黄色いハンカチと白いリボン 2004年2月9日

カ月ぶりに訪れた旭川は寒かった。氷点下15度。でも、弁護士や女性団体主催の講演会場は立ち見も出て、熱気が感じられた。「なぜ、自衛隊をイラクに派遣してはならないのか――日本がなすべき真の復興支援とは」と題して講演。テレビの取材クルーも何社か来ていた。地方で講演すると、参加者が非常にバラエティに富んでいるので楽しい。6年間、道民だった私としては、道内での講演は「故郷で話す」という気安さもある。今回は、旭川からイラク派遣本隊が出るのを目前にして、話にも力が入った(講演内容は各紙道内版に掲載)。

  市内では、隊員の無事帰還を祈る「黄色いハンカチ」運動が始まっていた。米国で始まったもので、戦場から愛しい人が無事帰還するのを待つというパフォーマンスだ。日本での元祖「黄色いハンカチ運動」は、「手を貸して下さい」という「SOSの合図」ということで、障害者を援助する運動のことである。山田洋次監督作品「幸福の黄色いハンカチ」は米国のそれにヒントを得て作られた。今回の旭川の「運動」も映画のイメージに重ねたものだが、「無事を祈る」という自然な感情が、派遣の是非に関する理性的論議を棚上げしてしまうおそれがある。私は講演のなかで、それならば「降伏の白いハンカチ」ではどうか、と語った。「ソ連軍が攻めてきたら白旗を掲げよう」という冷戦時代の「白旗論」ではない。武力行使否定の論理を「白いハンカチ」に込めたのである。質疑のなかで一人の女性が、「白いリボン」を胸につける運動を行っていると発言した。「無事に帰ってきてほしい」という感情と対立することなく、にもかかわらず「派兵には反対」という意思を表明する工夫である。この運動の原点は、中米コスタリカの「平和の白いリボン」にある。元コスタリカ大統領の夫人カレン・オルセンさん経由で、2001年頃から日本の市民運動に伝えられた。旭川でもこれが応用されたのだろう。ただ、黄色であれ白色であれ、そういう「もの」によって本人の信条が外に表示されるのを強制される踏み絵として機能するのは望ましくない。いずれにしても、その人の自然な感情や考えに委ねるべきで、折衷的に「クリーム色」にしたらいいという問題でもない。日の丸を振るにせよ、黄色いハンカチを胸に入れるにせよ、そういう小道具が出てくることによって、事柄の本質(自衛隊派遣の是非)が議論されなくなるムード的誘導が問題なのである。

  1月に入って世論は「派遣やむなし」に急速に傾斜しないった。『東京新聞』1月30日付特報欄は、世論の変化の背景には、「黄色いハンカチ」運動の効果もあるとみる。テレビ朝日と日本テレビの世論調査では1月段階で、派遣賛成が過半数を超えた。昨年12月まで世論状況と比べれば賛否はほぼ逆転したわけである。いったん既成事実ができてしまえば、世論というものはそれを容認する方向へと動き、マスコミも既成事実をベースにした報道に転換していく。しかし、自衛隊派遣は、従来の政府の立場からしても、許されない「海外派兵」であることに何ら変わりはない。元CIA特別顧問で大量破壊兵器調査団長を務めたD・ケイ氏が大量破壊兵器の存在を否定する証言をするなど、ブッシュ政権が「イラク戦争」を始めた根拠がほとんど崩れたことからも、自衛隊派遣をめぐる根本問題が問われ続けられなければならない。

  2月1日、旭川駐屯地で、小泉首相も参加して、編成を完結した「第1次イラク復興支援群」(群長・番匠幸一郎一等陸佐)への隊旗授与が行われた。番匠一佐は名寄駐屯地司令と紹介されたが、第3普通科連隊長でもある。レンジャー資格と米陸軍戦略大学留学経験をもつ。この人事の内定情報は、2カ月前、『北海道新聞』2003年12月2日付夕刊がスクープしていた。顔写真と実名を出したため、「テロに狙われたらどうする」と怒った自衛隊側から道新は一時、取材拒否にあったそうだ。この情報に基づき、私は12月段階で普通科連隊長がイラク派遣部隊の指揮官になることの問題性について触れた。カンボジアでもゴラン高原、ザイールでも後方支援連隊や施設大隊の長が指揮官となった。今回初めて、普通科連隊(歩兵連隊)という戦闘部隊の長が派遣部隊の指揮官となる。番匠一陸佐の記者会見をテレビで見たが、一線の部隊長としては安定感のある一級の人材であることには間違いない。そのようなレンジャー資格をもつ優秀な部隊長のもとで、より戦闘を意識した態勢が作られたことそれ自体が問題なのである。

