「ライターやってます」。最前列で真先に手を挙げた生徒が、そう自己紹介して質問をいくつもぶつけてきた。半年ほど前、ゼミ合宿で北海道に行ったとき、江別市の立命館大学付属慶祥高校で講演した時のことである。質問はどれも的をついていて、傍聴していた私のゼミ学生が、「えっ、あれで高校生なの? 」と圧倒されていた。それが今井紀明君(18歳)だった。その後彼はメールニュースを自分で編集して、私にも送ってきた。最後の私宛メールのなかでは、劣化ウラン弾キャンペーンを立ち上げてがんばっていると書いてきた。しばらくメールが途絶えたと思っていたら、突然、8日夜のテレビニュースに彼の姿が大写しになった。彼を含む日本人3人がイラクで武装グループに拘束されたという。顔がすっと冷たくなるのを感じた。直後に書斎の電話がなった。彼と一緒に私の講演を聴き、今年早大に入った彼のクラスメートからだった。涙声である。同級生たちや仲間ですぐに署名運動を始めたという。
『朝日新聞』9日付によると、武装グループの「声明」(要旨)には、「米軍は我々の土地に侵略したり、子どもを殺したり、いろいろなひどいことをしているのに、あなたたちはその米軍に協力した。…あなたがたは二者択一をしなければならない。自衛隊が我々の国から撤退するか、それとも彼ら(3人) を殺害するかだ」とある。深刻な事態である。ニュースで彼らのことをテロリストとか誘拐犯といっているが、そもそもイラクがいまどういう状態なのかを考えれば、そうした「平時」の常識は通用しないのだろう。「我々の土地」「我々の国から撤退」という表現に、テロとは違って、土着性を一特徴とするパルチザン的な響きをもつ。もちろん民間人誘拐という手段は間違いである。だが、イラクがいま戦闘状態にあることを忘れてはならないだろう。
独裁国家であれ、国家が存在していれば、武力対立はそれなりの形をとる。ところが、ブッシュ大統領がやったことは、フセイン政権を武力で崩壊させるという国際法違反の「政権転覆」と占領であった。旧政権の残党が抵抗勢力となって、武装抵抗闘争を継続するのはいずこも同じである。ブッシュ政権は「9.11」以降一貫して、「味方に出来なくてもいいから、敵にしない」という戦略をとれず、「味方にできる者まで敵にする」という最悪・最低の手法をとってきた。そして、ついにシーア派全体を敵にまわしてしまった。イラクはいま、「万人の万人に対する戦争」と評される完全な内戦状態に突入した。国際を問わず、職業を問わず、何をされても、何があってもおかしくない状態である。政治的・軍事的手段として民間人殺害や誘拐なども起こり得るし、便乗組が身代金目的誘拐を行うことだってある。そうした最悪の時期に、最悪の方向から(混乱のファルージャ近郊を通るコースで)、今井君たちはイラクに入ったのだ。情勢判断が甘かったとしか言いようがない。自衛隊派遣前ならば、まだ「日本人である」ことにいくばくかの「甘え」も期待できた。だが、自衛隊が占領軍の一角を占めたという認識が広まるにつれ、日本人であることが危険になった。しかも、「劣化ウラン弾」調査というなら、放射能対策を含めて周到な準備が必要だった。彼は「自分だけ守るなんて、イラクの人たちに失礼だから」と言って、防塵マスクを持参しなかったという。残念としかいいようがない。問題意識の鋭い、行動力のある若者だが、これからもっと基礎的な「修行」も積んでほしい。そのためにも、彼を無事帰国させなければならない。
ところが、事件発生以来の小泉首相をはじめ政府首脳の論理にはあきれるばかりである。邦人保護の実務を担当する外務大臣は、拉致問題の時とは一変して家族とすぐに会ったりして、懸命にアピールしながら動いている。だが、首相と官房長官の言葉は何と空疎に響くことか。
8日夜段階で、「自衛隊を撤退せず」の姿勢が全世界に流れた。十分な情報や検討に基づいた判断というわけではなく、「自衛隊はイラクの人々のため人道・復興支援に行っている。撤退の理由はない」という官房長官のシラッとした一言が一人歩きしていった。首相も、「テロリストの卑劣な脅かしに屈してはいけない」(9日)といつもの瞬間タッチ断言法で軽く応じた。だが、武装グループが「3日以内」と期限をきり、「撤退なければ生命なし」と言われているのに、上記のように軽く断言してしまうことは「人質の見殺し」と同義になる。少なくとも、世界はそういう判断を政府はしたと見る。「自衛隊撤退せず」の報に最も早く反応したのは誰か。「イラク統治評議会」など、「復興支援」で感謝するはずのイラク側からは何の反応もない段階で、ラムズフェルド米国防長官が真先に歓迎の意を表した。小泉政権は「日本国民を見殺しにして、ブッシュ政権に忠誠を示した」と評される所以である。
