「ブッシュの戦争」パート2に反対する 2002年9月30日
ジャン・ボードリヤール『湾岸戦争は起こらなかった』(紀伊国屋書店、1991年)を11年ぶりに再読した。書庫の奥に眠っていたものだが、内容はいささかも古くなっていない。9.11テロ以降のチョムスキーの文章のような、シニカルで鋭い指摘は、まさに今に通じるリアリティをもっている。同僚の塚原史教授の訳業だが、今回それも初めて知った。
《湾岸戦争は過剰な戦争(資金や武器等々の過剰)である。積荷をおろし、在庫を一掃するための戦争。部隊の展開の実験と、旧式武器のバーゲンセールと、新兵器の展示会つきの戦争。モノと設備の過剰に悩む社会の戦争。過剰な部分(過剰な人間も)を廃棄物として、処分する必要にせまられた社会の戦争。テクノロジーの廃棄物は、戦争という地獄に養分を補給する。廃棄物こそは、われわれの社会のひそかな暴力の表現なのだ――それは抑制不可能な排泄作用であり、モノの世界はそれによって損害を受けはしない》
この戦争を必要とした者たちをあぶり出す鋭い指摘の数々である。著者は、マスコミについてはこう批判する。
《情報は、知的誘導装置のないミサイルのようなものだ。標的にけっして当たらず(残念!だが、迎撃ミサイルにも当たらない)、ところかまわず自爆するか、真空中に見失われ、予測不可能な軌道上を廃棄物として永遠に周回しつづける》
黒い油にまみれた水鳥の映像は、多くの人々に「フセインは環境テロリスト」というイメージをすりこんだままだ(実際は米軍の爆撃が原因だったのに)。フセイン=環境テロリストというレッテルはこの10年、「軌道上の廃棄物」となっているわけだ。著者のむすびの言葉は実に深く、かつ鋭い。
《イラクは、客観的には、今回の対決にいたるまで、西欧の共犯者でありつづけた。イスラムの挑戦という象徴的挑戦、何ものかに還元不能で、危険きわまりないあの他者性は、サダム〔フセイン〕の企てによって、政治的・軍事的に一度ならず誘導され、あざむかれ、道を誤ったのである。西欧との戦いにおいてさえ、サダムはイスラムを飼いならす役割を演じたが、けっきょくイスラムの世界を、彼はどうすることもできないのだ。サダムの排除は、もしそれが可能だとしても、危険な抵当権を抹消することにしかならないだろう。真の問題、イスラムの挑戦と、その背後にひそむ、西欧世界に抵抗するあらゆる文化の形態が提起する問題は、手つかずのまま残っている。…世界的合意の覇権が強くなればなるほど、それが崩壊する危険も増大するのである。いや、危険というよりはむしろ、チャンスなのかもしれない》
「首領さま」の偉業を代を継いで発展させるという「世襲」をやったのはお隣の国だが、その国に「悪の枢軸」というレッテルを貼るブッシュ政権も、それとよく似た状況だ。親父ブッシュの悪行を、息子ブッシュが「世襲」して、いま、イラク攻撃に驀進している。なぜ、ここまでしてイラク攻撃に固執するのか。それは、親父のやり残しを片づけるという「世襲」の儀式なのか。フセイン大統領自身が、「西欧の共犯者」だったことを考えれば、そのフセインを抹殺すれば、米国の暗い、陰惨な対イラク政策の過去を消し去ることができる。イラク攻撃こそ、まさに米国の不正義を隠蔽する行為にほかならない。核査察も国連決議も、「まずイラク攻撃ありき」の米国の前には、すべて追認の儀式と化す。
その意味で、『ニューズウィーク』9月25日号のトップ記事は面白かった。タイトルは「怪物を育てたアメリカの大罪」。政権内最右派のラムズフェルド国防長官が、20年前、レーガン大統領の特使としてバグダッドを訪れ、フセイン大統領と「心からの握手」をかわした事実をすっぱ抜いたのだ。米国は、イラクに戦車などの兵器類を「供与」したり、炭疽菌などの生物兵器を製造できる培養基までも輸出したという。当時、米国はイランと敵対関係にあり、その「敵の敵」であるイラクは「味方」だったのだ。
一事が万事。息子ブッシュの寄り目ぎみの顔。その目と目の間の間隔くらい短いのが、米国の対外政策の射程である。当面の敵のために、かなり不純な勢力とも手を結ぶ。ソ連軍をアフガンから追い出すために、ムジャヒデンを育成・強化した。そして、当時育成した「自由の戦士」のなかには、今や「ナンバーワン・テロリスト」のビンラディンもいる。タリバン駆逐のためには、山賊同然のドスタム将軍派、北部同盟とも手を結んだ。かつては、イラン牽制のためにイラクを援助したのだ。短期で短気な対外政策。利用できるものは利用して捨てる。捨てられた者の恨みは深い。このやり方の延長線上に、米世界戦略の転換がある。この8月の「2002年度国防報告」は、先制攻撃を排除せず、核兵器使用を含むむあらゆる攻撃手段を辞さない方針を打ち出した。つまり、自分がつくり出した「怪物」たちへの恐怖は、何を援助したかを知っていることもあって、問答無用で叩かないと不安でたまらないのだ。息子ブッシュは、CIA長官以来の親父ブッシュらの証拠隠滅を狙っている。そして、経済危機乗り切りのために、戦争需要を創出する。さらに、中東、カスピ海地域の油田の最終的な安定確保もある。
「ブッシュ大統領は石油の男であり、他には何もない」と言うのは、米国未来研究者のJeremy Rifkinである(FR vom 9.9)。カーター元大統領も、『ワシントンポスト』紙でこうブッシュを批判する(Freitag vom 20.9.の独語訳から)。「現在、合衆国にはイラクからの脅威は存在しない」「この(ブッシュ政権の)一面的な政策は、我々がテロとの戦いで必要としている諸国から合衆国をいっそう孤立化させるものだ」と。
ボンの軍民転換センター(BICC)の専門家もこう警告する(http://www.bicc.de/)。「イラク軍が生物化学兵器を使えるとしてさえも、その危険は予測できるし、地域的に限定されたものだ。イラクはイランとの戦争の時と異なり、1991年の湾岸戦争の時に既存の大量破壊兵器を使用しなかった。おそらく壊滅的反撃を恐れてのことだろう。イラクは生物化学兵器の運搬手段を持っていないから、自分の領域を超えて使用できない。イラクが既存の大量破壊兵器の戦時使用に踏み切るのは、ただ一つの場合だけだろう。それは、バクダッドへの軍事攻撃が行われるような、フセイン体制が現実の脅威に直面する時である。それ故、外からの大規模な軍事攻撃による現存の脅威があってはならないのである。喧伝されている米国の主要目標は、大量破壊兵器の使用の阻止であるが、それは理由になっていない。…イラクにおけるいかなる戦争も、全地域を無統制に不安定化するだろう。…犠牲者の数も非常に多く、かつ地域への影響も計り知れない」と。
イラクにおける「ブッシュの戦争」を許してはならない。