ブッシュの「ブレジネフ・ドクトリン」 2003年4月21日

枚の写真がある。狭い塹壕のなかに、頭を吹き飛ばされたイラク兵2人の死体。脳漿で土が黒ずんでいる。1人の手にはしっかりと白旗が。降伏しようと待っていたところを、上空からヘリの斉射を受けたようだ。死体を見下ろす英軍兵士。見出しには「帝国の業」とある(アエラ緊急増刊『ブッシュは正義か』2003年4月5日号)。イラク戦争の初期段階でAP通信が配信したもので、英国のScotland on Sunday紙(3月23日付)は一面に使ったが、『朝日新聞』を含め、日本の新聞には載らなかった。
この戦争でどれだけの貴重な命が失われたか。米兵125人(+行方不明3人)と英兵31人が死んだことは発表されている。4月5日の中央軍司令部発表によれば、2000人から3000人のイラク兵が死んだという。市民や子どもたちがどれだけ死んだのかは、依然として不明である(現時点で判明した市民犠牲者数はIraq Body Countで見られる)。
この戦争は一体何だったのか。私自身は「必要な戦争」はないと考えているが、それを認める見地に立ったとしても、今回の戦争は「究極の不必要な戦争」といえるだろう。その国際法違反性については何度か指摘してきた。「石油のための戦争」「イスラエルが仕掛けた予防戦争」「ネオコンの世界制覇戦争の始まり」等々、いろいろな評価が可能だろう。ただ一つ確実なことは、いつでも、どこでも、米国が必要と判断すれば、いかなる国の政権も武力で取り替えられる「先例」が作られたことだ。「システム・チェンジ」(体制転換)。かつては市民の側が体制の変革を求めるときのスローガンだったが、今は米国の世界戦略の柱となった。その手段は、「予防戦争」(その法的表現が「先制自衛」)である。この点を、3月20日付の『モスクワタイムズ』(Moscow Times)が、「ブッシュのブレジネフ・ドクトリン」という論説(軍事アナリストP.Felgenhauer執筆)で問題にしている。
 「1968年、ソ連によるチェコスロヴァキア侵攻後、モスクワの社会主義体制を支援するため、ソ連は衛星国家に侵攻する権利があるという、制限主権のブレジネフ・ドクトリンが形成された。いま、制限主権の新しいブッシュ・ブレジネフ・ドクトリンが国際法の基礎になるかもしれない。米国は、大統領と議会が同意するならば、不快な体制を転換するため、他国に侵攻する主権的権利があると主張している」。
 ところで、1968年8月のチェコ事件とは、ドプチェク第一書記の指導のもと、当時のチェコスロヴァキア共産党政権が言論の自由をはじめ各種の自由化政策を断行しようとしたところ、「社会主義共同体」の利益を掲げて、ワルシャワ条約機構軍がチェコに侵攻して、この改革を武力で押しつぶした事件である。これを契機に、「社会主義共同体」の利益(実質はソ連共産党の利益)を根拠に、東欧各国の国家主権を制限する論理が、当時のブレジネフ書記長の名前をとって「ブレジネフ・ドクトリン」と呼ばれるようになった。その17年後、ゴルバチョフ書記長が登場。このドクトリンは意味をなさなくなった。逆にゴルバチョフは、東欧各国に対して、「フランク・シナトラで行け」といった。シナトラの名曲「Going my way」になぞらえ、「わが道を行け」とたきつけたのである。その結果、「ベルリンの壁」は崩壊し、とうのソ連邦までもが解体するに至ったのである。今回の『モスクワタイムズ』論説は、ブッシュ政権の発想が、かつてのブレジネフ書記長の発想に似ていると皮肉る。ただ、ブレジネフのそれは「社会主義共同体」の内部の問題だが、ブッシュ政権にとっては、「ならず者国家」「テロ支援国家」と判断した国すべてに妥当する点で、よりアグレッシヴである。
