侵略の戦費を負担してはならない 2003年4月7日
「職業、女優。だから私も、確定申告」。あの黒木瞳さんが、胸元の開いたノースリーブで、にっこり微笑む国税庁ポスター。2月から3月にかけての寒さのなか、こんなに薄着でかわいそうじゃないか(←なんてちっとも思っていない)。申告書や必要書類を半日かけて準備したから、「貴重な時間がもったいない」と、しかめっ面で税務署の正面玄関を入ると、提出用机にズラーッとこのポスターが貼ってある。思わずにっこり、確定申告。やられた! 黒木ファンには実に効果的なポスターではあった。
 さて冗談はさておき、例年のことながら、確定申告の時期は、税金の「使い道」について、払税者(納税者とはいわない)の関心が高まる。年度末になると、「予算消化の道路工事」類似のことが、国や地方を問わず、分野の違いを問わず行われている。予算を組んだ以上使わないと、次年度の予算が抑制される。だからみんなで帳尻合わせ。だが、税金をとられる側の論理からすれば、あるいは毎日の買い物で消費税を「チョボチョボと」(竹下登元首相)とられる消費者の立場からすれば、税金の使い道に疑問がわくのも当然だろう。この時期、新聞各紙には、税金が無駄に使われる事例の記事が目立ってくる。ODAや公共事業などにおけるより巨大な無駄づかいだけでなく、今年は「究極の無駄」というよりも、「決して支出してはならない金」が早晩問題になってくる。それは、米英が始めたイラク侵略戦争の戦費負担である。ブッシュ大統領自身、長期戦について語り始めた以上、これは相当な負担になりそうである。
 では、この戦争は一体いくらかかるのか。米議会予算局が2002年9月に発表した試算をもとに、『ワシントンポスト』紙が試算した数字では、短期では600億ドル(7兆2000億円)、長期ならば1000億ドル(12兆円)に達して、戦後の治安維持・復興などに年間150億ドルから200億ドルがかかるという。長期戦の最悪シナリオでは、1400億ドルという試算もある。今回、米国は、「人道的介入」ではなく、フセイン体制を崩壊させて、イラクの「解放」と「民主化」をはかる「民主的介入」をやらかしたわけだから、戦後もイラクに「進駐軍」をはりつけ、戦後復興を行わねばならない。その額は凄まじいものになる。 91年湾岸戦争時、米中央軍司令官指揮下の「多国籍軍」で戦争をやり、戦費は各国に負担させて、米国は「いいところどり」をできた。だが、今回、米英単独行動で戦争に突き進んだため、他の諸国に対して戦費負担を当然には要求できない。さすがに独仏に負担を求めることはできないだろう。他方、戦争への支持を一斉に表明した「新しいヨーロッパ」(ラムズフェルド国防長官)である東欧諸国には金がない。となると、早い時期に「理解し、支持する」(小泉首相)といとも簡単に宣言してしまった日本が、「期待の財布」となる。テレビでは、「日本は2割くらいは負担させられるだろう」なんて呑気な観測を語る「識者」もいる。2003年度予算案の予備費は全体で3500億円。災害発生などに備え、全部を拠出するわけにもいかない。「戦後復興は日本の出番」なんて、国連憲章違反の戦争開始前から言っている、おめでたい日本にとって、今度の負担額は膨大になるだろう。『エコノミスト』誌は駐留経費から復興費まで全部ひっくるめて1兆4500億ドル(!)なんて数字をはじく。単純計算で、その2割は2900億ドルである。老人から赤ん坊まで均等に負担させたとして、国民一人あたりいくらになるか、想像するのもこわい。しかも、米国は勝手に戦争を始めて、破壊の限りを尽くして、イラク復興をビジネスにしてしまう。チェイニー副大統領が顧問を務めていた子会社を含めて、この不況のご時世に巨大な復興需要が生まれるわけである。米国が戦争を必要とする理由の一つが、ここにある。
