もっともなことが書いてあっても、誰がそれをいったかによって、「うーん」となることがある。例えば、女優の杉田かおるさんの著書に『杉田かおるのあなたと行きたい京都』という本がある。京都出身の女優が京都案内でも出したのかと思いきや、東京・新宿生まれの「すれっからし」を売りとしてきた女優の京都旅行記だった。あの寺がいいとか、ここのレストランが美味しいといった類の本である。杉田さんは40歳の「負け犬」(結婚できない女性のことを揶揄した言葉)で、会社社長と「玉の輿」結婚をして「セレブ」へ。一時期はテレビも週刊誌もこの話題でもちきりだった。そして、半年もたたないうちに、今度は派手な離婚騒ぎを起こしている。配偶者に対する発言の一つひとつが、「そこまでいうか」というほどに品がないもので、それをマスコミがおもしろおかしく書きたてる。そういう女優に、京都案内をしてもらいたいと思うひとはどれほどいるだろうか。そもそも京都の情緒や奥ゆかしさとは最も距離のありそうなタイプの女優と知っていて、編集者はこういうタイトルをつけたのだろうか。
この本と同じようなミスマッチの文書が最近出た。自民党の「新憲法草案」である。「杉田かおると一緒にするな」とのお叱りを覚悟でいえば、この起草委員長は誰あろう森喜朗氏である。私はこの直言で「森首相」という言葉を使ったことがない。「森喜朗起草委員長の新憲法草案」と、「杉田かおるの思いやり・やさしさ言葉講座」という本がかりに存在したとすれば(『杉田かおる語録』というのは実際にある!)、両者の間の距離は、私にとってはさほど遠いものではない。
8月1日、自民党新憲法起草委員会(森喜朗委員長)は、11月の自民党結党50年周年に公表予定の憲法改正草案の条文案を初めて公表した(『朝日新聞』8月2日付に全文が掲載)。11月に向けて議論を詰めるというが、「第1次案」とされるこの段階のものでも、自民党の「新憲法構想」の大半が示されたと見ていいだろう。内容を見ると、1955年以来の自民党の改憲要求からすれば、野党との一致も可能な「最大公約数」的性格のものへ、自らの主張を「抑制」ないし「後退」させている点が特徴といえる。こんな草案で、結党50年を迎える党の同一性(アイデンティティ)が保たれるのかと心配にもなる。ただ、「自民党をぶち壊す」と叫んで衆議院を解散しそうな「総理・総裁」をいただいて、もともと一枚岩ではなかった自民党が、いま、このタイミングで結党以来の「最大限要求」を前面に押し出すことに躊躇したことは想像にかたくない。今回の草案を見ても、日本国憲法とはまったく違う、「ラディカルな新憲法」を提示する気迫と気力が、日本の保守勢力にはもはやないという印象を強くした。つまり、自民党とそれを支える保守的支持基盤にも、日本国憲法の価値原理の認識が定着したといえなくもない。今回の「新憲法草案」は、「日本国憲法=押しつけ憲法」論の最終的終わりを意味するものといえよう。ただ、私は、今回の草案にまだ前文がないことに注目したい。憲法調査会などで自民党の議員たちは、「国柄」だの「文化」「伝統」だのと威勢よくぶちあげていただけに、しかも、「翻訳調の憲法前文」と口をきわめて非難してきただけに、一体、どんな名文・美文の前文案が出るのかと注目してきたが、今回の「新憲法草案」からは、まるで「未完成答案」のように前文がスポッと脱落している。前文がまだ公表されていないことが、今回の「新憲法草案」だけで全体を判断することになお慎重となる所以である。
さて、「新憲法草案」は、条文としては全10章、99カ条からなる。「新草案」は、すでに歴史的使命を終えた憲法100条から103条までを削除して、最高法規の99条までを、章だても変更せずにそのまま踏襲している。内容はさておき、この形式面に限っていえば、自民党の党是である「押しつけ憲法を廃して、新憲法を制定する」という大義からすれば、かなり「マイルド」というか、控えめなものという印象である。読売改憲試案や各種の改憲案に比べても、改定箇所は少なく、微調整にとどまっている。あえていえば、「現行憲法迎合的な新憲法草案」といえるだろう。改憲案への分析・コメントはあちこちで書いてきて、いまさらという論点も多いが、1955年から改憲を党是としてきた自民党が、本格的な「新憲法草案」を初めて打ち出したということで、重複をいとわずコメントしておこう。
まず、「新草案」の最も大きな改定箇所といえば、やはり、第2章「戦争放棄」であろう。1カ条と二つの項からなる第2章を、タイトルだけ「安全保障」に変更して、条文は「9条の2」と「9条の3」を追加し、全部で10項にもなる。「平和憲法」としての本質的特徴をなす9条2項を削除して、「自衛軍」の保持を明記している。重要なことは、「自衛軍」の任務として「国際社会の平和及び安全の確保」を定めたことであろう。「自衛のための必要最小限度の実力」という点では、「わが国」の領土、領海、領空が前提となるが、「国際社会の…活動」という形にすれば、「自衛軍」の活動対象と活動範囲は大きく広がる。「わが国の基本的な公共の秩序の維持のための活動」というのは日本文としても曖昧だが、これは対テロ作戦をはじめとする、「自衛軍」の国内出動の根拠規定として想定されているのだろう。「国際法規・慣例」に従えば、軍隊というのは基本的に自由に展開・活動できる。だが、日本は、現行憲法9条2項の厳格な禁止規範性のゆえに、「専守防衛」など、軍事的合理性からすれば「軍隊」の使用に関する過剰かつ過度な抑制がきいてきたのである。9条の3で国会の承認やら「統制」やらを書き込んだところで、9条2項の禁止規範があっても巨大化した違憲の現実がある以上、それが抑制力を発揮できるか甚だ疑問である。むしろ、違憲の現実の事後的正当化という側面が強い。長期的に見れば、世界が個別軍隊の使用を抑制して軍縮に向かうというときに、日本は「普通の国」の「普通の軍隊」を持とうというのだから、これはもうアナクロニズムでしかない。
