毎週一度のUPがきついと感じられる時期に入った(入試、学年末)。今週は、東京都庁職員労働組合の機関紙「都庁職」 2004年1月 1日号に掲載された表記タイトルの拙稿を転載する。「直言」読者には重複と感じられる部分があることをお許し頂きたい。なお、湾岸危機の時に神奈川県が行った「もう一つの国際貢献」については、拙編著『きみはサンダーバードを知っているか』(日本評論社、 1992年)で紹介したことがある。
「ことばもて、ひとは獣にまさる。されど、正しく話さざれば、獣、汝にまさるべし」。 9.11テロの直後、私は、『沖縄タイムス』(2001年10月6日)文化欄でブッシュ米大統領の言説を批判したが、その際、 11世紀ペルシャの抒情詩人サーディー『ゴレスターン(薔薇園)』の一節を冒頭に置いた。世界がテロに怒り、米国への同情が集まったその時、ブッシュ大統領の口から繰り出された言葉の数々は、まさに「獣、汝にまさるべし」だった。「これは戦争だ」と叫び、アフガンへの攻撃を開始。国際法上許されない軍事報復(武力復仇)を行った。さらに「十字軍」、「限りなき正義」(同年9月 25日までの作戦名)等々。特に「限りなき正義」がアラーの神を意味することから、イスラム世界から強い批判を浴び、異例の作戦名変更につながった。「味方にできなくてもいいから、敵にしない」の逆をいく、「味方のなかからも敵をつくる」愚行であった。「獣、汝にまさるべし」という言葉づかいでは、東京都のトップもひけをとらないが、ブッシュは米軍の最高司令官であり、言葉の暴力だけにとどまらないところがやっかいである。アフガンに続いて、ついに国連創設時の51カ国の一つであるイラクに矛先を向けた。
2003年3月20日、世界の世論に抗して、ブッシュ政権は国際法違反の対イラク武力行使を開始した。「法による平和」を破壊する暴挙であった。5月 1日、ブッシュは「戦闘終結宣言」を行ったが、未だにイラクは戦争状態にある。そのような場所に自衛隊を派遣する基本計画が、12月8日(62年前と同じ月曜日)を避けて、翌9 日に閣議決定された。「イラク復興支援」というが、その本質は、国際法違反の戦争の結果生まれた米軍占領統治に対する支援である。フセイン政権の生き残りによる抵抗も激しさを増し、アルカイダもイラクに集結中といわれる。 62年前の12月、「米英軍と戦闘状態に入れり」となったこの国は、自衛隊派兵により、今度は「米英軍とともに戦闘状態に入れり」となるのか。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」(憲法前文第1 段)た以上、中央政府に戦争をさせてはならない。平和や安全保障の問題は国=中央政府の専権事項ではない。グローバル化した世界のもとでは、自治体や市民が平和や安全保障の問題にコミットする可能性はむしろ増大している。
13年前の湾岸危機の時、イラクは国連決議によって経済制裁を受けていた。イラクの住民には汚染された飲料水しかなかった。その時、神奈川県が県企業庁水道局の職員2名をバクダッドに派遣し、国際ボランティアセンター(JVC)とともに、自治体独自の緊急援助を行ったのである。当時、フセイン政権は国連の経済制裁を受けていたが、イラク新赤月社(赤十字にあたる)からの要請に応えた「イラク住民に対する援助」は可能だという判断に基づくものである。渡辺美智雄外相(当時)は、国として対イラク制裁をやっているときに援助をするとは何事だと不快感をあらわにしたが、神奈川県は長年の「民際協力」の蓄積の上に、イラク住民に対する援助の続けた。結局、 300万人が 3カ月暮らせるだけの消毒剤(カルキ)を送り、飲み水を浄化した。その時、神奈川県の職員は、ユニセフが 1トンコンテナで消毒剤を送り込んでいたのを、 60キロ袋に小分けして送ることを提案した。援助が集中するバクダッドではなく、より過酷な状況にある地方都市や村に対応できるように配慮したものだ。これによりコレラや赤痢の蔓延を一時的にせよ防ぐことができたという(『世界』1992年8月号参照)。
国連は国家の連合体である。日本は国連加盟国であるから、国連安保理決議による対イラク制裁には協力しなければならない。しかし、神奈川県が 13年前に行ったことは、住民を守るという自治体の任務に基づき、バクダッドなどの住民に飲料水を供給することであった。他方、JVCはNGOであるから、国家の論理ではなく、市民の視点からイラク市民に援助を行ったわけである。渡辺外相は神奈川県やJVCの援助活動に不快感を示したが、これを止めることはできなかった。イラク制裁決議が人道援助を禁止していなかったこともあるし、何よりも自治体が他国の自治体の住民の窮状を救う活動に正当性があるからである。国家の論理を越えた、越境的自治体協力の思想の萌芽がそこに見られる。
昨今、「国民保護法制」という形で、国家の論理に基づく「有事」対処に自治体を協力させる動きがある。そうしたときだからこそ、「国民」ではない在留外国人をも含めた「住民」を守るという観点から、地方自治体が独自の「住民保護」の施策を構想して、中央政府に対案として提示していく必要があるだろう。
(『都庁職』 411号 [2004年1月1日 ] )