『50問・これが核心だ』(別冊『世界』岩波書店、2001年4月所収)

Q.44 地球上では現実に戦争が起きています。国家が武力を放棄するなどナンセンスなのではないですか?
                      解答者:水島朝穂(早稲田大学教授)

◆「軍隊を持たないから平和なのだ」
一つのエピソードを紹介しましょう。
 昨年九月、日本の弁護士たちが中米のコスタリカを訪問したときの話です。黒いサングラスをかけた粋な恰好の観光ガイドが、バスのなかで、おもむろにこう語りはじめました。「この国には二つよいところがあります。一つは美しい自然環境、もう一つは軍隊がないことです」。
 訪問する先々で、ごく普通の市民や子どもたちまでが、「軍隊を持たないから平和なのだ」と当然のように語る姿を見て、団長の池田真規弁護士は大変驚いたそうです。
 コスタリカは、四国と九州を合わせたほどの面積に三五〇万人が住む小さな国です。国土の二四%が国立公園(自然保護区)で、そこに地球上の全動植物種の約五%(鳥類は一〇%)が生息しています。でも、この美しい国土を「守る」ための軍隊がありません。かつては中米一の軍隊を持っていましたが、一九四九年のコスタリカ憲法一二条で常備軍を廃止したのです。さらに一九八三年、「永世的、積極的、非武装中立に関する大統領宣言」を行いました。この国は軍事費がないかわりに、教育に国家予算の二二%を支出しています(一九九八年度)。識字率九七%。これは、途上国ではトップクラスです。 フィゲレス元大統領夫人カレンさんは、池田氏らにこう語りました。「軍隊を廃止し、平和教育を徹底し、清潔な選挙制度を確立して民主的制度を改革し、積極的な平和外交を展開すれば、外国から侵略されることはありません。コスタリカは常備軍を廃止したから、侵略を受けない平和国家になりました」と。コスタリカ政府観光局のホームページのトップには、「世界で唯一の非武装永世中立国」、「二一世紀型の独自の政策を押し進めている非常にユニークな国」と紹介されています(http://www.costarica.co.jp/) 。
 では、コスタリカが軍隊を廃止したのは、軍事的緊張も対立もなかったからでしょうか。違います。「中米紛争」という言葉があるほど、周辺諸国では戦争や内戦、クーデタがたえませんでした。今もそうです。でも、コスタリカはあえて軍隊を廃止して、これらの国々と対等に交渉をして平和を維持してきました。米州機構(OAS)に「軍事協力はできないことを条件」に加盟し、平和外交に徹しました。
 実は一九八三年に非武装中立宣言をした背景には、隣国ニカラグアの内戦の激化がありました。アメリカがニカラグアの反政府組織コントラを支援して、コスタリカ国内に出撃拠点を作ろうとしていました。コスタリカは、この脅威に対して、非武装中立宣言によって応えたわけです。平和実現への確固とした意志と、紛争回避のための見事な外交手腕は、国連や国際機関での活動においても発揮されました。特に国連の軍縮部門では、軍隊を持たないというカードが、コスタリカの発言力を高め、説得力を与えています。これらの功績により、アリエス大統領(当時)にノーベル平和賞が授与されました。

◆「平和のかたち」を構想しているか
 「現実に戦争が起こる以上、軍隊を廃止するのはナンセンスではないか」という問いかけに対しては、コスタリカの例が一つの答えを出してくれているように思います。ただ、「コスタリカは小国だから、日本の問題を考える参考にはならない」という人もいるかもしれません。でも、国の大きさが問題なのではありません。その国が「平和のかたち」をどのように構想しているか。これが問題なのです。
 日本は、ヒロシマ・ナガサキを含む苛烈な戦争の体験を通じて、軍事力の保持やその使用によって平和と安全を確保するという手法を放棄しました。憲法九条は、軍事力によらない「平和のかたち」を、日本国民に対してだけでなく、アジアや世界の人々に向かって積極的に提示したわけです。しかし、憲法施行後わずか三年数カ月で再軍備が始まりました。最初は警察予備隊として、二年後には保安隊として、そして空軍まで揃えた三軍を備えるにあたり、これを「自衛隊」と称しました。自衛隊という実質的な軍隊を保持するにあたり、政府がひねりだした正当化の論理はこうです。憲法九条は自衛権は禁止していない。だから、「戦力」に至らない、「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」ならば合憲である、と。そして、日米安保体制のもと、アメリカの「敵」を日本の「共通の敵」に仕立てあげ、憲法九条に反することを長期にわたって続けてきたわけです。
 冷戦構造が崩壊すると、巨大な軍事力の保持をどう説明するか、どこの国の政府関係者も苦慮するようになりました。ヨーロッパについて言えば、EUが独自の緊急展開部隊(危機介入軍)を保持しようとしています。EUの「死活的利益」を守るための軍事力です。そこでは、「もし、他国に攻められたら」という仮定は、現実にはほとんど意味がなくなりました。むしろ、市場や資源を確保するために、途上国に軍事介入する傾向が顕著になりつつあります。一九九九年の「コソボ戦争」は、冷戦型軍事同盟のNATOをポスト冷戦仕様に変えるためのテスト・パターンだったという分析もあります。自衛隊も、国土防衛のための組織ではなく、日米・EUの共通の利益を確保するための介入部隊へと性格を変えていくでしょう。そういう変化があるにもかかわらず、「現実に戦争が起きているから、軍隊は必要だ」という旧来の思考を続けていていいのでしょうか。逆に、軍事力によらない「平和のかたち」が重要性を帯びているし、そのチャンスは拡大していると思うのです。

