2006年に入って3週目の1月17日。メディアはにぎやかだった。この日は、阪神・淡路大震災の11周年、第一次湾岸戦争の開戦15周年の日である。朝刊各紙は、16日夜に東京地検特捜部がライブドア本社などを証券取引法違反(虚偽風説流布等)で捜索したことをトップ記事で伝えていた。午後には、1988年に起きた連続少女誘拐殺人事件の宮崎勤被告の死刑が確定した。午後1時半に最高裁判決が出るとニュース速報が流れ、その15分後、衆議院国土交通委員会で、耐震強度偽装問題のヒューザー・小嶋進社長に対する証人喚問が行われた。16日のライブドア捜索をきっかけに、株価は急落。東京証券取引所が取引停止に追い込まれた。これらの出来事は一見無関係に見えても、奥深いところでつながっている。「9.11総選挙」でピークを迎えた小泉「改革」による歪み、ひずみ、たわみ、ほころびが、ここへきて目に見える「かたち」になってきたように思う。
それにしても、17日までのメディアや世間の風潮は異常だった。法律の隙間やグレーゾーンを巧みに泳ぎまわり、「稼ぐが勝ち」「人の心も金で買える」など、一昔前なら口にもできないような本音を突出させ、有頂天になっていた「ホリエモン」。自民党執行部が重用し、先の総選挙でも、メディアに最も露出度の高い「刺客」として貢献したことは周知の通りである。だが、16日夕方から、メディアは彼とその会社に対する評価を一変させた。それまで「時代の寵児」「勝ち組・負け組社会の成功者」としてさんざん持ち上げてきたのに、その変わり身の早さは相変わらずである。
17日、自宅で朝毎読+東京の4紙一週間分の新聞切り抜きをやったが、『東京新聞』14日付一面トップ記事を見て、「目が点に」なった。「ホリエモンになりたい?! 今年の大学受験/経・商学部が人気」という大見出し。大手予備校の調査を紹介したもので、今年の受験傾向は、経営学部や商学部を志望する学生が増大しており、「最近のIT関連企業社長による企業買収の動きが受験生に魅力になっている」という。文系で最も人気のあった法学部が、法科大学院ブームの陰りから志望者減になっているのが影響しているともいう。法学部に行っても弁護士になるのは難しい。そこで、ライブドア社長らの企業買収などへの関心から、経営学部や商学部に向かう。安易で軽薄な世間の風潮は、受験生の志望動向にも確実に反映する。拝金的問題意識から資格オンリーの受験生も増えている。こういう風潮に便乗して、大学の側でも、短絡的な「ニーズ」に迎合した施策が次々と行われている。何とも苦々しい限りである。「ホリエモンに憧れる受験生」というトーンで記事を書いた記者にも、この記事を通したデスクにも、「ホリエモンになりたい?!」というと大見出しを打った整理部記者・デスクにしても、そうした志望動向への批判的眼差しは感じられない(?!を付けてはいるが)。土曜夕刊の一面トップは、大事件でもない限り、「遊び」的要素の記事が掲載されることが少なくない。でも、もし掲載が一週間あとだったら、記事のトーンはまったく別のものになっていたことだろう。
なお、一橋大大学院教授でM&Aの解説など、メディアに頻繁に登場する佐山展生氏のホームページに、ライブドア捜索翌日にUPされた「お金は第一の目的か」というエッセーを見つけた。曰く。「小さな子供がお金を儲けることを目的に投資ゲームに興ずる。小さな子供には、生き物を愛することや他人への思いやりの気持ちを教えるのが先ではないか。人間としての基礎を築かないといけないときにその装飾にとらわれてはいけない。…お金を稼ぐことを第一の目的にしている人には真の友達はできない。子供や若者は、豊かな心を養い、いい仕事をすることを目指して欲しい。お金はその結果として入ってくるかも知れないものではないかと思う」。同感である。
それにしても、まだ地検特捜部が証券取引法違反容疑で家宅捜索を行い、関係者に任意で事情聴取を始めた段階である。メディアはすでに「ホリエモン逮捕」のカウントダウンを始め、新聞各紙は予定稿の準備に入った。メディアが最も注目するのは、①逮捕・捜索、②起訴、③公判、④判決という一連の過程のなかでは、①の逮捕・捜索段階だろう。「疑わしきは被疑者、被告人の利益に」という原則は吹き飛び、「犯人」確定のような扱いである。組織的な事件では、事務所や本社が捜索されるのが一番注目される。これで世間の評価は確定してしまう。検察事務官らが列をなして建物に入る映像が、お馴染みのシーンになった。この初発の段階でのイメージ確定によって、かりに後の裁判で無罪になっても、社会的評価を逆転させることはかなり困難である。別件捜索・差し押さえの手法で、より重大な事件を立件する可能性もある。「虚業の見本市」みたいな人物や会社ではあるが、メディアの豹変とともに、社会的に袋叩きになっている姿を見ると、「おごれる者久しからず」の哀れを感じると同時に、市民が捜査をきちんと監視しないと、「国策捜査」の定着をみることにもなりかねない。市民が関心を失わないことが大切だろう。
