9月18日、パシフィコ横浜で開かれた全国青年司法書士協議会(全青司)第33回全国研修会で基調講演を行った。与えられたテーマは「司法書士と人権」である。 2002年の司法書士法改正により、司法書士の仕事と位置づけが変わった。「国民の権利の保全に寄与する」から「国民の権利の保護に寄与する」に目的規定が変わった(司法書士法1条)。「基本的人権の擁護」(弁護士法1条)を使命とする弁護士と同じように、簡易裁判所の訴訟代理権を与えられた司法書士もまた、「人権の保護」の活動の担い手として期待されている。「基本的人権の擁護を自らの使命とし、自らに問い直すべき時ではないでしょうか」(プログラムより) という課題を掲げて、全国各地から集まった青年司法書士(心は今も青年という人も含めて)に語りかけた。その反応や、私も参加したハンセン病問題シンポジウムについては、全青司副会長・小澤吉徳氏が静岡県の会員向けに書いた文章に詳しい。大阪の女性司法書士からの熱いメールも許可を得て紹介する。
講演では、当日起きた「事件」を冒頭に持ってきた。それは、「日本プロ野球70年史上初のストライキ」である。NHKラジオ「新聞を読んで」のノリで、「スポーツ新聞を読んで」から始めた。
実は会場に向かう途中、「スト決行」という大見出しが踊るスポーツ紙をたくさん買い込んだ。東急東横線、 9月18日午前11時30分渋谷発、元町・横浜中華街行き特急電車で、ボールペン片手に、スポーツ紙の束をガサガサやっている変な人を見かけたら、それは私です。講演は1時からなので、講演内容の大幅な差し替えに使える時間は車内の30分だけ。目の色が変わっていたと思う。さて、前置きはこのくらいにして本題に入ろう。
当日の各紙の論調ははっきり分かれた。一般紙の社説タイトルを見ても、「ストを生かせ」(『朝日』)と「ファン裏切る“億万長者”のスト」(『読売』)と、実に対照的だ。スポーツ各紙では、『日刊スポーツ』と『スポーツ報知』が対照的な紙面づくりをしていた。
スポーツ紙には社説はないが、幹部が執筆する「記者の目」欄にその社の姿勢がうかがえる。『日刊スポーツ』の「記者の目」(編集局長)の見出しは「巨人頼みの体質が生み出したスト」。冒頭から「私利私欲ばかりを優先させてきた経営者側の『体質』」を問題にしながら、コミッショナーの曖昧な姿勢も批判している。選手への批判的言及は一つもない。これを受けた識者コメントの構成も、「野球愛していない!」「機構側〔経営側〕を識者がバッサリ」という見出しで、経営側に批判的なコメントばかりが並ぶ。漫画家の黒鉄ヒロシさんのコメントは、「選手とファンは代えはないですけど、経営者はいくらでも首を代えることができる。機構側に野球を愛する姿勢がないから、話し合いにならんのですよ」と手厳しい。
これに対して、『スポーツ報知』の「記者の目」(運動第1部長)は「なぜ今そんなに結論を急いだのか」という見出し。「ストライキはやるべきではなかった」で始まり、「リストラ、給与カットが日常茶飯事の世の中、ストで解決しようという労組は、今や皆無だ」と、選手批判を前面に押し出している。受けの紙面は、「損害賠償請求へ」という大見出しのもと、労働法の専門家のコメントを軸に、統合反対はストライキの理由にならないとして、ストの正当性を問題にする。「9月中の土日4日間で60億円の損失」という縦見出しと連動して、選手会側に不利なデータをさまざま挙げて、選手会側を揺さぶる紙面構成で一貫している。なお、他のスポーツ紙も、プロ野球史上初の体験に戸惑いながら、おおむね上記二紙の論調の間でバランスをとる。『東京中日スポーツ』の「記者の目」(プロ野球担当デスク)は「ストの是非は論及しない」と逃げて、「なぜ徹夜で話し合わないのか」というあまり面白くないスタンス。『東京スポーツ』は、「古田批判噴出・選手会分裂」(15日付)とか、「スト賠償、パ・リーグが支払え」(19日付)という形で斜に構えて、他紙との違いを目立たせようと懸命だ。