◆憲法九条は「平和のテクノロジー」
 では、軍事力によらない「平和のかたち」をどう作り上げていくか。大きく分けて、三つの柱があります。
 その一は、仲裁・交渉・和解の国際的システムの発展です。国連の集団安全保障の仕組みはその一つです。国連加盟国は現在一八九カ国。創設時からの五大国(常任理事国)の仕切りを相対化して、国連改革を進めることも、困難ですが重要な課題です。加えて、地域的集団安全保障の仕組みを発展させること。ヨーロッパの場合は欧州安保協力機構(OSCE)が重要です。ユーゴもNATO空爆終了後わずか五カ月でOSCEに復帰しましたので、加盟国は五五カ国になりました。NATOのような集団的自衛権の機構と異なり、「仮想敵」を作らない、仲裁・交渉・和解のシステムを内在させるすぐれた機構です。アジアにおいても、日米安保体制のような冷戦仕様の軍事同盟を「活用」するのではなく、全アジア安保協力機構(OSCA)のような地域的集団安全保障の枠組みを作り上げる努力が求められているのです。
 第二に、「平和のエンジンブレーキ」です。軍事力によって紛争に「急ブレーキ」をかけるのではなく、紛争当事者の内部に平和的な世論を作り出す。平和の問題を国家単位で考えるのではなく、それぞれの国のなかの市民と連帯して作り上げていく。平和を築く「市民社会」の強化の視点です。もし戦争を起こす芽が生まれれば、その国の内部の平和的世論や運動(「平和を愛する諸国民(peoples) 」(憲法前文)に依拠して摘み取っていく。その意味では、平和のアクター(担い手)として、国境を超えるNGOの活動がますます重要になっています。武力紛争が起きそうな地域(国)に非暴力的に介入する「紛争介入型NGO」の役割も重要です。すでに国際平和旅団(PBI)など、非暴力に徹した地道で貴重な試みも続けられています。こうした芽を育てていく視点が大切でしょう。
 なお、コスタリカの元大統領夫人のカレンさんは、「軍隊がなくてもやっていけるのは、市民社会の強さがあるからです」と語りました。「子どもたちは、小さい時から、争いが起こった時には対話で解決することを教えられている」と、コスタリカの国際法学者のヴァルガス氏は語ります。コスタリカの軍隊廃止の背後には、「市民社会の力を強める」ことで平和を守っていくという「戦略」があったのです。
 第三に、「平和の根幹治療」です。戦争がなくても、差別や貧困、人権侵害などが存在すれば、必ず紛争の火種が生まれます。紛争地域(国)の復興を進め、生活基盤の整備をはかり、教育・福祉の水準をあげる。火種の根元をなくす。それは、「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」(憲法前文)の実現に向けた、積極的平和主義の具体化と言えるでしょう。国連開発計画(UNDP)が一九九四年に出した「人間の安全保障」のコンセプトも、こうした方向を目指すものです。
 さて、このような憲法の前文や第九条から導かれる平和構想をどう具体化していくかが問われているとき、設問のような意見、あるいは「現実と合わない憲法は改正すべきだ」という意見が普通の市民のなかにも増えているように思います。しかし、憲法九条の理念は、日本という国民国家の枠を超える高い精神性を有しています。一九九九年五月、ハーグ平和市民会議で採択された「基本原則」の第一原則には、「各国議会は、日本国憲法第九条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」と書き込まれました。憲法九条が世界のNGOの確認文書に入ったことは重要です。憲法九条は、世界の市民にとっての共通の財産として、二一世紀における「平和のテクノロジー」のソフトとして普及されていくに違いありません。
 もし、日本の市民が、「軍隊があるから平和は守れる」(「軍隊がなければ平和は守れない」)という旧態依然たる思考に加え、国際的な紛争解決のためにも軍隊を使った介入が必要という「付加価値」を加えて、憲法九条の改正に向かうとすれば、それは時代への逆行と言うべきでしょう。
 コスタリカは、「軍隊があれば平和を守れない」という確信のもと、あえて軍隊を廃止しました。そして、「軍隊がなくても平和は守れる」という実証例として、世界の軍縮の流れに対して一つのモデルを示し続けています。コスタリカ市民のように、日本の市民もまた、憲法九条を使いこなす能力を磨くことが求められているように思います。

〔注〕コスタリカの話は、池田真規・糀谷陽子「コスタリカに学ぶ」平和教育59号などを参照。

【参考文献】
I・カント・宇都宮芳明訳『永遠平和のために』岩波文庫
C・ダグラス・ラミス『憲法と戦争』晶文社
水島朝穂『武力なき平和−−日本国憲法の構想力』岩波書店
 同  「自衛隊の平和憲法的解編構想」深瀬忠一他編『恒久世界平和のために−−日本国憲法からの提言』勁草書房所収
                          (二〇〇一年一月二八日稿)