私の「歴史グッズ」のなかには、米軍関係のものが多い。最近入手した「お宝」は、第二次大戦中の日本軍の地雷各種を揃えた訓練セットである。日本軍の93式地雷や棒地雷など7種がセットになっている。すべて本物の地雷だが、当然火薬は抜いてある。工兵隊が地雷除去訓練に使用したものらしい。英語と日本語の解説がついている。かなり珍しいものだ。地雷については、他の地雷と一緒に、「わが歴史グッズの話(15)」としてまとめて書くことにして、今回は、米軍関係の「小物」を紹介しよう。
まず、全世界の米軍基地内にあるカフェや将校クラブのマッチ類である。マッチ・コレクターが集めたものらしいが、米軍基地関係だけに徹しているところが面白い。相対的に空軍基地が多い。中身もきちんと入っており、少しシケっているが、実際に使える。米海兵隊のキャンプ・ハンセンに金武町長(当時)と入った際、将校用レストランでステーキを食べたことがある。そのレストランのマッチはこのなかには含まれていなかった。それにしても、すごい数である。このマッチを並べてみると、全世界に展開する米軍基地がいかに多いかを視覚的に感じることができる。基地内の施設もいかに充実しているか。特に在日米軍基地は「思いやり予算」でかなりいいものが建っている。これはチャルマーズ・ジョンソンの言い方をすれば、米兵とその家族の快適な生活を維持するために米軍基地は存続するのであって、決してその逆ではない。
次に、米軍三沢基地内で使われた「1ドル代用通貨」である。これは大変珍しい。横田基地や岩国基地など、それぞれに代用通貨があったようだが、私が入手できたのは三沢基地のものだけである。同じく三沢基地内の事務所で使われていた電話機も入手した。受話器を置くところに、基地内の「緊急電話」のシールが貼ってある。救急車も火災も憲兵隊もすべて「911」である。ちみなに、基地の外、というよりも日本全国は、火事と救急については「119」である。「9.11」事件の前から「911」を使っているのだが、緊急電話911というのは、何とも意味深である。
「昭和飛行基地」の灰皿はレアものである。「昭和基地」といっても南極観測隊のキャンプのことではない。旧軍の立川飛行場時代、その西方に、昭和飛行機工業の敷地があった。そこが一定時期、「昭和基地」となった。ゼロ戦パイロットの訓練センターになっていた。ここから特攻パイロットも飛びたっていった。戦後、立川基地とともに、ここは米軍が接収。1951年12月5日に米空軍軍用犬訓練センターが置かれ、軍用犬50頭が飼育されていた。これらの軍用犬は訓練が終わると、弾が飛び交う朝鮮戦線に送られた。この灰皿は、その「昭和基地」内で使われていた大変珍しいものである。なお、米軍立川基地は、1977年に完全返還された。
さらに、朝鮮戦争当時の米空軍パイロットの「サバイバル・ハンカチ」がある。国旗の下、各国語で、「私は米国人です。遭難して途方にくれています。どうか私を加護して米国人のもとへ帰れるように取り計らってください」という趣旨の文章が並んでいる。日本語、ハングル、中国語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、英語、ビルマ語、ヒンズー語、ウルドゥー語の10カ国語で書いてある。通し番号は「00205F」。朝鮮戦争当時のものだが、ヒンズー語やウルドゥー語まで入っているということは、米軍の活動範囲がいかに広いかが、このサバイバル・ハンカチからもわかるだろう。
このワッペンは、関係者が米本土の米軍払い下げの店で入手したらしい。米軍パイロットはよく、爆弾や戦闘機の機体に不気味なマンガや絵を描くことが少なくない。それにしても、このワッペンは不気味である。爪の長いトラが、中東諸国に目がいっている。同じようなワッペンはトマホークの基地がある地方で売られていたものらしい。
最高機密ファイルも入手した。イミテーションだが、なかなかリアルにできている。これに対して、国家安全保障ファイルは本物である。なかをあけると、筆記用のレポート用紙がはさんであるが、下に転写された可能性のある部分まではすべて削除されていた。
米軍関係の「グッズ」はまだまだたくさんあるが、今回はこのへんにしておこう。