昨年9月、新潟県中頸城郡頸城村で講演した。村主催の「地域学セミナー」。新藤宗幸立教大教授(当時)らとの連続講演である。コーディネーターは、『地域学』などの著書もある芦沢宏生実践女子大教授。1988年にドイツでご一緒して以来の関係から、この依頼をお引き受けした。憲法92条「地方自治の本旨」の21世紀的展開や、永田町と「霞が関村」の騒動ばかりに目を向けないで、地方が「ガンバル」ことの意味を説いた。9.11テロ直後だったこともあり、講演の冒頭部分で、少し長めにテロ問題に触れた。集まった村人は大変熱心に話を聞いてくれた。質問も高レベルだった。大島村長さん(当時)に村内を案内して頂いた。人口1万人。歴史と文化と自然を大切にした村づくり哲学にも共感を覚えた。なお、お昼にご馳走になった「くびき押し鮨」は三段重ねの逸品で、とても美味しかった。あれから1年が過ぎようとしている。
この間、永田町と「霞が関村」の迷走はすさまじい。特に外務省の腐乱した内実が一気に表面化してきた。そうしたなか、8月5日に「住基ネット」が全国的に始動する。このシステムは、1999年に小渕内閣のもとで成立した改正住民基本台帳法に基づくもので、全国民に11ケタの住民票コードをつけ、氏名、生年月日、住所などの情報を全国ネットで結ぶものだ。中央と地方の行政機関がネット上で結ばれ、住民一人ひとりの情報がやりとりされる。住民票などを全国どこでも取れるということで、一見住民にとって便利なようだが、別に余計なお世話という気もする。むしろ、多少の便利さとひきかえに、個人のプライバシー情報が漏れたり悪用されたりする危惧が各方面から指摘されている。そのため、ここへ来て多くの自治体が住基ネット発足の延期を求める決議を行うに至った。こうした「地方造反」の背景には、いろいろな事情がある。少なくとも永田町と「霞が関村」は信用できないという気分が高まっていることが大きい。防衛庁による情報公開請求者リスト作成問題は決定的だった。「役所」というところがいかに「庶民」を信用しないか、都合の悪いことをいかに糊塗・隠蔽するか。その歪んだ体質がリアルに明らかとなった。また、新システム始動を性急に行うことに自治体が危惧する背景には、今年4月のみずほ銀行システム障害事件が鮮烈な記憶としてあるように思う。
福島県矢祭町。人口7300人の町が7月22日、全国の自治体で初めて、住基ネットへの接続拒否を明確にした。「住基ネットに反対ではない。ほかの自治体から矢祭町の住民票を取る個人は年に10人程度。パスポートを持つ人は約250人。その人たちの利便性と、7000人町民の情報が外部に漏れる危険性を比べて判断した」と町長。実に明快な論理だ。住民の安全と権利を守る自治体の首長として、中央政府に媚びない姿勢は評価に値する。町では、個人情報保護条例を制定して、その後に住基ネットに参加するという考えを表明した。全国的にも、これに続く自治体が出てくるだろう。
メディア規制法へと変質した「個人情報保護法案」は、本来はこの住基ネット発足とセットで制定される予定だった。小渕首相(当時)は、政府としては「施行にあたって、個人情報保護に万全を期すため、所要の措置を講ずる」として、個人情報保護法の制定を住基ネット発足の条件としていた。いま、個人情報保護法案の国会通過の見通しはない。福田官房長官は5月23日の衆院内閣委員会で、小渕首相は政治姿勢を示しただけで、必ずしもこれにとらわれないと答弁した。改正住民基本台帳法の成立を前に、その法律の運用について当時の内閣が指針を示したわけで、法律の附則にもその旨が明記された。これは軽く評価されていいものではない。住基ネットは、365億円の構築費と年間190億円の運用費がかかる大プロジェクトである。それだけの金と手間隙をかけて、「一体、誰のため、何のために」という感が否めない。もともと住民情報の利用省庁は10省庁93件に限定されていたが、政府は8月5日の実施を前に、国の利用できる事務を264件に拡大する法案を国会に提出した。こうした動きからも明らかなように、住基ネットのメリットは実は中央政府・官庁の側にある。「住民票をどこでも取れる」なんていう「小さな便利さ」のために、住民のプライバシー侵害という「大きな危惧」が生まれている。
福島県葛尾村。人口1700人。ネットセンターとなる福島県庁から50キロ以上離れている。全国の村でただ一つ、住基ネットの遠距離、小規模自治体の実証事例に選ばれた。テスト項目は納税や印鑑登録の証明書などだ。テストの結果について、村はこう報告している。
(1) 通信の所要時間:役場の回線は、経費の関係で一般的なデジタル回線のISDNなので、センターとのやりとりに円滑さを欠いた。
(2) 通信環境:大容量のデータを扱えるシステムや回線がないと、多種多様な申請や届け出に対応できない。
(3) 端末パソコン:個人、事業所と機種がまちまちのため、全国展開には不安材料が多い。
(4) 使い勝手:画面の文字表示が小さい上、受付日、氏名が自動的に出てこない。そして、
(5) 結論:「情報に過疎がない」という言葉は死語化しつつある。
現状の通信環境のままでは、情報の過疎化は進むばかりだ。葛尾村はISDNが使えるからまだいいが、離島や山間部では光ケーブルはおろか、デジタル回線さえないのが実態だろう。最初で最後の住基ネットの実験に臨んだ葛尾村では、「通信環境の整備は政府がやらなければできない相談である。制度的な財政援助を国にお願いしたい」と結ぶ(『福島民報』7月24日付論説)。現場の自治体でここまで危惧がある以上、住基ネットの8月5日発足はとりやめるべきだろう。
なお、頸城村での講演で最後に触れたのは、地方が「ガンバル」ことの意味である。地方自治体は国の下請けではない。「地方分権」が一時期活発化したが、実際のところは「地方国治」の面は制度や意識の面で残っている。2000年7月現在で、47都道府県、3206市町村、東京23特別区、トータル3276ある(安易な市町村合併が増えているので、この数字はもっと動いているが)。要するに、全国に3200以上ある市町村。これが一番重要な自治の単位だ。さらに47都道府県。この地方自治体が住民の立場にしっかり立って、その観点から他の自治体との連携を強めていくことが大切だろう。沖縄県読谷村の前村長・山内徳信氏の手になる詩を描いた屏風は、今も役場の村長応接室にある。
「人間の生命は有限である。自治体の生命は無限である。…地方は先端であり、地方主権を確立し、輝く地方社会を創ろう。21世紀に向け、人類の共生・共存・協調の時代を創造しよう。国境を超え、未来への持続可能な社会を創ろう。美しい緑の地球環境を守り、輝く宇宙の存続を誓おう」(拙著『沖縄読谷村の挑戦』岩波書店)。地方自治体は中央政府の「末端」ではなく、あらゆる面で「先端」であるということを、改めて確認しておきたい。