私は、「脅迫に屈してはならない」「撤退はあり得ない」という議論に与しない。しかし、「人質の解放のために、自衛隊を撤退させよ」というだけでは不十分であると考える。私の立場は、そもそも自衛隊の派遣そのものが違法な占領に加担する行為であって、ブッシュ政権が一年前に開始した侵略戦争の幇助と考える。だから、派遣をする前から反対してきた。百一歩ゆずって、仮に派遣に賛成する立場であっても、派遣は法律に基づいて行われる。その法的根拠はイラク特措法である(私は違憲と考えるが)。このイラク特措法によっても、あの時点での自衛隊派遣は特措法違反の疑いが強かった。2条3項には、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」地域で実施するとあり、派遣前から、イラク各地で米兵に対する抵抗勢力の攻撃が継続しており、サマワ周辺もこの要件に該当するとは到底言えなかったからである。「非戦闘地域」という表現は2条3項を短くまとめたものだが、3月下旬頃からイラク南部のシーア派地域でも戦闘が激化。4月に入ってイラク全土が完全な内戦状態に陥ったと見ることが可能だろう。これは、自衛隊を撤収しなければならない事態になったことを意味する。自衛隊宿営地付近に迫撃砲弾らしきものが着弾した時点で、イラク特措法8条5項事態になったと解される。すなわち、「当該活動を実施している場所の近傍において、戦闘行為が行われるに至った場合又は付近の状況等に照らして戦闘行為が行われることが予測される場合には、当該活動の実施を一時休止又は避難するなどして当該戦闘行為による危険を回避しつつ、前項の規定による措置を待つものとする」。いま、自衛隊は宿営地の外での活動を中止して、引きこもっている。「なぜ人質を助けにいかない」という主張をネットで読んだが、法律上は8条5項に従って「引きこもる」のが正しい。自衛隊員の犠牲者を出す前に、イラク特措法8条4項に基づき、「防衛庁長官は、実施区域の全部又は一部がこの法律又は基本計画で定められる要件を満たさないものとなった場合には、速やかに、その指定を変更し、又はそこで実施されている活動の中断を命じなければならない」のである。人質事件とはまったく別に、独自の判断で、自衛隊の活動の中断して、全部を撤退させるべきなのである。それに対する米国の怒りがどんなに大きくとも、世界は日本政府の決断を支持するだろう。なぜなら、イラクが内戦状態になった責任は、ひとえにブッシュ政権にあるのだから。そうした可能性を「カード」にして、武装グループ側に日本が自衛隊の活動の中断をする姿勢を示すことが大事なのである。これは「テロの脅迫に屈する」ことではない。自衛隊派遣の継続に、正当性も合法性もなくなったことを意味するだけである。特に違憲のイラク特措法にさえ反する状態になっているという点が重要である。防衛庁長官が8条4項に基づく中断命令を出さないならば、大臣として職務怠慢であり、かつ「命じなければならない」という8条4項に違反することになる。国会は大臣の責任を追及すべきであろう。
福田官房長官のように、「復興支援をしているのだから撤退しない」と本気でそう思っているとすれば、独善と傲慢も甚だしい。主観的には「復興支援」のために来たといっても、占領当局(CPA)の枠内での活動であって、現実に米軍と一体と見られ、深い恨みをかっているのは事実なのである。個々の自衛隊員がどんなに誠実に努力しても、やがて失望と絶望が深い恨みとなってはねかえってくる。今からでも遅くない。直ちに撤退すべきである。
いま、普通の市民が、人質を解放させるために、さまざまな活動を展開している。インターネットの普及で、署名活動の素早さは目を見張るものがある。そうしたなか、『北海道新聞』4月10日付によると、札幌市の上田文雄市長が9日午後、カタールの衛星テレビ局アルジャジーラにファックスを送り、札幌在住の今井君を含む3人について「いずれも平和運動に携わっている方々であり、拘束されるいわれはない」と訴えたという。ブッシュ政権の機嫌ばかりうかがう中央政府とは異なり、人質となった札幌市民(今井君)の安全を守る立場にある自治体の首長として、実に大切なメッセージをかの地に送ったと思う。札幌弁護士会有事法制反対本部長時代、私を弁護士会の講師に招いてくれたこともある。弁護士らしい的確な行動である。これからも、国とは違った論理で、日本の自治体の責任者が声を挙げていくこと、それを世界に知らせていくことはきわめて有効である。もともと日本に対して好意的なイラクの人々に対してもそれが伝われば、これからの真の復興支援の大切な足がかりとなるだろう。いま、日本の市民や自治体が、中央政府とは違ったアングルから平和的外交力を発揮する「とき」である。