「対話の不在」克服への道  2005年6月6日

国訪問記をUPする。「直言」で韓国を扱ったものとしては12本目になる。3年前の韓国訪問の3回連載が最初で、まとまったものとしては、昨年、ソウル大学と延世大学で講演した際の4回連載がある今回の訪韓は、韓国公法学会(会長・粱建漢陽大学校教授)の招待により、同学会で報告するためである。総会テーマは「北東(東北)アジアの平和・繁栄と公法における転換」。午前の部は招待講演で、京畿道Sohn, Hak-Gyu知事の「北東アジアの変化と21世紀へのリーダーシップ」、中国社会科学院Wu, Xinping教授の「中国憲法転換の傾向」、私の「日本における憲法改正の動向」の3本である。
  
講演依頼の趣旨は、日本における改憲論の動向について、憲法調査会や政党、財界、国民の意識などについての分析と評価を教えてほしいというものだった。参加者には拙編著『改憲論を診る』(法律文化社)関係箇所の要旨を韓国語に翻訳したものを配り、実際の報告では3点にわたり、私見を述べた。①改憲の動きがどこまできたか、その到達点と問題点について、②改憲に向かう日本の複雑な内部事情、③東アジアの今後にとって、日本の改憲がもつ意味についてである。昨年、延世大学で講演した際、同大教授の質問(「日本国憲法9条は、第二次世界大戦で日本が被害を与えたアジア諸国に対する一種の『国際公約』の性格をもつから、それを変更するにはアジア諸国民の同意を必要とするのではないか」)への応答の意味を込めて、憲法改正の「歴史的限界」について語った。日本国憲法の改正は、第96条所定の手続に従い、衆参各議院の総議員の3分の2の賛成で国会が発議し、国民投票の過半数の賛成が得られた場合、天皇が「直ちに」公布して完成する。憲法改正の限界についても、平和主義をなくすような改正は許されないが、何らかの自衛措置を盛り込む9条2項改正はその限界に含まれないとするのが多数説である(私自身は9条全体が改正限界に含まれると解するが)。講演のなかで私が「歴史的限界」と述べた意味は、憲法9条を変更する場合、それが誕生した歴史的経緯を踏まえて決断することが、あれこれの考慮要素の一つに解消され得ない、歴史的モラールの問題としてあるということである。質疑のなかで、「憲法解釈の問題としては無理がある」という趣旨の質問が出された。公法学会である以上、当然予想される当然の質問だった。私は、国民国家の憲法の改正について、他国の国民の同意をその成立要件とする解釈が困難なことは認めつつも、改正にコミットする主体すべてには、そうした歴史的意味合いを踏まえた決断が求められていると述べた。それは戦後補償裁判などで日本に問われている歴史的課題でもある、と。
  
思えば、 2年前に大法院と大検察庁を訪問したが、今回、韓国の主要な学会の一つとの交流ができたことは、私にとって大変光栄であると当時に、意義深いものとなった。

  学会翌日の日曜日は快晴だった。気温29度。ソウル大学大学院に留学中の二人の日本人に案内してもらった。長野祥光さん(来年4月からNHK記者)と東大先端科学技術研究センター研究員の中村真帆さんである。列車で独立記念館のある天安市に向かうことにした。ソウル駅のコンコースには、竹島(独島)問題歴史教科書問題のパネルが展示してあった。しばらく観察していたが、立ち止まってパネルに見入る人の数はあまり多くはなかった
  1時間ほどで天安に着いた。独立記念館はとにかく大きい。日本の歴史教科書問題に対抗して、80年代にできた施設だけに、「日本人」としてここを訪れるのにはそれなりの覚悟がいる。長野さんが受付で聞いたところ、日本語版のパンフは現在製作中であるという。
  