なお、「ホリエモン」事件で「改革」を後退させてはならないという言い方をする人がいるが、「The 有頂天ホリエモン」こそ,小泉「改革」の副産物ではないのか。彼を持ち上げてきた評論家やコメンテーター、政治家(特に武部自民党幹事長)などの言い訳は見苦しかった。ちなみに、前述の経営・商学部志望者は、検察官に憧れて法学部志望に転ずるのだろうか。「ホリエモン」の思考と行動も、それに対するメディアの豹変も含めて、あまり気分のいい話ではない。
さらに「1月17日」にこだわってみよう。この「1月17日」という日には、合衆(州)国が膨張・拡大していく上で象徴的な出来事がいろいろと起きている。例えば、米西戦争(1898年)の結果、米国は、キューバやフィリピン、グアム島を獲得したが、実は1895年1月17日に、ハワイで米海兵隊がイオラニ宮殿を包囲したことはあまり知られていない。共和制派は政庁舎を占拠。王政廃止を宣言した(「ハワイ革命」の日)。ハワイ王国は滅亡。1898年にハワイは米合衆国の準州になった。
その翌年、1899年1月17日、北太平洋の環礁、ウェーク島(6.5平方キロ)を併合した。ケーブル敷設基地の設置のためである。西へ南へと領土を増やし、ついにハワイやウェーク島を併合して、米国は世界一の大国になっていった。主力空母を避難させた上で、日本に真珠湾を攻撃させ、「リメンバー・パールハーバー」というわかりやすいと国民統合のキーワードを駆使して第二次大戦で勝利するや、アジア・太平洋地域から英国、フランス、スペイン、オランダの植民地を一掃。太平洋の覇権を一気に獲得した。そして、これらの地域に米軍基地を展開していく。冷戦構造が崩れたあとも、全世界の米軍基地の維持が至上命題となり、自己目的化され、それに応じた「危機」が創出されていく。
そういう視点から1991年1月17日を眺めてみると、この第一次の「湾岸戦争」は、米国の世界戦略上、きわめて重要な出来事であったことがわかる。イラクのクウェート侵略は、米国によって挑発されたものという見方が有力である。「飛んで火に入る夏のフセイン」である。イラクのクウェート侵攻は、その前月の7月25日に米国の駐イラク大使が、「国境問題に介入するつもりはない」と発言したことを、フセイン大統領が米国は動かないと誤認したことによる。だが、戦争に至る全経過を見ると、こうした発言を含めて、米国はイラクに対してクウェートへの侵攻を挑発したふしがある。その後のメディア操作を含めて、ブッシュ(父)政権は、中東地域や旧ソ連地域に食い込む地域に、冷戦後の「新世界秩序」を打ち立てようとした。ブッシュ(父)大統領から「ブッシュホン」で直接協力を要求された海部内閣の右往左往は、その後の「湾岸戦争トラウマ」となっていった。
あれから15年、自衛隊がイラクにまで展開するところまできた。在日米軍基地は、その性格と機能からして、もはや「わが国と極東の平和と安全」を守る「在日」米軍ではない。グローバルな規模で展開する「殴り込み部隊」の積極的なサポートである。そうした目的のための米軍再編は、日本国民の税金を大量に使う問題支出である。思えば、昨年11月15日の自民党結党50周年の日。党大会も予定されていたが、ブッシュ大統領の訪日と、皇室の結婚式のため、22日に延期された。小泉首相は京都でブッシュ大統領と会談し、金閣寺の前でツーショットを撮って、「世界のなかの日米同盟」などという安保条約違反(極東条項)の言説をぶちあげた。ブッシュは「手土産」として、米国産牛肉の輸入再開を獲得した。農林水産の現場では、時期尚早という声も強くあったのに、小泉首相のブッシュへの「思いやり」的な政治決着であった。それからまだたいして時間も経過していないのに、先週中旬、米国産牛肉から、BSEの病原体が蓄積されやすい脊椎が見つかった。肉眼でチェックしてすぐに見つかったというから、日本もなめられたものである。農林水産の現場の動きは早く、短時間で米国産牛肉の全面禁止となった。けっこうなことである。ブッシュ大統領の手土産にしたつもりだろうが、小泉政権の見込み違いやほころびはとどまるところを知らない。