今回は、「わが歴史グッズの話」連載15回として、この間に入手した地雷の話をしよう。地雷や地雷探知器については、この連載の第4回で一度扱ったことがある。今回のものは、カンボジア・ラオスの取材旅行で入手した旧ソ連製のPOMZ2M型棒地雷である。こうした地雷が埋まっている危険地域には、地雷原を示す赤い標識が掲げられている。この地雷は、先月、慶応義塾志木高校の講演会にも持参して、教材提示装置を使い、700人の全校生徒を前にして映写した。本物の地雷の迫力に、高校生たちも驚いたようである。
この地雷をよく見ると、細かい切り込みが入っている。なぜか。破片ができるだけ多く飛び散り、殺傷効果を高めるためである。それと、多くの対人地雷の火薬量は、大腿部が吹き飛ぶ程度に、つまり「死なない程度」に調整してある。これは実に合理的に計算されているが、見方を変えれば「悪魔の発想法」かもしれない。つまりこうである。三人の敵が攻めてくる。もし一人がこれを踏んで即死すれば、残りの二人が仲間の仇とばかり、怒りに燃えて突撃している。戦力は33%減。だが、大腿部を吹き飛ばされ、即死しなければどうなるか。残り二人は、七転八倒する仲間を見捨てておけず、両脇を抱えて後方に下がるだろう。これで戦力100%減となる。加えて、足を失った若者のケアを考えると、即死するよりも長期にわたり、家族や国家に負担を強いる。こうやって、敵にダメージを与えられるという計算である。
最近入手した米軍の訓練用地雷セットについては、すでに簡単に触れた。第二次世界大戦末期のものである。左側が旧日本軍の99式地雷、右側が93式地雷である。車両や戦車を狙った地雷である。大きくて重いのは、対戦車地雷である。米軍が、旧日本軍の本物の地雷から火薬を抜いて、工兵の訓練に使ったものである。信管や細かな付属品もすべてついていて、旧日本軍の地雷に米軍がどのように対処していたかを知る上でまたとない歴史資料といえる。箱の蓋には、日本語混じりの解説文が、箱の蓋に書いてある。
米陸軍省(War Department)の『日本軍ハンドブック』(1944年9月) の現物も入手した。そこには日本軍の地雷について詳しい説明がついている。日本軍のことを米軍が熟知していたことがわかる。
自衛隊の対戦車地雷のケースも入手した。対人地雷禁止条約によって、対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲などが国際法上禁止された。日本も批准。先頃、陸上自衛隊はすべての対人地雷の廃棄処理を終えた。だが、この条約では対戦車地雷は対象外である。それゆえ、対戦車地雷はいまもたくさん保有されている。このケースの中身は、M6A2というタイプである。これは「対戦車重地雷」と呼ばれ、5キロの爆薬を鉄製の容器に詰めたもので、総重量は9キロである。すでに紹介したが、私は72式対戦車地雷も持っている。演習用のゴム製だが、けっこう重量がある。同じく、自衛隊が訓練で使用した63式対人地雷と67式対人地雷も入手した。
警察予備隊、保安隊時代の古い資料の束のなかから、保安隊『戦術教程』第7編「地雷戦・爆薬及び爆薬」(部外秘)が出てきた。これを見ると、米軍の地雷戦のマニュアルをそのまま翻訳して使っていたことがわかる。『野戦築城第3部(陸自教範77-04-11-52-2)』(陸上幕僚監部、1978年1月)には、地雷の運用法が詳細に記述されている。対人地雷は使用不可のため、この部分は過去のものとなった。現在、陸自が使用する教範からは削除されているはずだが、歴史的意味があるので、対人地雷の記述を紹介しよう。
「対人地雷は、人員を殺傷する目的で使用するもので、通常、破片式対人地雷(APf) と衝撃式対人地雷(APb) に分類される」。写真にある63式対人地雷は跳躍式で、138グラムの炸薬(TNT) と200個から300個の弾子をプラスチック容器に詰めてある。20センチから1メートルの高さに跳躍して破裂し、弾子により人員を殺傷する。有効半径は約4メートルである。もう一つの67式対人地雷は衝撃式で、9.5グラムの炸薬を入れてある。これを踏んだ人員の靴や足を貫通させるか、装輪車両のタイヤをパンクさせる。どのくらいの重さで爆発するかというと、8キロから12キロ以上の圧力が働いたときというから、犬でもこれを踏めば吹き飛ぶわけである。
地雷の敷設については、「地雷の活性化」がいわれている。「活性化」とは、設置した地雷を除去しようとする「敵」を殺傷することである。地雷を動かしたり、持ち上げたりしたら爆発するように設置する。その際の注意事項として、「できるだけ探知・除去を困難にするように着意する」とある。仕掛け地雷については、「人間の習慣・好奇心・欲望等人間性」の利用が説かれている。例えば、「習慣」では、ドアをあける、受話器をあげるという動作に着目して仕掛けること。「好奇心」では、珍しい物品等を選ぶこと。「欲望」では、「人間は物欲心を持っているもので、この心理を利用して貴重品・酒・たばこ等のし好品・飲食物に設定位置を選定する」とある。「休養」では、腰掛け、寝台、ストーブに仕掛けることが推奨されている。
どこの戦場でも、民家や町のあちこちに、こうした「活性化」された地雷が多数あって、民間人を殺傷している。人の心の裏をかいて、そこに地雷を仕掛ける。こうした「着意」は地雷の運用法という点では合理的なのだろうが、カンボジアなどでも問題になったが、大雨で地雷が流され、敷設した側もどこにあるかわからなくなってしまうことが多い。
ところで、イラク取材で知られる綿井健陽氏が、『朝日新聞』5月11日付の連載記事「戦争取材の現場から(その3)」で、「小さな破片」という文章を書いている。「『戦争は破片だ』『小さな、ほんの小さな破片が人を殺していく』。そんな言い方を講演などですることが多い」と綿井氏は書き、イラク戦争が始まる前、人々が窓ガラスを粘着テープで補強する姿を描きながら、彼らが戦争を通じて破片の怖さをよく知っているからだ、と指摘する。「ピンポイント爆撃」「精密誘導爆弾」といって表現は、爆弾を落とす側の身勝手な論理・言葉にすぎない。彼らは破片の怖さを知らず、また、見ようとしないだけだ。高度一万メートルもの上空から落とされるミサイルや爆弾は、無数の金属片となって飛び散り、最後はコンクリート片やガラス片が頭や内蔵に突き刺さって人を殺す。日常生活で使っているモノが「凶器の破片」となる、と。
まったく同感である。ちょっと考えれば、爆弾やミサイルが爆発しているところやその周辺でどんな状況か起きているかは容易に想像がつくだろう。しかし、「落とす側」の視点に立ったニュース映像からは、その悲惨さは感じられない。地雷も同様である。特に対人地雷は、戦争が終わってからもその地域で「活性化」して、農民や子どもたちの足を吹き飛ばしている。アフガニスタンでもモザンビークでも、世界中でこの「活性化」した地雷が、いまも人々の生活を苦しめていることを忘れてはならない。綿井氏の「小さい破片」の指摘は重要である。
付記:8月いっぱい、「直言ニュース」の配信は停止しています。なお、更新は毎週続けます。