Denkpause というドイツ語がある。「考え直す時間」「頭を休めるための休憩」といった意味だが、今年6月16日のEU首脳会議について報じた17日付ドイツ各紙は、この言葉を使った(例えばFAZ vom 17.6) 。半年近く前のことだから、ほとんどの人はこの会議のことを覚えていないだろう。私は、ドイツ紙の“Denkpause”という見出しが印象に残った。首脳会議がそうした「時間」をとったのには理由がある。加盟国のうちの10カ国が欧州憲法条約を批准したものの、フランス(5月)とオランダ(6月)が国民投票で否決という結果になって、この条約の成立が頓挫したからである。首脳会議では、欧州憲法条約の批准プロセスの取り扱いについて協議がなされ、批准期限の延期が決定された。「首脳宣言」には、「我々は、フランスおよびオランダにおける国民投票の結果に留意する。これらの結果は、欧州建設への市民の熱意に対して疑問を差し挟むものではないが、考慮に値する懸念および恐れを表明したものであり、その故、この状況を熟考することが必要である」とある。そして、2006年前半に、この問題を再度検討することで合意した(各紙)。
欧州各国はそれぞれに深刻な国内矛盾を抱えている。性急に憲法条約の批准を進めず、「考慮に値する懸念を…熟考する必要がある」とするところが、“Denkpause ”とされる所以だろう。「熟慮(熟議)の民主制」という議論があるが、国際関係においても、そうした考え方が応用されてよいように思う。
それにひきかえ、いまの日本外交はどうだろうか。熟慮も熟議も感じられないどころか、日米関係の一部(ブッシュ・小泉関係)を除けば、日本は対外政策的に全方位で行き詰まっており、外交は完全に停滞ないし後退の途上にあるといってよいだろう。佐藤優氏(『国家の罠』の著者)も指摘するように、いまの日本外交には、ロシアにも中国にも韓国にもきちんとしたチャンネルが存在せず、外務省は「イデオロギッシュな親米派」に支配され、危機的な状況にある。そのことを集中的に表現されているのが、EU首脳会議からジャスト5カ月後の今年11月16日、京都で行われた「日米首脳会談」であった。「世界の中の日米同盟」「日米同盟を最優先」といった見出しが踊る。『朝日新聞』までが「日米同盟」という言葉を括弧抜きに使うようになって久しい。日本国憲法の国際協調主義は、国連の集団安全保障を前提にしており、相手国と協力して武力行使も行う軍事同盟の類は、憲法の平和主義に反するものである。ただ、この議論には、ここではこれ以上立ち入らない。
ところで、小泉首相はブッシュ大統領と金閣寺を仲良く散策したあと、共同記者会見でこう言い放った。「日米関係が緊密であればあるほど中国、韓国、アジア諸国とも良好な関係が築ける」と。アジア各国よりも「日米同盟」を最優先する考えを強調したもので、これはもはや外交ではない。アジア外交は、中国や韓国を軸に、アジア各国との密接な関係を築いていく独自の努力が求められるのである。特に、日本は周辺諸国と領土問題を含めてさまざまな問題を抱えており、誠実で粘り強い外交努力が求められる重要な段階にある。それを首相ともあろうものが、「米国との関係さえよければ、中国や韓国との関係はおのずからうまくいく」といわんばかりの傲慢な物言いと態度をとったのである。アジア諸国との関係、特に中国、韓国との関係は急冷した。実際、胡錦濤国家首席との会談は行われず、盧武鉉大統領との会談も冷やかなものだったという。あのような発言を、中国や韓国を刺激することがわかってやったのなら危険な挑発であり、もし気づいていないなら、それだけで外交を語る資格はない。憲法上、内閣の事務である外交処理権を危なくて任せられない。
『朝日新聞』11月17日付「時々刻々」で紹介されていた外務省幹部の言葉にも驚いた。「ここまではっきり言えば、韓国も中国もあきらめているでしょ。来年は8月15日に靖国に行くかもね」。やけくそでいった言葉なら理解できる。ところが、記事にはこの言葉に対する何のフォローもない。「…と、外務省幹部は半ばあきれ顔で語った」という形ならば、外務省幹部のスタンスもわかるし、記者の立場も見える。でも、この記事にはそれがない。「あきらめているでしょ」といってしまう外務省幹部は、佐藤氏のいう「イデオロギッシュな親米派」と推測されよう。
