はいま」式の安直な企画が並ぶ。その都度、年齢を強調されてプライバシーを暴かれる人々がいる。「女性に年齢を聞くのはマナー違反」の逆をいく徹底した年齢暴きは、「ねえ奥さん、あの人若く見えるけど、もう○○歳なんですって!」という主婦の「内なる関心事」に応えるためとはいえ、何だかさびしい。年齢はその人の「人生のアクセサリー」ではないだろうか。
ところで、私が「不惑」と言われる年齢になったとき、広島で単身赴任生活が4年目に入っていた。とても「40にして惑わず」という心境にはなく、迷ってばかりいた。そこで、『論語』の時代よりも寿命がのびているから、10歳上乗せしようと勝手に解釈することにした。「25にして学に志す。40にして立つ。50にして惑わず。60にして天命を知る。70にして耳順〔した〕がう。80以上にして心の欲する所に従って、矩〔のり〕を踰〔こ〕えず」。40歳は人生の転換期だから「立つ」。これは具合がいいと、当時勝手に思っていた。私も数年後に50歳になるが、40歳の頃とは違って「心のありよう」を保つことができるようになり、「惑わず」さらに「天命を知る」の心境に近づいた。
そうなると、「25にして学に志す」の新しい意味も見えてくる。「25歳はお肌の曲がり角」というのは、某化粧品メーカーの罪なコピーだったが、実は25歳は学問においても大事な転換期だと思う。大学院生だと博士後期課程。サラリーマンだと仕事を覚え、いよいよこれからという時期。家庭の主婦でも、世の中のことが見えてきて、環境や社会の問題について学びたいと思う時期だ。25歳までは、大学浪人を何回しようが、留年しようが、高校中退だろうが、何にも問題ない。この期間は「学に志す」までの「助走期間」と考えよう。大学受験生や現役高校生の予備校で講演したとき、このネタを使った。参加者のなかには、それぞれにコンプレックスをもっている人々がいて、25歳までは「学に志す」という点で皆同じという私の意見に共感してくれた。学校を捨てた若者たちも同じ。大検(大学入学資格検定)予備校や、通信制高校生のためのサポート校、不登校の人のための高校だってある。北星学園余市高校では、札幌学院大時代の同僚職員が教師をやっている。彼女とその仲間の姿を描いた書物やテレビ・ドキュメンタリーを見て、心が熱くなった。
学問の世界に「早すぎる」も「遅すぎる」もない。この意味で言えば、25歳以上の年齢の人も、自分のなかに「学びたい」という気持ちがモヤモヤとわき起こってきたら、その時を逃してはいけない。その瞬間が、その人にとって本物の「学に志す」時である。○○歳にして「学に志す」人々よ。年齢なんか気にしないで、ガンバレ!