  こうした政府の動きに対して、元郵政大臣の箕輪登氏が1月28日、自衛隊のイラク派遣の差し止めを求める訴訟を札幌地方裁判所に起こした。私が旭川に滞在していた1月24日、訴状のコピーを旭川の担当弁護士から空港で手渡され、市内に向かう車内で一読して大変感銘を受けた。箕輪氏は防衛政務次官も務めたいわゆる「国防族」である。いま手元には、1978年、箕輪氏が自民党国防問題研究会代表世話人としてまとめた『有事法令研究』報告書がある。80年代はじめ、私は箕輪氏の書いたものを批判的にコメントしたこともある。その箕輪氏が訴状でこういう。「原告は、政権党の国会議員としてわが国の防衛政策、外交政策に深く関与してきた。『専守防衛』の是非や実態をめぐり、野党と激しい論争も行ってきた。しかし、今回のイラクへの派兵は、かような原告の立場からしても、明らかに憲法第9条、自衛隊法に違反する」と。さらに箕輪氏は、自衛隊のイラク派遣により平和的生存権が侵害されると主張する。理由として、「イラク戦争によって、国際的なテロの土壌が拡大し、日本国内外で活動し生活する日本人がテロの標的にされる可能性が顕著に増大している。従って、原告の生命・身体、自由、幸福追求に対する権利侵害の危険性が具体性を有するに至っている」ことを挙げる。1973年9月の長沼事件札幌地裁判決が平和的生存権を裁判規範として認めたときの論理は、簡単にいえば、ミサイル基地建設により相手国の第一攻撃目標となり、そのことで「一朝有事の際」に原告らの平和的生存権が侵害されるというものだった。今回は、テロの標的になることが平和的生存権侵害とされている。慰謝料請求の部分ではこういう。テロなどにより「原告自らの生命・身体、自由、幸福追求への侵害の危険をもたらすと同時に、他国の人々に対するそれらの侵害に加担させられるのであるから、これにより受ける精神的苦痛は、人間として平和的に生きたいと考えている原告にとって耐え難いものである。原告は、かかる精神的苦痛に対する慰藉の一部として金1万円を請求するものである」と。裁判所に受け入れられる主張となるためには、当該訴訟を起こす原告としての資格(原告適格)のところでハードルを越えなくてはならない。平和的生存権に新しい光をあてるなどの意味はあるが、実際の差し止めの見込みがあるかどうかはなお検討を必要とする。
  防衛政務次官も務めた箕輪氏の上記主張は、元防衛庁教育訓練局長で現在新潟県加茂市長である小池清彦氏のイラク派兵反対主張(『アエラ』2003年7月28日号、『朝日新聞』7月19日付「ひと」欄など)とも響きあう。小池氏は日本国憲法のことを「平和憲法」と呼び、自衛隊員の服務宣誓問題についても言及している。箕輪氏や小池氏のみならず、野中、古賀、加藤といった、三代にわたる自民党幹事長経験者が批判するのも、ひとえに、「自衛のための必要最小限度の実力」としての自衛隊を、イラク特措法のような、時限立法でかつ特措法という手法でどさくさ紛れに海外に出し、かつそこで武力行使を行わせることによって、米国ブッシュ政権との約束を果たそうというのが、小泉政権の無謀な「政治的冒険」だからである。「国際貢献」という美しい言葉に幻惑されて、小泉政権の「自衛隊の政治的利用」を許さないという点では、いま、幅広い一致が成立するのではないか。
  なお、短期間にもかかわらず、この訴訟の弁護団として、北海道内の各弁護士会から109名の弁護士が参加しているという(2月6日現在)。

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