国連憲章2条7項は、加盟国の国民がいかなる体制を選択しようとも、他国がそれに干渉することを禁じている。ただ、大規模かつ重大な人権侵害が起こった場合、「国際社会」が介入してそれを阻止する「人道的介入」が近年問題になっている。ソマリア、ルアンダ、コソボなどが焦点になってきた。ただ、コソボ紛争へのNATO「空爆」が「人道的介入」として正当化できるかはかなり疑問である。イラクの場合、「人道的介入」のケースかといえば、ブッシュ政権自身がそれを一度も主張していない。むしろ、イラク国民の「解放」と「民主化」が、介入目的となっている。一国の政権を武力で取り替えることを目的とした戦争である。この点で、ドイツの左派系新聞に載った論説「国際法は妥当しない」は興味深い。かつてタンザニア軍が、ウガンダのアミン政権を倒すために侵攻した例を挙げ、アフリカでは、隣国の介入によって「体制転換」が起こるのはむしろノーマルであるという。また、ベトナムも1978年クリスマスにカンボジアに侵攻した。200万もの自国民を虐殺したポル・ポト政権を倒すためだ。だから、今回のイラク戦争は、世界で最初の予防戦争でもなければ、最初の「体制転換」のための戦争ではない、というのである(die tageszeitung vom 25.3)。この論説をめぐってさまざまな異論が提示され、投稿欄はしばらくにぎわった。私見によれば、イラク戦争とウガンダやカンボジアのケースは、少なくとも次の2つの点で同一視できない。第1に、ベトナムの場合はヘン・サムリン政権を打ち立てたという点では「体制転換」だが、その前に百万単位の大規模な虐殺が行われていた。ウガンダの場合もかなり切実な状態があった。しかし、イラクの場合は、政治的弾圧や抑圧が常態化していたとはいえ、カンボジアのような切迫した状態にあったとはいえず、軍隊を侵攻させるだけの積極的根拠に乏しい。第2に、国連安保理の二大国が攻撃に参加した点である。世界最大の軍事大国と、かつての植民地大国による戦争。「人道的植民地主義」と酷評した人もいる。なお、エーベルト財団の政治顧問M.Luedersの論文(FR vom 10.3)によれば、フセイン体制崩壊後、中東に民主化の効果はないと予測している。「フセインの没落はこの国と地域に恵みになるだろう。だが、ブッシュ大統領が選択する道はカタストロフと災難の処方箋だ。ワシントンの『リベラル帝国主義』は、それが善なる意図によるものであったとしても、反西欧感情を培い、テロ的傾向を確定するおそれがある。新保守主義的権力者とその支援者たちは、民主主義が社会的プロセスの結果であること、国際法規範なしに存続しえないものであることを忘れている」。重要な指摘である。
さらに、インドの作家ロイ(Arundhati Roy) は、ドイツの週刊誌『シュピーゲル』のインタビューのなかで、米軍占領下のイラクは「第二のパレスチナ」になるだろうと厳しい見通しを語っている。ロイはまた、「ブッシュは我々にとってよい」として、「彼は米国の世界支配追求を、全世界がすぐに理解できるほどに直接的、傲慢、かつ野蛮に行っている」(Der Spiegel vom 7.4.)と指摘する。それゆえに、開戦前から、米国による明白な国際法違反の侵略行為に対して、世界中の「普通の人々」がかつてない規模と内容で声を挙げ始めたのだ。フランスの元経済財政相D・シュトラウス・カーン氏は、2月15日に全欧で起きたデモを高く評価し、そこに「新しいネーションの誕生、ヨーロッパ国民」を見てとる(Frankfurter Rundschau vom 11.3)。ヨーロッパだけではなく、米国国内でも、イラク戦争の責任を問う声は確実に広まっていくだろう。大国による身勝手な制限主権論や体制転換論は、まったくの時代錯誤であることを知るべきである。

※印刷する際には、イラク市民犠牲者のカウンターで文字がスクロールしているときではなく、"IRAQ BODY COUNTS reported civilian deaths"のタイミングで印刷ボタンを押すと、正しく印刷されます。