中米にコスタリカという国がある。隣国はニカラグア、ホンジュラス、パナマなど。クーデタや武力紛争が絶えない地域である。
だが、コスタリカは1949年11月制定の憲法12条1項で常備軍を廃止した。同3項では、防衛のための軍隊の再組織を認めているが、この条項は半世紀以上、一度も使われていない。1983年に「永世的、積極的、非武装中立に関する大統領宣言」を行い、「武力なき平和」の姿勢をより鮮明に打ち出している。
軍事費がない分、教育予算に全国家予算の22%をあてる(98年度)。識字率97%、平均寿命76.3歳、上水道の普及率96%は、途上国ではトップクラスだ。
昨年9月、日本の法律家が中米コスタリカを訪問したときの話。観光バスのなかで、案内のガイドがこう言った。「この国には二つよいところがあります。一つは美しい自然環境、もう一つは軍隊がないことです」。サングラスをかけた粋な男性ガイドの口からサラッと出た言葉に、団長の池田真規弁護士は衝撃を受けたという。人口わずか350万の小国ながら、国土の24%が国立公園(保護区)。地球上の動植物種の5%(鳥類は10%)が生息する恵まれた自然環境をもつ。それに加えて「軍隊がない」ことを、普通の市民が誇りに思っている。池田氏らは、訪問先で予定にないインタビューを行ってこれを確認した。市民も、小学生たちも、軍隊がないことをポジティヴに語る。これはすごいことだ、と。
その秘密を、フィゲレス元大統領夫人のカレンさんは池田氏らにこう語った。「武器を持つということは、人間が武器に支配され、武器の奴隷となり、武器の犠牲となるのです」「武器は自ら捨てていかなければならない」「軍隊はコスタリカにあってはならないものなのです」。
国家が軍隊を保持しないことは非現実的だと言われるが、コスタリカでは、「軍隊を持たないから平和なのだ」と市民が自然に語るのが特徴的だ。
なぜこうなったか。カレンさんの講演記録から紹介しよう。それによると、1871年の時点で、コスタリカは中米一の軍隊を保持していた。コスタリカは、戦争を回避するには、対話・和解、そして国際的な権利の主張、これが大事だと考えた。だから、子どもの頃から、物理的暴力で解決するのではなく、対話することを教えられる。実践的平和教育が徹底している。周辺諸国はクーデタや戦争が多いが、コスタリカは軍隊を廃止して以降、これらの国々と対等な対話をして平和を維持してきた。米州機構に「軍事協力はできないことを条件」として加盟して、平和外交に徹する。国連や国際機関の活動に積極的に参加する。軍隊がないというカードが、国連の軍縮分野で発言力と説得力を獲得する。
こうした活動の結果として、アリアス元大統領がノーベル平和賞を受賞したのだ。加えて、軍隊がなくてもやっていけるのには、市民社会の強さもある。「軍隊を廃止し、平和教育を徹底し、清潔な選挙制度を確立して民主的制度を改革し、積極的な平和外交を展開すれば、外国から侵略されることはありません。コスタリカは常備軍を廃止したから、侵略を受けない平和国家になりました」。
カレンさんの講演記録を読んで感じたことは、軍隊を持たないからこそ、積極的な平和・仲裁外交に迫力と説得力が増すことだ。
国内的には、選挙管理裁判所という政権から独立した特殊な機関があって、清潔な選挙を実施するから、政治対立が泥沼化せず、民主主義の水準があがる。そして、豊かな教育・福祉政策により市民生活が向上し、市民意識が高まる。
彼女の言葉を借りれば「市民社会の力」を強めることが、平和を確保する力となるわけだ。
確かにコスタリカ憲法12条は、防衛のための軍隊の再組織を留保している点で、日本国憲法9条と比べ、規範レベルでは徹底性を欠いている。だが、普通の市民の平和意識・憲法意識の水準は、日本よりもはるかに高いと言える。
日本では、「もし攻められたらどうする」という旧来型の発想から抜けきれず、利己的市民の「安全感」の確保のため、「必要最小限度の実力」と称する巨大な軍隊を持ってしまっている。その軍隊がいま、「自衛」ではなく、介入型に変質しつつある。それに比べれば、コスタリカ市民の平和認識、憲法意識の鋭敏さは、周辺諸国で銃声が聞こえるなかでのことだけに、よりリアリティをもってくる。
なお、先月、東京・三鷹市主催の講演会で、コスタリカの駐日大使が「非武装永世中立国コスタリカの積極的平和論」と題して語った。「平和憲法があるから平和になるということではなく、平和とは日々新たに作り上げるものだ」という下りでは、聴衆から拍手が起こったという(『朝日新聞』1月21日付多摩版)。コスタリカ政府観光局のホームページのトップに、「世界で唯一の非武装永世中立国」とある。
※池田真規「コスタリカに学ぶ」『平和教育』59号、テープ起こし生原稿を参照。池田氏の資料提供に感謝します。