ストライク (strike)を投げることに全力をあげる投手も、すべてストライキ(strike)に参加した。「スト」、「組合」、「団体交渉」(野球界では、協議・交渉委員会という)といった言葉が新聞の一面を彩り、人々の話題の中心になるのも珍しい。思えば、「スト」という言葉が連日新聞のトップを飾ったのは、「スト権スト」(1975年11月26日~12月3日)が最後だろう。公労協がスト権奪還のために抜き打ちストを実施。国鉄全線が 8日間、192時間ストップして、市民生活に大きな影響を与えた。「スト権のためのスト」に、市民の堪忍袋の尾も切れた。憲法28条が労働3権を保障し、そのなかに争議権(ストライキ権)も保障されている。だが、ストは自己目的化されてはならない。それは、最も必要な場面で、最も効果的に、しかも市民の支持も得ながら行われる必要があった。約30年前の「スト権のためのスト」は、その後の労働運動に巨大なマイナスの影響力を与え続けた。ストというものがネガティヴな響きを持って語られるとき、約30年前の出来事は一種の「トラウマ」になっているようだ。それに対して、今回のストは、ファンや市民の高い支持と共感を得たのが特徴である(共同通信調査では7割がスト支持) 。「週末に野球が見られないのは困るけど、今後のプロ野球のためにはストもやむを得ない」という「街角の声」は、市民の平均的意見を代表していたように思う。もちろん、必死の思いでチケットを買ったファンや、球場周辺で商売をしている人々のダメージは大きいが。
それにしても、プロ野球選手のストというのは実に新鮮だ。渡邉恒雄オーナーから「たかが選手が」と言われた人たちが組織する労働組合日本プロ野球選手会は、 1985年に東京地労委で労働組合としての資格認定を受けた。この選手会を「たかが選手会」として無視することはできない。団体交渉に応じなければ、不当労働行為となる(労組法7条2項)。「たかが」という侮辱的態度で臨めば、団交誠実応諾義務違反だ。正当なストに対して損害賠償を請求することはできない(労働組合法8条)。一人ひとりの選手の声は小さくても、自らの権利を守るために団結したとき、それは法的に保障された「力」となる。選手会が日本プロ野球組織(NPB=日本プロ野球機構)に対して団体交渉権をもつことは、選手会が行った仮処分申し立てに対する東京地裁 (2004年9月3日) と東京高裁 (9月8日) の決定においても確認されている。
しかし、交渉開始の時点でも、経営側から選手会の労働組合性に疑義を生じさせるような発言が続いた。「多額の年俸をもらう金持ちが組合だって?」という揶揄の仕方は、『読売』 18日社説だけでなく、いくつかの週刊誌にも見られた。労働組合法3条は、労働者の定義として「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者」となっており、プロ野球選手もこれにあてはまる。18日付『読売』社説の「億万長者のスト」という汚い表現はタメにする議論だろう。加えて、高額所得者の数はさほど多くはなく、野球選手の多くは地味な収入である(2軍選手はかなり低い)。労働組合プロ野球選手会の組織率は100%。1、2 軍の選手 752名全員が加盟している。今どき、この組織率はすごい。また組合委員長(古田会長)の信頼度も抜群である。団体交渉のあとの試合に出て、きちんとヒットを打っていい成績を出すなんぞはさすがである。なお、選手会について詳しくは、プロ野球選手会事務局長のインタビューを参照のこと。
