ドイツの首都ベルリンに、「ヒロシマ」という名の通りがある。1990年、それまで軍人の名を冠していたこの通りを、ベルリン市民が運動を起こして改名させたものだ。長さ300メートルほどのささやかな道だが、来春には日本大使館が移転し、新住所には「ヒロシマ通り」が使われる予定だ。平和を願う市民の運動が実ってから、ちょうど十年。ベルリンのヒロシマは、新しい日本の顔になる。(外報部・木村文)
市民「平和へ思い深まる」
旧西ベルリンのティアガルテン区にある「ヒロシマ・シュトラーセ(通り)」。道路名を記した表示板を見上げると、小さな文字で「1945年8月6日に初めて原爆が投下された日本の都市」と書いてある。ヒロシマ通りと、ティアガルチテ通りにはさまれた広大な敷地には、戦前から日本大使館があった。東西ドイツ分裂後、大使館がボンに移り、旧大使館の建物はベルリン日独センターの事務所として使われてきた。しかし、統一に伴う首都の移転で日本大使館も元の場所に戻ることになり、現在改修工事が続いている。外務省によると、新しい大使館は11月末には工事を終え、2001年春をめどに移転。大使公邸はティアガルテン通りに面しているが、一般市民が利用する入り口は「ヒロシマ通り」側にあるため、住所にも「ヒロシマ通り」を使う予定という。
通りの成り立ちを研究し、「ベルリンヒロシマ通り」(中国新聞社刊)を書いた早稲田大学の水島朝穂教授によると、この通りは「シュペー伯爵通り」と呼ばれていた。ナチスが戦死した海軍提督をたたえて名付けたという。「通りの名を軍人から、平和の象徴へ」という市民運動は、85年の平和集会から始まった。主催したティアガルテン平和市民グループのハインツ・シュミットさん(78)らが4年がかりで同区に働きかけた結果、89年、区議会は通りの改名を賛成多数で可決。改名式が開かれたのは、90年9月1日のことだった。
「日本大使館が住所にヒロシマ通りを使ってくれるならうれしい」。シュミットさんは、名付け親の一人として歓迎する。「その名を介して、私たちは平和への思いをより深くするだろう」ベルリンでタクシーに乗るたびに運転手にヒロシマ通りのことを尋ねてみるという水島教授は、「10年前は誰も知らなかったのに、昨年1年間ドイツに滞在した時には、全員が知っていた」と、話す。「ただ、ヒロシマ通りが人々に知られるようになるのは、これから。小さくとも、この通りが存在し続けることで、多くの人がその意味の重さを知っていくと思う」今も平和運動に携わるシュミットさんは、夢がある、という。「『ナガサキ通り』を作りたい。できれば旧東ベルリンに」。