「今のうちに解散」 2003年10月27日

泉内閣になってから、国会における論戦に表面的な変化が生まれた。それは、絶叫型の演説や答弁、「○○なくして、○○なし」といった単純化表現の頻用である。首相が国民に発するメーセージも、「ぶらさがり」(立ち話の記者会見)における短い単語と極端に断定的な物言いが定着した。「言語明瞭、意味不明瞭」といわれた竹下元首相などに比べれば、確かに単純で明快。しかし、言葉は明確でも、わかった気になってしまう「中身不明瞭」が多い。その証拠には、以前だったら政治責任を問われるような失言が、そのまま通用してしまっている
  『北海道新聞』10月3日付コラム「卓上四季」はこう書く。「言葉はこわい。小泉首相には数々の失言があるが、きわめつけは『大したことない』発言(1月の衆院予算委)。…あの時、首相は『公約違反というが基本は変わっていない』『大した違いはない』と言うつもりだったらしい。それが民主党の管代表に食い下がられ、つい興奮した。…緊張から『心の辞書』を引き間違い、思わぬ言葉を発することはママある。司会が『開会式』を『閉会式』と言ったり、結婚式のスピーチで『お琴をたしなむ』を『オトコ』と言い間違ったり…」。だが、「国債30兆円枠」などの公約違反を「大したことはない」と断じた事実は消えない。それを「『心の辞書』の引き間違い」なんて美しく説明してあげる必要はないのではないか。

  ところで、今度の総選挙では、「マニュフェスト」なる横文字が毎日のようにテレビや新聞に出てくることになろう。「政権公約」と訳されているが、今回から「パンフレット」の形で、これが部数制限なしで配付できるようになった。解散当日(10月10日) 午前10時から開かれた参議院本会議で、討論もなしに可決された改正公職選挙法で導入されたものである。同じ午前の本会議で、「テロ対策特措法」の延長も決まった。投票では共産党の女性議員一人が賛成するというハプニングも(ボタンの押し間違いの可能性もあり、お粗末)。かくて午前10時57分に散会。わずか1時間足らずだ。午後1時からの衆院解散にあわせて、しかも昼休みをたっぷり2時間もとって、重要な法案がそそくさと処理されてしまった。

  さて、その解散であるが、綿貫衆院議長が「日本国憲法第7条により、衆議院を解散するーーっ!」と「解散詔書」を読みあげると、例によって、総立ちの議員の間から「万歳!」が起こった。解散という行為は、衆院議員の任期満了前にその地位を失わせる行為だから、全員が「前議員」になってしまったわけで、にもかかわらず「万歳」とはこれいかに。やけくそ半分、景気づけ半分、というところか。なお、綿貫議長の「詔書」の読みあげ方は、歴代議長のなかで一番俗っぽかった。普通、重々しく「解散する」とやるのだが、今回は「解散するーーっ!」と、語尾にビブラートがかかっている。表情も、どことなくうれしそうだった。
  解散当日の『毎日新聞』夕刊の第2社会面に、3人の識者コメントが載っている。この解散を何と呼ぶか。「改革絶叫解散」「オルタナティブ解散」と並んで、作家・高村薫氏は「今のうちに解散」と名づける。「首相人気が高止まりのうちに、落ち込んでいた経済が少し持ち直しているうちに、イラク派兵で自衛隊に犠牲者が出ないうちに、年金制度改革で国民負担の増大が明らかにならないうちに、道路公団と郵政民営化の結果が問われないうちに…」、「今のうちに」政権維持をはかるための解散。問題の本質をつく見事なネーミングだと思う。
  さきほど綿貫議長の表情がうれしそうだったと書いたが、実は、この議長、「憲法7条に基づく解散は、政府が勝手に思いついたら解散やるぞということで、本当はおかしい」と発言していた(『朝日新聞』2003年1月21日付)。そもそも憲法上、解散権の所在がどこにあるかについては、書き出したら長くなる。いろいろな説があるが、単純化していえば、69条説と7条説(そのヴァリエーションは省略)とがある。憲法69条は、衆議院で内閣不信任決議案が可決され、あるいは信任決議案が否決されたときは、「十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない」と定める。憲法7条は天皇の国事行為を10個並べており、その3号に「衆議院を解散すること」とある。解散について、憲法にこれ以外の規定はない。69条は内閣総辞職の規定で、内閣に衆議院解散権が帰属するという明確な定め方をしていない。そこで議論が分かれてくるのだが、7条説が通説・実例となっている。綿貫議長はその運用に疑問を提示しているわけだ。

