自衛隊にも「レンタル移籍」  2007年8月20日

「〔自衛官募集にあたっては〕現行の学科試験中心から、ボランティアの参加者等も視野に入れた採用を考えると同時に、ボランティアに参加した若者がなんらの抵抗感もなく〔自衛隊の〕門をたたけるような人事制度をはじめとするシステム作りをしていく必要があるのではなかろうか」。これは、『朝雲』(自衛隊の準機関紙)1995年2月2日付募集面のコラムの一節である。阪神・淡路大震災で、日本全国から多くの人々がボランティアとして救援にかけつけた状況を見て書かれたものである。

  それから12年。市民が自発性と創造性を発揮するボランティアの世界に、とりわけ熱い視線を送る人々がいる。もともと「ボランティア」という言葉には「志願兵」という意味があるとはいえ、特に安倍内閣になって、怪しい雰囲気が漂ってきた。首相は就任当初、大学の9月入学について言及。毎年4月からの半年、高卒者にボランティアをさせることを打ち出し、教育再生会議は早速これを第二次報告に盛り込んだ。こうした動きと連動して、一つの計画が実行に移されようとしている。国や自治体あるいは民間企業に採用された若者を、任期制隊員として自衛隊で暫定的に勤務させる制度の創設である。

  『朝雲』の2007年7月26日付は、「募集環境の悪化に対処」「自衛隊で資質を磨き、任期終え企業に復帰」という見出しと、「新人教育の期間省き、即戦力で配置。企業・公的機関にもメリット」という小見出しを付けて、防衛省が実施を目指す「レンタル移籍制度」について、次のように紹介している。
   6月下旬、防衛省「人的側面の抜本的改革検討会」は、少子・高学歴化で自衛官の募集環境が厳しくなるとの見通しから、他の公的機関や民間企業と競合せずに、「限られた人的資源を有効活用」すべく、サッカー界の「レンタル移籍制度」のような制度を、早ければ2008年にも試行的に実施するよう提言した。本人、雇用主、防衛省の三者の合意を前提に、2ないし3年間、自衛隊の教育・勤務を経て、「社会人としての資質を高め」、採用企業や公的機関に戻る。企業側は新人教育の期間を省き即戦力として配置できる一方、自衛隊側では年間約1万人の新規採用の裾野が広がるメリットがあるというわけである。

  自衛隊の二士〔二等兵〕の募集対象となる18歳から27歳未満の男性人口は、1994年の約900万人をピークに減少傾向にある。2007年には約670万人、2012年約600万人を下回ると見られている。また、団塊世代の大量退職などで企業が採用者数を増やしていることや、大学進学率の増加が見込まれることから、「人的側面の抜本的改革検討会」では、中・長期的に募集環境が厳しくなると予想。新卒者などの獲得競争は必至という判断から、上記の提言を行ったという。その際の工夫は、選手を期限付きに「貸し借り」するプロサッカー選手の「レンタル移籍制度」(本人が希望すれば延長も可)を参考にした点である。

  なお、自民党国防部会も「自衛官の質的向上と人材確保・将来の活用に関する提言」をまとめた(全文は『朝雲』2007年6月14日付3面掲載)。そこでは、自衛官の募集についてハローワーク(職安)を全面的に協力させること、自衛隊法97条1項で、地方自治体が自衛官の募集事務の一部を行うとされているが、「適齢者情報」の提供は全体の約2割しか協力を得られていないので、これを徹底すること、自衛官募集に関して高校・大学等との連携をはかること、就職先として「やりがい、魅力のある自衛隊のブランド・イメージ」を確立して、若者に対する広報を強化すること、などが挙げられている。「准将」「上級曹長」などの新階級の創設、職階に見合う俸給表への改善、退職後の支援を担う新組織の構築、また、隊員が殉職した場合、諸外国と同様の栄誉を与え、賞恤金の上限額も引き上げること、なども提言されている。


   これらを読んで、ここまで来たかという印象である。「限られた人的資源」という言い方そのものが不快だが、少子化に伴う18歳人口減少の問題が、自衛隊と大学、企業の関心事であることは間違いない。18歳の若者を、隊員にするか、学生にするか、社員(高卒)にするかで競い合うのでなく、社員(学生)を一時的に隊員にしてしまうという試みである(なお、本稿の「社員」とは、従業員・被雇用者の意味である)。自衛隊が、それまでの「民間力の積極的活用」の枠を超えて、公的機関や企業に就職した若者の一定数を確保することを意味する。もちろん義務ではない。しかし、就職先の企業から、「自衛隊でしばらく研修してきたらどうか」と上司にいわれて、これを拒否できる社員はまずいないだろう。強制ではないが、「日本的会社主義」のなかでこれが機能していけば、新採用の社員(職員)の一定数が、自衛隊の二士〔二等兵〕して安定的に確保されるわけである。
   こうしたシステムを採用する背景には、新規採用者の研修として、自衛隊に短期間、体験入隊させる企業が増えていることや、退職自衛官を採用した経営者や人事担当者から、「規律正しさ」「真面目さ」を評価する声が出ていることなどがあるという。なお、2006年中に陸自で扱った体験入隊件数は、一般男子が約470件約9700人、一般女子が約70件660人、学生約360件4720人の計約900件約1万5000人とされている。