さて、外交には正確な歴史認識が必要である。フランスの『クーリエ・アンテルナシオナル』誌・日本担当記者のクロード・ルブランはいう。「欧州統合は半世紀と言われるが、何世紀もの争いの果てに19世紀後半から普仏戦争、第一次、第二次大戦と続き、もう戦争はできないという帰結点に達した。統合は、まさにそこからの50年なのだ。これに対し、アジアは19世紀半ばまでは中国が君臨し、植民地時代から冷戦期には、よそ者である欧米、旧ソ連が支配した。アジアの戦後は帰結点ではなく、出発点にすぎない。そこを忘れると近隣の付き合い方を誤る」(『朝日』11月8日付)。「戦後60年」で日本の政治家の発言は、ドイツの政治家たちのそれとは雲泥の差だった。小泉首相の、歴史に対する「傲慢無知」と不誠実な態度には、「出発点」という認識がまったく感じられない。もしもドイツの首相が、「米独関係が良好ならば、フランスやポーランドとの関係もおのずからうまくいく」といったらどうだろうか。絶対にあり得ない想定だろう。ドイツにとってのフランスは、日本にとっての中国にあたり、ポーランドは韓国にあたる。旧西ドイツがブラント首相の東方外交以来、ポーランドにどれだけの気をつかってきたか。今年は、ポーランドのワルシャワ・ゲットー記念碑の前でブラント首相が跪いてから35周年にあたる。フランスとドイツの関係はおそらく史上最も良好といっていいだろう。この二つの国との関係を慎重に着実に改善してきたからこそ、ドイツは欧州統合の基軸にいられるのである。中国と韓国に対して、あそこまで突き放した物言いをした小泉首相。日本のアジア外交は10年以上後退させられたといったよいだろう。
オランダのジャーナリスト、カレル・ウォルフレンは、「繭にこもる『日米』孤立」という評論のなかで興味深い指摘をしている(『朝日新聞』11月7日「時流自論」)。ウォルフレンは、日米に共通しているのは「孤立」だとする。ただ、その意味するところは日米両国で異なる。ブッシュ政権は「空想に生きる全く能力のない政権」と酷評されており、いま支持率は3割台にまで急落している。そのブッシュ政権に寄り添い、ベタつく小泉首相の姿は異様である。ウォルフレンはいう。
「ペットは世話が要る、主人との関係は保護が前提だ。しかし米国の孤立主義は単独行為であり、他国への配慮もしなければ、相互依存の意識にも欠けている。この60年、日本を含め米国が同盟を結んだ国々は、米国にとっての従属国以上のものではなくなってきた。しかも、かつては存在した米国の保護さえないまま、新たな大きなリスクに直面している。日本の政治エリート集団は、その事実さえ認識できなくなってしまった」と。
では、小泉首相や「イデオロギッシュな親米派」の外務官僚に対して、なす術がないのだろうか。ここで重要なことは、「外交は政府の専権事項」という古い発想を克服することだろう。危険な小泉外交をこのまま暴走させないためにも、発想の転換が求められる。その際の重要なキーワードが、「外交国会中心主義」である(浦田一郎『現代の平和主義と立憲主義』日本評論社)。
憲法73条は、内閣の事務として、外交関係の処理(2号)と条約の締結(3号)を挙げる。条約の締結に関してのみ、国会の承認を要求する(3号但書)。これに対して、条約締結以外の外交関係については、国会の権限について憲法は具体的に定めていない。そこで浦田一郎氏は、外交における国民主権としての「外交民主主義」を基礎に、外交に関する最終的決定権を国会に認める「外交国会中心主義」を提唱している。まず、日本国憲法の国際協調主義は、国際的理想の追求(前文2項)、国家主権の相互尊重(同3項)、戦争放棄(9条)、国際法規の遵守(98条2項)などが外交理念を直接に規定するとし、このようにして特定化された国際協調主義が外交を規定していくと捉える。条約締結は外交の記念をなし、それについて日本国憲法は国会の承認を要求していく対外権の本質を議会と政府による「共働権」とみる見方が必要であり、国会は条約締結について「最終的な決定」を下しているとする。そこで、外交の基本枠組に関して、最終的決定権は国会に認められていると解される。この立場からは、国会は、条約に関する承認権に限らず、外交全体に関する最終的決定権を有するとされる。
1960年6月、日米安保条約は、衆議院の国会承認権の行使だけ(しかも強行採決)で、参議院は審議にも入れず、結局、「自然成立」(30日以内に参議院が議決しなかったとき。憲法61条)した。第一院のみの承認で45年間、日米安保条約は、その「極東条項」をまったく改定せずして、「世界の中の日米安保」に変質しようとしている。これは国会の条約承認権を、いわば裏から系統的に侵害するものといえよう。
国会の場で、小泉首相の対アジア外交や、日米「同盟」一直線の外交姿勢をもっと追及すべきだろう。「国会外交中心主義」という議論に魅力を感じつつも、ある種の虚無感が漂うのは、国会の審議能力の低下、とりわけ60年代、70年代に見られた、安保・外交問題での激しい論戦がなくなったことにもよる。
小泉首相に「考え直す時間」(Denkpause) を期待するのがそもそも無理というものなのだろう。