憲法前文つまみ食いと「瞬間タッチ断言法」の危なさ 2003年12月15日
12月8日月曜日という「いわくつきの日」を避けて、翌9日、イラク派遣基本計画が閣議決定された。この「日付」の選択も、小泉首相が世論とマスコミを過剰に意識した結果とみるのは穿ちすぎだろうか。その基本計画の要旨は次の通りである。①人道復興支援活動として、陸自600人以内、車両200両以内。イラク南東部で医療、給水、学校などの公共施設の復旧・整備活動を実施。安全確保のため装輪装甲車、無反動砲、個人携帯対戦車弾などを装備。空自はC130輸送機など8機以内で、クウェートを拠点にイラク国内に人道復興関連物資を輸送。海自は輸送艦、護衛艦各2隻で陸自部隊を輸送。派遣期間は2003年12月15日~04年12月14日の範囲内。②安全確保支援活動として、米英軍に医療、輸送、保管、通信、建設、修理、整備、補給、消毒を実施する。
  基本計画の閣議決定について説明する小泉首相の記者会見は、世論を意識した、思いつきの「瞬間芸」にあふれていた。
まず、首相は「自衛隊による武器・弾薬の輸送は行わない」とあっさり断言した。イラク特措法の国会審議では「武器・弾薬の輸送を行う」としていたので、政府部内に衝撃が走ったという。この首相は、その場の雰囲気と勢いで発言する癖がある。これを「瞬間タッチ断言法」と評する向きもある(『週刊文春』12月6日号)。官房長官が翌日記者会見して、武器・弾薬輸送に含みを残す発言を行い、首相の発言を早々に軌道修正していた。周辺事態法までの国会審議を通じて、武器・弾薬の輸送などをしないことが、政府部内におけるギリギリの「見識」だった。しかし小泉政権では、こうした重大問題におけるの重大な転換が、安易かつ無造作に行われていく。
  記者会見において首相はまた、「日本は戦争に行くのではない。復興支援に行くのだ」と力んだ。復興支援と主観的には思っていても、実質的な戦争状態のところに武装部隊を投入すれば、現地抵抗勢力や市民の目には「米軍と同類」と映るのはみやすい道理である。さらに首相は、「武力行使ではなく、正当防衛だ」と強調した。思えば11年前、PKO等協力法の制定過程において、「武力の行使」と「武器の使用」の区別が焦点となった。「武器の使用」が許されるポイントは、「自己又は自己と共に現場に所在する他の自衛隊員」の生命・身体を守るためのやむを得ない必要性などである。自衛隊員が個人の判断で勝手に射撃をすれば、かえって混乱する。だが、当時の国会の議論では、上官の命令で一斉射撃を行えば武力行使になるという野党の主張が存在したため、池田防衛庁長官(当時)は、個々の隊員の判断をたまたま上官が「束ねる」ケースとして説明した。これは何とも奇妙な説明だが、しかし、武力行使は違憲という基本線を維持すれば、「武力行使に至らない武器使用は合憲」というロジックでお茶を濁すしかなかったわけである。なお、98年のPKO 等協力法改正によって、上官命令による「武器の使用」が可能となった(24条)。テロ特措法では、「自己の管理の下に入った者」という概念が加わったことで、武器使用と武力行使の境目は一層曖昧になった。今回のイラク特措法に基づく派遣では、「基本計画で定める装備である武器」(17条1項) となっており、PKO等協力法24条のような「小型武器」の明記はない。現地の状況などを総合勘案したということで、基本計画では、84ミリ無反動砲や96式装輪装甲車などが列挙されている。この装甲車は96式擲弾銃と12.7ミリ重機関銃も搭載できる。これらの装備は上官の命令により、目標の破砕のために使用される。国家機関が集団的・組織的に、かつ命令によって行う「武器の使用」こそ、まさに国家の武力行使にほかならない。国民世論を意識しすぎて迷走する小泉首相は、過去10年以上にわたる国会論議をものともせず、いとも簡単に戦後この国に課せられた障壁を突破して、前へ前へと進んでいる。
  この記者会見における白眉は、憲法前文を長々と読み上げたことだろう。テレビでみていて、「目が点」になった。なお、「小泉メールマガジン」12月11日号は、首相自身が記者会見での趣旨を繰り返している。首相は、「自衛隊派遣は憲法違反だという声もあります。しかし、憲法をよく読んでいただきたい」といい、何と前文第2段「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」以下を長々と引用してみせ、憲法9条については一切言及しなかった。「憲法をよく読んでいただきたい」というのは、こちらから首相にお返ししたい。歴代首相が「国際貢献」を正当化するために前文を持ち出すときは、せいぜい、「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」を引くくらいだった。「平和のうちに生存する権利」を使って、自衛隊派兵を正当化するには、やはり後ろめたさを感じたのだろう。だが、小泉首相は何ら悩むことなく、憲法前文のこの下りを堂々と読み上げたのだ。しかも、その直前にある平和主義の基本線に関わる重要な下りを飛ばして。これは、憲法前文の「つまみ食い」といった生易しいものではない。完全な意味逆転である。本来、9条とセットで平和的生存権を根拠づける前文の当該箇所を読み上げて、他国への軍事介入を正当化したのは、小泉首相が初めてだろう。
  その場しのぎで乗り切るためには「何でもあり」の小泉首相にとって、イラクで殺された奥参事官の言葉も、つまみ食い的利用の対象となる。奥氏が「テロとの戦いに屈しない」といったことを引いて、自衛隊派兵を正当化している。だが、奥氏の「イラク便り」11月13日付「テロとの戦いとは」をみると、かなり異なった印象を受ける。奥氏は、イタリア警察部隊の建物が攻撃され、18名のイタリア人が死亡したことを受けて、「これはテロとの闘いです」と書きながらも、「…このような民家に囲まれた場所に自爆テロを仕掛けるなどというのは、到底イラク人のやることではないと皆言います」と指摘している。奥氏は米占領当局(CPA)の日本代表の任に就いていた。米軍占領に反感をもつ人々からは、当然狙われるポジションである。だが、彼は米軍統治を懸念する電報を打っていたという。上記の文章をみれば、彼がイラク人と「テロリスト」を区別しよう努力していたことがわかる。奥氏は、できるだけ早く国連統治に移すことを考えていたというから、その彼の言葉をつまみ食いして、イラク派兵の呼び水に使おうとする小泉首相の姿勢は疑問とされなければならない。
  憲法前文や亡くなった人の言葉を思いつきで利用する小泉首相。日本国民は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」(憲法前文第1段)た以上、この首相の政府に戦争をさせてはならない。