  新入社員教育を自衛隊の体験入隊で代替させようという企業側の発想にも問題がある。「今時の若者」(いつの時代でもいわれる言葉)は自分本位で、礼儀を知らず、団体行動をとれない。だから、自衛隊という「究極の体育会」で体を鍛え、規律ある生活をして、命令には絶対服従の精神を養う。そうすれば、病欠もせず、残業にも耐えてよく働き、労働組合などには決して入らない、上司の命令には絶対服従の、使いやすい社員になるというわけだろう。だが、早朝起床、国旗掲揚に始まるワンパッケージの訓練は、肉体を使うハードなものであるだけでなく、実は忠誠心を養う精神教育の場として、一種の「国家イデオロギー装置」の役割も果たしている。これは単なる「社員教育」のメニューを超えている。その先には、社員の隊員化、隊員の社員化として、「自衛隊株式会社」、「株式会社自衛隊」の登場となる。

  体験入隊は、陸自の基本教育のエッセンスがプログラムされているので、体育会系サークルの合宿のノリで参加する者や、そういうものとして利用する企業がある。しかし、今回の「レンタル移籍制度」は、そのような体験入隊の比ではない。2ないし3年の間、「自衛隊員」になるわけである。何よりも期間が長い。しかも、任期制隊員の場合、一時的な体験入隊とは異なり、徒手格闘訓練や銃剣術などの近接戦闘訓練や射撃訓練も行われるだろう。こうして毎年1万人の新入社員や職員が戦闘訓練を受けるわけである。その間に、「有事」になれば、彼らは自衛隊法上のすべての義務を果たさなければならない。自衛隊の場合、予備自衛官や即応予備自衛官の制度があるとはいえ、「予備」が決定的に不足しているといわれる。1万人の任期制隊員が毎年、特別の努力もなしにも安定的に確保できるシステムができれば、企業に帰っていく社員や公的機関に戻る職員は、「予備」として活用できる訓練済みの「人的資源」となるだろう。


   さて、市民社会の原則は「討論」と「合意」である。軍隊社会の原則は「命令」と「服従」である。旧軍では一般社会のことを「地方」と呼んで、兵営に入るや否や、言葉一つにしてもすべて一般社会とは切断された。それだけ軍隊というのは特殊な世界である。端的にいえば、人を殺すことが正当化され、要求される世界である。一般社会の普通の感覚のままでは、それはできない。いずこの国でも、「軍隊と社会」というテーマについては、膨大な学問的研究の蓄積があるが、とりわけ、徴兵制が市民社会にもたらす影響の問題は重要であるドイツで1950年代に徴兵制軍隊を導入するとき、当時深刻化していた青少年の非行問題を軍隊の規律ある生活で改善するという理由もあり、社会民主党(SPD)もこれに賛成したという経緯がある。ドイツは、ヨーロッパにおいて徴兵制をまだ維持している数少ない国の一つである。ただ、一般兵役義務制は「民主主義の子」といわれるように、これを簡単に志願兵制にすべきでないという意見は、進歩派のなかにもある。

  かつて、R・コッホというドイツ・ヘッセン州首相(私がボン滞在時は連邦参議院議長だった)が、兵役を、すべての若者を召集する奉仕義務に置き換えることを主張したことがある。各人は、一年間の社会奉仕(福祉や介護など)をやるか、軍人(9カ月)をやるかを選択できる。これにより、良心的兵役拒否は必要なくなり、人々の間の連帯を強めることができるという。それは、公共性へのよき奉仕であると同時に、一般的な奉仕義務は、より多くの正義を生み出すという (Die Welt vom 27.11.2000) 。「一般」兵役義務制にもかかわらず、適齢年齢者の多くが兵役義務を免れており、「防衛公平」 (Wehrgerechtigkeit) は空洞化しているという現実への対応策の一つであり、一種の選択的徴兵制ともいえる。

  「一般奉仕義務」という発想は、しかし、「ボランティアの義務化」ということで評判はあまりよくない。福祉や医療の現場では、ツィヴィ(Zivi)と呼ばれる代替(民間)役務の若者が支えているが、兵役を廃止すればこれがなくなり、医療・福祉・介護が成り立たないという言い方がされる。しかし、そうした社会的に必要なサービスに若者が積極的・自発的に関わっていく仕組みは、兵役とリンクしなければできないというのがおかしいのであって、むしろ、「代役」ではなく、福祉や介護を「本役」とする仕組みを(強制によることなく)創出すべきだろう。ドイツにはそういう意見や提言がすでにある。