展示館は、韓国史の流れに沿って並んでいる。生々しい写真やリアルなジオラマ、資料類が目に飛び込んでくる。日本統治時代の展示は日本人にショックを与えるといわれが、私にとっては、昨年の訪韓の際に訪れた西大門刑務所の展示とその展示方法の方が衝撃的だった。今回の統一記念館は、古代から中世、近世、現代という形で韓国の歴史を時間軸で描いていく。展示館ごとに、それぞれのテーマが打ち出される。日本統治時代は確かにひどいが、全体を「反日」でとりまとめたというより、韓国がいかにすばらしい国であるかを押し出し、ナショナリズムを覚醒させるような「工夫」がされているようである。西大門刑務所と同様、日本統治時代の残虐な拷問シーンなども蝋人形を使ってどぎつく描かれているのだが、それは20センチほどの幅の窓からのぞくようにしてあって、西大門刑務所よりも抑制された印象を受けた。ただ、小さい子どもが見られるように踏み台がセットされていて、大人は屈まないと見えないように窓は比較的低い位置にある。子どもに配慮した展示方法だろう。判断力がまた備わっていない子どもに、残虐な蝋人形を一方的に見せるやり方がいいのかどうか。この点は、西大門刑務所について書いたときの指摘があてはまるだろう
  ちょうど、小学校低学年の児童が30人ほど見学に来ていた。お揃いのTシャツを着て、胸には「独島(竹島)Love、国家Love」という意味の言葉が刷り込んである。子ども向けのアニメーションの部屋にも入った。赤い丸がみるみるうちに恐ろしい形相の竜巻にかわり、それが人々を飲み込んでいく。それが日本を意味することは誰にでもわかるようになっている。このアニメの展示コーナーは、参観者の足元の下の方に、いろいろな職業の恰好をした等身大の人形が並んでいて、じっと参観者を見つめる仕掛けになっている。アニメの「反日」イメージに、その多数の「眼差し」の迫力が加わる。ふと横をみると、中村さんの顔がこわばっていた。

  これだけを見れば、「日本が嫌いにならないのが不思議」ということになろう。だが、学会のあとの懇親会などで韓国の学者に意見を求めると、一部の「ネタ切れの右翼」とマスコミが反日的傾向を煽っていると指摘する人もいて、「反日」的傾向があまねく広まっているという見方は正確ではないといわれた。実際、今回はソウルと天安市しか行かなかったものの、「反日」的な動きというのはほとんど確認できなかった。むしろ、独立記念館から戻って天安駅に着くと、突然、駅前から聞きなれた曲が大音響で流れてきたのには驚いた。ソーラン節ではないか。駅の方に歩いて行くと、日本からきたという人たちがソーラン節を踊っている。次いで、日本人と韓国人のチームが一緒になって、韓国の踊りをやっていた。独立記念館の最寄りの駅ではあるが、聴衆は日本からきた踊り手たちに盛んな拍手を送っていた。
  町中を少し歩いてみれば、DVDやCDなどを含めて、日本製品は若者たちを中心に人々の心をつかんでいる。日本大衆文化統制はほとんど無意味化しつつあるように思う。歴史の問題でも、興味深い話を聞いた。最終日に空港まで送ってくれたソウル大の大学院生・田中俊光さん(法制史)によると、先月行われた韓国歴史学会の歴史教育部会で、次のような報告が行われたというのだ。
  歴史学会で報告したのはパク・ジュンヒョンというチュンギュン高校教諭で、報告のタイトルは「歴史教育における韓日関係と民族主義」である。以下、報告を聞いた田中さんの情報(報告文の抄訳)に基づいて、その高校教師の学会報告を再現する。