「新憲法草案」の第2の特徴は、憲法改正手続の緩和だろう。96条で国民投票は残しつつ、国会の発議段階で、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」というハードルを、「各議院の総議員の過半数の賛成」に緩和している。この点に関する批判は、すでに読売改憲試案批判のなかで行っているので、それを参照されたい。ともかくも、96条の改正手続の緩和は、与党にとっては憲法改正の安易化、簡易化への道を歩むものといえよう。
第3の特徴は、人権制約原理として、「公共の福祉」のかわりに「公益及び公の秩序」という文言を用いた点だろう(新草案12、13、22、29条)。これは、「公共の福祉」が曖昧、抽象的という批判に一応こたえたものだが、「公益及び公の秩序」の定義しだいでは、人権制約原理としての不明確性はより深まるだろう。
第4に、64条の2で「政党」条項を新設している点だ。ただ、従来の政党条項の主張に比べれば、かなり「穏和」な内容にとどまっている。ドイツ基本法21条のような、政党禁止や内部組織のあり方規制などは存在しない。なお、「新草案」の64条の2の第2項は「政党の政治活動の自由」を定めるが、第4章「国会」に置かれた条文としては、おさまりが悪い。
第5に、「軍事に関する裁判」のための軍事裁判所設置がうたわれている。これが9条2項削除と連動して、今回の新草案の一つの「白眉」をなす。現行憲法では76条2項が特別裁判所の設置禁止により、軍法会議はもとより、軍事刑事裁判所のいかなる形態の設置も許されなかった。そこで、9条の2や3によって「自衛軍」の保持や任意を明確にした上で、隊員の「軍法」違反について軍事裁判所で特別に裁判することの必要性が出てきたわけである。この点は、陸幕防衛部の二佐の「改憲構想」が軍事司法制度について正面から提言していたことが反映しているのだろうか。
第6に、政教分離原則の緩和も狙われている。20条3項で「社会的儀礼の範囲内にある場合を除き」という形で一定の「枠」を設け、さらに、財政支出の面で政教分離を求める89条にも、同じ文言が用いられている。「社会的儀礼」の解釈いかんによって、従来の政教分離原則の適用がかなり抑制される可能性が高い。靖国問題を含めて、政教分離原則の相対化を促進する狙いもあるだろう。
第7に、権力分立の弱体化も孕んでいる。第8章「地方自治」では、自治体の役割及び責任、住民の負担の義務を強調し、95条の地方自治特別法の住民投票を「削除」している。自治体に自助努力を求めながら、数少ない直接民主制の要素を薄めることで、国との関係における垂直的権力分立を弱めるおそれもある。
さて、「新草案」の特徴をごく簡単に概観してきたが、では、今回の草案をどう見たらよいのだろうか。
『朝日』8月2日付の識者コメントで、評論家の宮崎哲弥氏は、自民党の「新草案」のことを、「驚くほど謙抑的な改定にとどまる」と書き、「現行憲法との齟齬や矛盾のみを埋めようとする姿勢に貫かれて」いる点から、「抑制的な内容であるがゆえに与党が自民党であるか否かにかかわらず、これからの憲法改定の有力なたたき台として歴史的な役割を果たすであろう」と評価している。結論の当否はともかく、この自民党草案の評価としては、宮崎評価がポイントになると私も思う。超保守的な改憲論と護憲論を批判してきた宮崎氏は、『朝日』書評で拙編著を「憲法の本義を再考するために、あるいは改憲論を錬磨するために、一読の価値あり」と評した。編著者としては、大変ありがたい言葉ではある。宮崎氏は以前も私の書いたものを批判的にコメントしているが、その宮崎氏からすれば、今回の「新憲法草案」は好感度が高いのだろう。自民党が天皇元首化や、復古的といわれる内容を盛り込んだ改憲案を出さないで、現行憲法の枠内で、9条2項と96条を軸に手をつけるという点ならば、他党との交渉もやりやすいだろう。そこが狙い目ともいえる。その意味では、前文が「民族」やら「伝統」やら「国民の義務」だのを復古調の文体で押し出せば、今回の「新憲法草案」における「抑制的な効果」は失われるだろう。自民党が11月までに準備している前文案をめぐって、これからまだ議論に時間がかかるようである。そういう意味では、11月前に公表される「前文案」もまた、予想より「おとなしい」、自民党らしからぬものになる可能性も否定できない。それよりも、もし、解散・総選挙になれば、とうの自民党がいまのままの形でいられるのか微妙である。というわけで、今回の「新憲法草案」のコメントも当面、「抑制的」なものにとどめておくことにしよう。