  私は、「ボランティアの義務化」は徴兵制につながる、という単純な断定はしない。だが、討論と合意をベースとする市民社会に、命令と服従をベースとする軍隊社会が入り込みつつある。「社会の軍事化」である。これは社会の全構造を軍事的価値で一元化するミリタリズム(軍国主義)とは区別される。だから「軍国主義復活」というトーンでこの傾向を批判するのは筋が違う。徴兵制も軍国主義も、現代日本においてはほとんど有効ではない。ただ、軍隊社会と市民社会との違いが相対化され、市民社会のなかに軍事的合理性が浸透していく傾向はやはり問題だろう。前述のような、企業の新入社員教育を「軍隊的」に実施するだけでなく、社員の一定数を自衛隊の組織に組み込んでしまうというやり方をとれば、軍隊社会のメンタリティを身につけた社員が増えていく。だが、これが企業としての真の社員教育なのかは甚だ疑問である。忍耐強い、規律や秩序を重んずる、上司の命令に絶対服従タイプの社員が、企業にとって常に有益ということにはならないのではないか。

  他方、軍事への人材派遣として、軍隊の仕事を企業が行う例も増えている。民間軍事会社である。世界の160を超える国々で、150万人以上の社員が活動している。イラクだけで3万人の「新しい傭兵」がいる。民間軍事会社の社員である。「有志連合」のどの国の軍隊よりも数が多く、米軍に次ぐ第二の「軍隊」となっている。数だけではない。アフガンでは、大統領の警護は米軍事会社DynCorpが担当し、他社は政府機関や重要施設を警備している。東南アジアや南米では、抵抗運動や麻薬カルテル、軍閥との戦闘まで行っているし、アフリカでは油田やダイヤモンド鉱山を警備している。イラク戦争は、こうした民間軍事会社なしには遂行不可能とさえいわれている (R. Uesseler, Krieg als Dienstleistung : Private Militärfirmen zerstören die Demokratie, 2.Aufl., 2006, S.13f.)。
   1648年のウェストファリア講和条約以来、国家が暴力を独占してきた。しかし、冷戦後、とりわけ「9.11」後は、「ビジネスとしての戦争」「軍事力の民営化」「暴力の市場」「軍隊の『官』から『民』へ」という現象が一気に広まってきた。これに対する規制は十分ではない。暴力の攪拌は、「1648年」が克服した課題を、新たな形で現実のものにする可能性なしとしない。

  日本では、憲法9条が存在するため、「軍事的公共性」が自明のように主張できないできた。ハローワーク(旧職安)のように国民に十分認知され活用されている「公共性」に対して、自衛隊の場合はそこまで「公共性」の認知度は高くはない(本務ではない災害派遣を例外として〔海外出動は本務に〕)。ハローワークや地方自治体に対して、募集業務を徹底してやらせるという発想そのものが、傲慢さのあらわれである。既成事実の積み重ねにより、憲法9条の改正を待たずして、「軍事的公共性」を定着させることも、国防部会提言の狙いだろう。
   さらに、「レンタル移籍」によって、国(自衛隊)、地方自治体、経済界が一体となった「国防システム」の設計も可能となろう。今年1月に御手洗富士夫経団連会長が打ち出した「御手洗ビジョン」(タイトルは「希望の国、日本」)には、愛国心に根ざす公徳心の涵養(官公庁や企業で日常的に国旗を掲げ、国歌を斉唱する)や、2010年初頭までの憲法改正(集団的自衛権の行使の明確化)が挙げられていた。「日本的会社主義」のなかに、継続的に軍事的ディシプリンが組み込まれていけば、新自由主義的「改革」に、「ネオ国家主義」的傾きが加わることになるだろう。その先に憲法改正がくる。こうしてできる「美しい、希望の国」が市民にとって望ましいものであるかどうかは、別問題である。

  最後に強調しておきたいことは、「人的資源」として狙われている若者自身の問題である。彼ら「少子化世代」は、逆にいえば「金の卵」状態であって、「売り手」市場になっていくのだから、受け身でいる必要はないのである。「日本型会社主義」において、自衛隊への「レンタル移籍」を求められても、これを拒否することもできるのではないか。そうしたタイプの「少子化世代」の若者たちは、いつまでも利用され、使われる立場にいるわけではない。そのためにも、しっかり勉強をして、問題意識を磨いておくことが肝要ではないか。


付記:この直言を執筆後、防衛省事務次官人事をめぐる「迷走」が始まった。問題の発生から「決着」の仕方までさまざまな問題を含んでいるが、別の機会に論ずることにしたい。

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