 ちなみに、91年湾岸戦争時の戦費は760億ドルだった。日本は当時、いろいろひっくるめて130億ドル(当時のレートで約1兆3000億円)を負担した。これに対して、市民が訴訟を起こした。91年にまず「掃海艇派遣差止請求事件」と「戦費支出差止等請求事件」が起こされた。市民平和訴訟といわれた。全国5カ所で、市民が、平和的生存権と「納税者基本権」の侵害を主張して国家賠償訴訟を起こしたもので、訴えは地裁、高裁すべてで却下された。東京の訴訟は91年3月4日に提訴(第一次)し、1998年11月26日に最高裁が上告棄却をして終了した。原告団も解散したが、6年にわたる訴訟の記録をネット上で読むことができる
 この訴訟にはいろいろな論点があるが、現在の制度の枠内では、裁判所から積極的応答を引き出すのは最初から困難が伴っていた。それを承知の上で、国の違憲・違法な行為のチェックを求めて訴訟を起こすパターンはこの後も続く。その先駆けとして注目される。 さて、東京訴訟で原告は、「戦費」という概念は、国家が戦争を遂行するにあたり臨時に必要とする経費であって、常備兵力の維持管理費と区別されると主張。被告・国は、本件拠出金の具体的使途は、輸送、医療、食料・生活、事務、通信、建設の6分野あると釈明するのみで、それ以上の詳細な内容は明らかにしなかったが、これらの分野の費用は戦費そのものである。本件拠出金は、米国軍の戦費の主要な財源であり、湾岸戦争を遂行する上で不可欠のものであった。戦費を負担するということは、一方当事者として戦争に参加(参戦)することにほかならない。ゆえに、本件拠出は、憲法が明確に禁止する武力による威嚇または武力の行使と同視しうるもので、違憲である。国の財政は、憲法の諸原則に合致する福祉、平和目的のために使用されるべきで、財政法2条1項にいう「国の各般の需要」とは福祉、平和目的に合致する需要に限定される、などと主張した。
 裁判所(東京地裁)は、政府がとった国費の支出等について具体的な権利または法律関係についての紛争を離れて裁判所が憲法および法律に適合するかを判断することは予定されていないとして、訴えを退けた。平和的生存権や納税者基本権の主張については一蹴した。ほとんど予想されたリアクションではあるが、この国では、国の財政支出に対してチェックするのがむずかしい。国会の決算委員会や会計検査院にも限界がある。
 例えば、クルド難民支援のための5億ドルは、全額アメリカの戦費になっていた。この事実は、93年7月19日の参議院決算委員会で明らかになった。政府は91年7月に閣議決定した湾岸平和基金への5億ドルの追加拠出について、全額(当時のレート、円建て696億5000万円)が米国に支払われていたことを認めた。湾岸戦争のときに90億ドルの最終支払いについても、米国に1兆790億円。湾岸諸国にはサウジの192億円が最高額。残りの諸国にはごくわずかな金額がまわったにすぎない。「トンネル基金」を通じた、米軍への戦費調達の手法である。決算委員会では、これ以上の追及はなされなかった。また、会計検査院は、湾岸アラブ諸国協力理事会の湾岸平和基金に1兆5000円億円が支払われた事実をその報告で確認したが、その先の使途にまで捜査権限が及ばないとした。湾岸戦争時の多額の税金の使い道については、いまも依然として闇のなかである。
今回のイラク戦争は、戦後復興を含め、91年の湾岸戦争よりはるかに金がかかる。日本が「戦後復興の先頭に立て」という主張もあるが、米国によるイラク侵略という現在進行形の事態について一切問うことなく、「戦後」の復興を論ずるのは早計である。イラク戦争そのものが、「究極の不必要な殺戮」である。せめてバグダットの市街戦が始まる前に、米英の軍隊をイラク国外に撤退させるという「現状回復」が必要だろう。「早くフセイン政権が倒れて、戦争が終わることを祈る」というのは偽善である。どんな事態になっても、米英が起こした国際法違反の戦争の正当性と合法性を、倦まずたゆまず、しつこく追及し続けることが重要だろう。復興の議論はそれからである。その際、「トンネル基金」などに注意を払い、日本政府が米軍の戦費負担をなし崩し的に行うことを許してはならない。