  一昨日、講義に使う解散権関係の資料から、黄色に変色した新聞切り抜きが出てきた。1979年3月21日付『朝日新聞』。衆議院元議長の保利茂氏(故人)が書き残した「解散権について」(1978年7月11日) という文書の紹介記事である。この切り抜きをみてまず驚いたのは、字が細かいこと。79年当時は1行15字だったのだ。いまは11字。4文字増えるだけで、紙面に文字がぎっしり詰まった印象になる。それはともかく、保利元議長は、解散が行われる場合として二つのケースを挙げる。まず第1に、「議院内閣制のもとで立法府と行政府が対立して国政がマヒするようなときに、行政の機能を回復させるための一種の非常手段と考えるべきである」と。69条でいう不信任決議が通るような事態には至らなくても、重要案件が否決されたり、審議未了になったりしたときとか、審議が長期間ストップして国会の機能がマヒしたときに、69条と同一視すべき事態が生まれるという。第2は、「その直前の総選挙で各党が明らかにした公約や諸政策にもかかわらず、選挙後にそれと全く質の異なる、しかも重大な案件が提起されて、それが争点となるような場合には、改めて国民の判断を求めるのが当然だ」という。これは第1のケースと異なる解散理由だが、「主権在民、議会制民主主義の観点からみて当然な一つの筋道」だという。「こういう状況のもとで特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようということであれば、それは憲法上の権利の濫用ということになる」「“7条解散”の濫用は許されるべきではない」と。
  この記事には、佐藤功上智大学教授(当時)のコメントがついている。「この見解は憲法論としてみればそれほど注目すべきものではないが、政界の裏面を示すものとしてきわめて興味深い」と。議会制民主主義の観点からの7条解散限定の主張であり、69条説をとるわけではなく、学説的にみればとくに新しい点がないことは確かである。ただ、福田首相(当時)が意図した解散に反対する目的で書かれたという点で、佐藤教授がいうように永田町の政治力学の問題としては注目されるだろう。今回の衆院解散をめぐって綿貫議長が前述のような発言をしたのも、野中自民党元幹事長などの小泉批判の意向がはたらいているようである(『朝日新聞』1月21日)。

  と、ここまで書いてきたところで、女性のかん高いアナウンスが聞こえてきた。政党宣伝カーが自宅前を通過中だ。「鳩山邦夫は府中市民になりました。今日は自由民主党府中支部長就任のご挨拶にうかがいました」。名門旧東京8区(港、文京)出身で、「鳩山御殿」で育った邦夫氏が府中市民になったとは。どこでも住民票をとれるという触れ込みで住基ネットを導入したのは、このためだったのか、とも思う。原稿書きを中断してコーヒーを入れていると、もう一台がやってきた。「公選法の改正で、民主党の管直人はご当地、東京18区から立候補することになりました。どうぞよろしくお願い申し上げます」。なぬ。わが府中市が、鳩山・管の大物対決の選挙区になったとは知らなかった。生まれてこのかた、府中市の選挙区(旧東京7区、後の旧11区)からは、マスコミが注目する大物政治家が出たためしがないので、これは見物ではある。ただ、選挙民が知らないうちに、選挙区割が解散当日の午前中に決まったというのだから、何とも慌ただしい。突然、「このたび府中市民になりました」といわれても、選挙民には唐突に響く。地元の意向とは無関係に、政党執行部が上から候補者を立てるのを「落下傘候補」というが、今回はまさにこれである。
 総選挙の結果がどうなるかはここでの主題ではない。問題は、「今のうちに」解散し、選挙法も自分たちの都合のいいようにクルクルと変えていくことにある。解散・総選挙は、国政が一時的にストップする重大な出来事である。選挙法は、法律をつくる国会議員を選ぶ手続きなどを定める法律だから、通常の法律よりも慎重な議論が求められる。総選挙に向かってマスコミも走り出したために、こうした「そもそもの問題」が語られることはほとんどない。選挙やその結果ばかりでなく、それに至るプロセスにも、この国の民主主義をめぐる重大な問題が含まれていることを、ちょっと立ち止まって考えてみることも必要ではないか。