もう一つの論点は、球団合併問題や新球団の参入問題は経営事項であり、組合との団体交渉を義務づけられる事項ではないという主張である。経営側はこれを一貫して主張し、「違法スト」だとして損害賠償を起こす理由として挙げている。だが、野球協約 79条では、各球団の支配下選手は原則70名までに制限されている。二つの球団が合併すれば、一球団分の選手が契約解除になる可能性が高い。球団合併凍結や必要な措置を協議・検討するように求めることは、選手の労働条件と密接不可分な関係にあり、ストライキ要求として正当なものと言える。先の東京高裁決定も、球団合併について「組合員の労働条件に関わる部分は、義務的団体交渉事項に該当する」と判断している。経営側が球団合併問題を、選手やファンをないがしろにして唐突に決めようとしたところに今回の問題の発端がある。球団合併を交渉事項にのせて、条件闘争に持ち込んだ古田会長の手腕は見事だった。スター選手を含めて、すべての選手が一致団結してストを実施し、他方、ファンサービスとしてサイン会などをやったことが、このストへの支持を高めることに功奏した。
9月23日、日本プロ野球組織(NPB) と労働組合日本プロ野球選手会は、来季の新規球団参入に向けて、NPBが加盟申請の審査を速やかに進めることなど7項目の合意書に調印した。その結果、25、26日に予定されていたストは中止された。これで、当面、セ・パ両リーグの6球団制が維持される見通しとなった。
わずかな期間に、プロ野球の抱える困難について、市民の関心は格段に高まった。「プロ野球ファン」のアイデンティティを自覚させるのにも効果があった。この国に、こんなにプロ野球に熱い思いがあったのか。スト後の試合に観客が殺到したことからも、うがった見方をすれば、落ち目のプロ野球を注目させる高等戦術だったと言えなくもない。「たかが選手」と言って選手会を激怒させた前オーナーがそこまで狙って発言したとは思えないが、新球団参入が緩和され、仙台に新たな球団が生まれる動きが短期間に進んだのも、「平時」ではあり得ないことだ。「スト」という「有事」の緊張感のなせる技である。
プロ野球の構造的赤字と経営危機は楽観できない。だが、経営側が、球団数を削減してこれを乗り切ろうとしたところにそもそもの問題があった。森永卓郎氏によれば、「明日伸びんがために今日縮む」として、 1920年代に「財界整理」という形の弱小企業の淘汰が行われたが、このやり方と似ているという。この整理の結果、需給バランスは回復しなかった。リストラや過剰債務企業の淘汰などを過剰供給力の削減は、決して需給バランスの回復をもたらさない。供給削減によるデフレ脱却策を「清算主義」というのだそうだが、それが決して成功しない理由は、供給が削減されると、需要も道連れで減ってしまうからだという。企業を清算したら巷に失業者が増えて、消費も投資も減る。今回の経営側の狙いは、小泉構造改革の手法を野球界に応用して、球団の削減をはかろうとしたわけだ。だが、二つの球団を合併すれば、自動的にファンが一つになるわけでは断じてない。球団の削減はファンの減少につながる。早い時期に、このことに気づくべきだった。思い切って地方に球団の拠点を拡大することが、新たな野球ファンを発掘し、全体として活性化をはかるという道もある。先の見えないプロ野球危機のなかで、選手会のストは、そうした問題解決の方向を、ファンや市民に具体的に投げかけるという役回りを果たしたと思う。
もちろん楽観は許されない。『東京スポーツ』 24日付が書いているように、NPBがスト回避後に、パ・リーグ6球団の白紙撤回をするシナリオもあるからだ。古田会長が、「(NPBは) 信用できませんか?」と記者に逆に尋ねて笑いをとった場面があったが、その不安は完全には消えていない。ともあれ、経営側から、「ファンの考えを無視しては野球界は動かない、と痛感した。本気でやるつもり。いいチャンスをいただいた」(阪神社長)という声が出ているように、日本プロ野球史上初のストライキの効果は、選手にもファンにも経営者にも、その原点の大切さを知らしめるという意味があった。「たかが選手」たちが投げた問題提起のボールは、清々しいストライクだった。