号外が出るのは大事件が起きたときである。
『愛媛新聞』がこの4年間に出した30本の号外のうち、「宇和島」が大見出しに使われたのは4回。 うち3回は宇和島東高校の甲子園出場だった。これは愛媛県民の関心事。しかし、4回目の2月10日付号外は本当の大事件だった。「宇和島水産高実習船が沈没:ハワイ沖・米原潜と衝突」の大見出し。同年齢の子どもを持つ者として、家族の悲しみは痛いほどわかる。この悲劇を通じて、またもや、この国の異様な「かたち」が浮き彫りになった。「後ろから来る人に迷惑がかかるから」とゴルフを続けた「いま首相をやっている男」。頼まれもしないのに、米軍側の事情を先回りして「説明」してあげる外務省(別名「米国務省日本出張所」または「馬主の保養所」)の政務官。そして、植民地根性丸出しで、沖縄や日本本土に半世紀以上も居すわり、世界中を我が物顔に闊歩する米軍。
ハワイ沖事件の前後に、その米軍の不祥事が沖縄で相次いだ。
まず2月6日。在沖縄米軍トップの 4軍調整官(第3海兵遠征軍司令官)が、稲嶺沖縄県知事を「ばかで腰抜け」と罵倒するメールを出したことが発覚。基地問題について「腰抜け」と言われても仕方のない知事ではあるが、米軍トップに言われてさすがにキレた。
13日には、中部の北谷町で米兵が居酒屋に放火。県警は米兵の逮捕状をとり、身柄引き渡しを求めたが、米軍はこれを拒否 した。日本側が起訴するまで、身柄は米軍が確保するという仕組みがあるからだ(米軍地位協定17条5項(c))。もっとも、95年の少女暴行事件以来、県民の怒りが高まり、米軍側は起訴前引き渡しに「好意的考慮」を払う努力を約束したのだが、今回米軍は地位協定通りの対応したわけだ(ハワイ沖事件の影響で、起訴前引き渡しに応じる可能性もある)。
一方、県道104号越え実弾演習をやっていた海兵隊砲兵部隊が、日本本土の演習場で演習をやるようになったのだが、その一つ、大分県日出生台演習場で、とんでもないことが起きた。10日、公開演習に参加した自治体関係者が、155ミリ榴弾砲の発射操作を行っていたことが明らかになった。『朝日新聞』大分県版9日付の現地ルポを読むと、周辺住民の不安は深刻だ。米軍はこうした住民への対策の一環として、70名の自治体関係者を演習に招待した。ところが、サービスがこうじて、何と民間人に「拉縄」を引かせ、砲弾を発射させたのだ。民間人に小銃を撃たせて、自衛官が処分されたのは記憶に新しい。小銃と重砲。口径は20倍。処分はもっと重くていいはずだが、その気配すらない。
ハワイ沖事件でも、潜水艦が「緊急浮上」した際、見学のため乗り込んでいた民間人を操舵席に座らせ、操艦に関与させていたという(ホノルルの地元紙参照)。これらの出来事から浮かび上がってくること、それは、冷戦後の軍隊の本質的問題である。特権意識と傲慢さ、それと裏腹の関係にある迎合と過剰サービス。冷戦構造が崩れ、リストラの最前線にある各国軍隊は、特権構造を維持するため、過剰なまでのサービスにつとめている。攻撃型原潜は、ソ連戦略ミサイル原潜なきあと、いまやテーマパークの「観光船」のようなサービスまでして生き残りをはかっているわけだ。宇和島水産高の生徒や職員は、そんな姑息で、危ない遊びの巻き添えになった。何ともやりきれない。敵の縦深を火力制圧する重砲も、21世紀型の地域紛争では無用の長物。リストラの対象である。米国内からも「帰れコール」がかかっている在沖縄海兵隊(第3海兵遠征軍)。無用の長物と砲弾製造メーカーのリストラ回避のため、周辺の自治体関係者に過剰サービスをする。こんな不自然な状態は改めるべきだろう。事故を起こした原潜は、佐世保に寄港する。だが、今後は、こんな観光船まがいの無用の長物は、日本の安全保障にとって何の役に立たないどころか、日本の市民を犠牲にした「前科」を持つとして、寄港拒否も検討すべきだろう。より根本的には、軍事力によって安全が保たれているのだという「共同幻想」から、そろそろ離脱すべきではないか。マスコミも、これらの諸事件の根底にある本質的で構造的な問題をもっと解明すべきだと思う。