  韓国歴史教科書における日本の記述は、古代~高麗は文化後進国、高麗以降は侵略者としてのみ描かれている。文化的な恩恵を仇で返す日本に対して、「抵抗的民族主義」が登場する。植民地解放後、韓国の政権は、国内世論の反対(朴正熙政権の韓日基本条約締結)や自国のファッショ化した姿(軍部の独裁や民主化闘争の武力鎮圧)を隠蔽するため、民族主義を利用してきた。この流れは、現在にも至っている。韓国近現代史における民族主義は、姿を変えながらも、日本を媒介にして増幅してきた。 あるネット討論のサイトに「よう子が泣いています」という書き込みがあった。日本人生徒の「よう子」が通う韓国の学校と反日感情に満ちあふれた歴史教師が登場する。独島〔竹島〕と日本の歴史教科書問題が深刻化するにつれ、よう子に対する周囲の感情も悪化しており、よう子がかわいそうだ、という内容である(事実かは不明)。数日でこの書き込みに数万のアクセスがあり、返事の書き込みは数千件にのぼった。報告者〔朴教諭〕が授業で二つのクラスに同内容を読ませて、感想を聞いた。
  感想は、①「よう子がかわいそう。理性的に対処すべきだ」が45人(70%)、②「よう子はかわいそうだが、強硬に対処すべきだ」が8人(13%)、③「よう子の苦痛は当たり前。強硬に対処すべきだ」が11人(17%)だった。
  
以上の結果から、韓国が被った被害とともに、日本人が戦争で受けた痛みも教えることができれば、歴史教育にとって、韓日間の普遍的価値や人類の良心に基づく平和の意味を教えることができるだろう。
  韓日での共通教科書作りが進められようとしている。実際に、韓日の英語教師は、食べ物に関する英語の共通教科書を作成した。報告者は、授業で日本の歴史教科書を副教材として紹介し、生徒に自ら考えさせる方法をとっている。韓国の国史教育は、「世界史としての韓国史」を標榜しながらも、その視点が全く欠如している。また、失敗の歴史、故意に隠している歴史、政権によって変わる歴史を反省すべきである。

  韓国歴史学会における上記報告は、韓国の学校のなかのごく一部の話かもしれない。だが、自国の歴史に対する批判的眼差しをキープしながら、「韓日間の普遍的な価値や人類の良心に基づく平和の意味」を教えようと日々努力している教師たちがいて、それに応える、理性的で想像力豊かな生徒たちは確実に存在する。これはすばらしいことである。どこの国でも、いずこの時代でも、ナショナリズムが不自然な形で高揚するのは、時の権力が何らかの弱点を抱えているときである。この報告者が指摘しているように、「故意に隠している歴史」や「政権によって変わる歴史」への反省は重要である。これは私たち日本の市民の課題でもある。朝日新聞ヨーロッパ総局長の外岡秀俊氏は、「『過去の克服』今も進むドイツ、日本に残る『対話の不在』」という評論のなかで、英国のアジア研究者の興味深い話を紹介している(『朝日新聞』5月26日付オピニオン面)。「ドイツは植民地の多くを第一次大戦で失った。日本には、戦前から植民地化した台湾や朝鮮半島、旧満州の問題がある。そこが大きな違いだ。…英仏など欧州の宗主国は、戦後10年から20年をかけて植民地が独立するまで、つらい葛藤の時期を体験した。どうしたらお互いの信頼を勝ち得るかで悩み抜いた」。他方、敗戦直後に植民地を切り離された日本は、冷戦構造に組み込まれ、旧植民地の多くと対話が途切れた。そこに一種の「記憶の空白」が生じた。歴史認識の問題の根っこには、その「対話の不在」があったという指摘である。
  
この外岡氏の指摘は、一昨日のNHKラジオ「新聞を読んで」(6月4日放送)でも紹介した。韓国と日本はいま、さまざまなトラブルを抱えている。こうしたトラブルを「日本バッシング」ととる見方もあるが、韓国や中国やアジア諸国から日本が無視される「日本パッシング」よりはずっとましである。むずかしいトラブルも多いが、しかし一つのチャンスと考え、「対話の継続」をしていくしかないだろう。そうしたとき、お互いの経験を交流しあうことが何よりも大切である。韓国の教師たちの教育実践を、もっと日本の教育現場にも知らせて、お互いに問題意識を磨きあうことが求められているといえよう。

付記:韓国公法学会会長の粱建教授、事務局長の金性洙教授、企画全般について金昌禄教授ほかスタッフの皆さまに感謝申し上げます。Special Thanks for Prof. Kun Yang, Prof. Sung-soo Kim, Prof. Chang Rok Kim and other staffs.