雑談(10)朝穂という名前  2001年6月25日

々に重大事件が起きている。多くの方から、これも解説してほしい、あれにも触れてほしい、というメールが届く。超多忙に加えて、学内の激職に選ばれてしまった。時間がさらになくなった。今回もまた、かなり前に書いた予定稿をUPする。
 先日の1年法学演習でのこと。学生がテーマに選んだのは「夫婦別姓」問題。討論に入る前に、「結婚したら姓はどうするか」を全員でまず語り合った。ある女子学生は、自分の姓が気に入らないから、喜んで相手の姓になるといい、もう一人の女子学生は、姓も名前も気に入っているから変えないと述べた。何人目かに発言した男子学生は、自分の姓はいつも人に間違って発音されるから気に入らない、だから女性の側の姓に変えてもいい、と言った。まだ1年ということもあり、夫婦別姓問題にリアリティをあまり感じていないようだった。私は言った。なぜ、自分の姓と名前が重要なのか。人格権の一部をなすというのはどういうことか。人は誕生して、家族のなかでファーストネームだけで呼ばれる段階を経て、保育園や幼稚園に入ると、名前が中心、姓も少し使われるという世界になる。「社会化」のはじまりだ。そして小学校に入ると、主に「姓」で自分を識別される。就職してからは、姓を変えたら顧客を失いかねない人もいる。大学教員の場合、学生との関係や著書・論文の著者として、職場で戸籍名を使うのを強いられて、不利益を被った方は少なくない(とくに女性)。こうして、学校社会、地域社会、企業社会などを通じて、人は次第に自分の姓と名前の大切さを実感していくのである。
 授業が終わってから、ふと自分の名前のことを考えてみた。高校くらいまで、クラスで初めて名前を読み上げられるとき、いつも自分のところで流れがとまるという体験をしてきた。姓は単純だが、名前の方が気に入らない時期もあった。最初の授業で先生が出欠をとるとき、私の前の人までは順調に名前を読みあげてきたのに、私のところにくると決まってこうなる。「みずしまぁ、あさ、あさ……。これなんて読むの。あさほぉ? じゃ、みずしまあさほ君!」「はい」。皆の目がいっせいにこちらを向く。クスッという笑いがもれることも。一郎とか和男とか、誰にでもわかる名前がうらやましく感じた。名前について、密かなコンプレックスをもった時期さえある。北海道の大学に初めて就職した18年前、講義のため初めて教室に入ったとき、学生たちが「オーッ」という声をあげた。あとで聞くと、「朝穂先生なので、女性だと思い、それで驚いたのです」という。
 名前を間違えられたこともある。1994年5月の憲法記念日に、全国憲法研究会で講演したときのこと。奥平康弘先生と福島瑞穂さんと私の3人が講演者だったが、ある人が水島瑞穂と言ったので、大笑いした。講演の時、「水島秋穂」と紹介されたことが今までに3回ある。ある自治体では、市民向けチラシやHPの講演案内に「水嶋朝穂」と出していた。たまたま朝穂という名前でネット検索をかけて発見したのだ。その際に気づいたことだが、朝穂はネット上に私以外に二人おられた。一人は精神医学の専門家の方、もう一人は歌人。宝塚の○○組のリストにも、それらしき名前がある。さらに、中央高速の須玉インター近くに、「朝穂堰」(あさほせぎ)がある。山梨県須玉町と明野村一帯の灌漑用水を確保するため、1872年(明治5 年)、穂坂堰と浅尾堰(浅→朝)を合わせて「朝穂堰」に改めたという。偶然だが、朝穂という名前はやはり「水」に関係していた。でも、亡くなった父はこの堰のことを知らなかったようだ。
 では、父はなぜ「朝穂」と名前をつけたのか。母によると、父は私が生まれたとき、厚い辞書類を書斎に持ち込んで、かなりの時間考えていたそうだ。「朝穂」にした理由は3つ。第一に、縦に書いたとき、下にいくにしたがって画数が増えていくと安定感があるから。第二に、実際に未明に生まれ、稲穂のようにスクスク育ってほしいという思いを込めた。第三に、響きの美しさ。父は、「みずしまあさほ」とフラットに読むことを想定していた。ところが、NHKラジオ「新聞を読んで」のアナウンサーの方が、「今日のお話は、早稲田大学教授の水島朝穂さんです」と私を紹介するとき、決まって、「みずしまあさほさん」と、「あ」にアクセントを付ける。人によっては「あ」が強く響き過ぎるときもある。ただ、どう呼ばれようとも、私はこの名前が大変気に入っている。時間をかけて名前を考えてくれた父に、今は感謝している。今日6月25日は、父の13回忌。