明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
「『人間50年』からの出発」で「年賀状廃止」を宣言してから5年が経過した。「廃止」の意味は、私が年賀状を書かないという行為を指しているだけで、毎年、教え子や友人・知人から届く年賀状は楽しく拝見している。私の方からは、直言や「直言ニュース」によって毎週のように発信しているため、年賀状は「いただくだけ」になっている。まことに勝手ながら、この非礼をお許しいただきたいと思う。
私は今年、55歳になる。四捨五入すると「還暦」である。いつの間にか、そんな年になった。多忙・繁忙が続いているが、幸い、健康を大きく崩すことなく乗り切れたのは、「土」と「音楽」が元気をくれているからだと思う。「土」の話の関係でいうと、この原稿を書いている書斎の窓からは、夏みかんと冬みかんの木が見える。その横には柚子の木が2本ある。年にもよるが、猛暑の昨年は大豊作だった。1000個ほどの実がなった。親戚や職場などに配っても、まだ余る。柚子ジャムを大量にこしらえた。柚子茶にして飲んだりもした。書庫にも柚子の袋詰めが並んだので、家中が柚子の香りに満ちている。でも、この匂いはとても幸せな気分になる。一種の「アロマ」効果だろう。
今から25年前、母が柚子の苗木を庭に植えたのだが、私はその存在にすら気づかなかった。「○○下暗し」で、けっこう家や身近なところには鈍感なので、家族にはいつも顰蹙をかっている。ところが、札幌と広島の大学に勤務している間は気にもとめなかったわが庭にも、最近ではいろいろな発見や効用を認めている。米空軍機の12.7ミリ機銃弾の貫通痕も生々しい塀の一部は、「戦争遺跡」として研究室に展示している。また、先に紹介した庭の果実たちにも、いろいろと関心の目を向けるようになった。今回は特に「柚子」である。毎日の食卓にいろいろな形で出てくるので、ちょっと飽きてきたところだが、昨年の12月22日(冬至)には、風呂がまっ黄色になるような柚子風呂を楽しんだ。高砂親方がモンゴルの横綱朝青龍のもとから帰国して発した言葉ではないが、「肌がツルツル」になった。
柚子には、いろいろな効用がある。何よりもビタミンCが豊富に含まれている。レモンの3倍ともいう。ビタミンPも含有しているようで、毛細血管をいたわる機能もそうだ。クエン酸、酒石酸、リンゴ酸といった有機酸がたくさん含まれているので、疲労回復効果が抜群という。皮にはペクチンが含まれ、コレステロール値を抑制して、成人病の予防効果が。ミネラル分も多く含まれ、血行を促進するので、保温効果もある。柚子風呂は健康風呂ということだろう。
柚子のすぐれた面は他にもある。レモンと比較してみるとわかる。レモンも嫌いではないが、酸っぱさはレモンの方がややきつい感覚が残る。柚子は、どこか、丸みのある酸味である。それと独特のやさしい香り。和食のさまざまな料理のなかに、柚子が一かけら入っているだけで、味に深みが増す。カブラ蒸しや、お吸い物、魚の塩焼きなどを食べているとき、舌に囁くように柚子の香が漂うと、幸せな気分になる。柚子は、小さく、地味で、自己主張はしないけど、料理のなかにほんの少し使われるだけで、確実に味全体を豊かにしてくれる。小さくとも、存在感がある。そして、冬至のときにお風呂に入れて使うという、食べ物なのに、「食」とは異なる使用法が推奨される、珍しい存在でもある。今年も12月になれば、わが家には、この柚子の香が満ちるだろう。
続いて、柚子とは対照的な話。煙草の問題である。さきほどビタミンCという話が出たが、煙草を一本吸うごとに、体内のビタミンCが酸化されて壊れていく。喫煙者はビタミンCを非喫煙者の2倍は摂取しないと、慢性的なビタミン不足に陥るといわれている。それだけでなく、煙草による健康被害については、もはや議論や見解の違いのレヴェルではない。健康に対して、「一見きわめて明白に」有害な影響を及ぼすことは、医学データをあげるまでもなく、その因果関係は明らかだろう。
最近の厚生労働省の調査でも、夫が喫煙者の場合、その妻が肺腺ガンになる確率は、非喫煙者の2倍という数字が出ている(『毎日新聞』2007年12月12日付)。これだけ明確になっているのに、日本では「分煙」のゆるやかな努力義務の段階にとどまっている。
喫煙に関していえば、この1月1日から、ドイツでは全国的に「喫煙禁止」(Rauchverbot)が徹底される。保守系新聞Die Weltの12月16日付には、「2008年は喫煙禁止の年になる」という見出しの記事が載った。2008年1月1日を期して、ドイツ全土で「喫煙禁止」が一般化するわけだ。もちろん、これは連邦法による一律規制ではない。喫煙の規制は州に委ねられている。だから、各州法が一斉に効力をもつことで、全国的な効果をもつに至ったわけである。公共空間においては、喫煙という行為が一般的に禁止され、特定の条件を充足したときに、その禁止が限定的に解除されるという形になる。特別の喫煙コーナー以外では、喫煙行為はできない。非喫煙者を保護し、受動喫煙のリスクを最小限に抑えようという狙いである。
ドイツには16の州があるが、そのうち、ニーダーザクセン、バーデン=ヴュルテンベルク、メクレンベルク=フォアポメルンの3州では、2007年8月1日から、学校、病院、州の官庁施設、飲食店での喫煙が禁止された。長距離特急(州を越える)を含めて車両内も全面禁煙となった。違反者には最高1000ユーロ(約16万円)の罰金である。残りの州のうち、ヘッセン州は10月1日から、バイエルン、ベルリン、ブランデンブルク、ブレーメン、ハンブルク、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン、ザクセン=アンハルトの各州では、2008年1月1日から実施されている。2月1日からは、ザクセン州が、2月15日からはラインラント=プファルツとザールラントの各州も喫煙禁止に踏み切る。ノルトライン=ヴェストファーレンとテューリンゲンの各州も7月から実施の予定である。かくて、2008年半ばまでには、ドイツの16の州すべてで喫煙禁止が実行されることになる。州ごとの規制を通じた全国レヴェルでの喫煙禁止である。個人の嗜好に対する規制でもあるので、国の法律で一律規制をしないところも、連邦制の ドイツらしい。
16州のなかで、やや意外だったのだは、保守が圧倒的に強いバイエルン州で、喫煙に対する最も厳しい法律を制定したことである(Die Welt vom 13.12.07)。キリスト教社会同盟(CSU)の新しい党首G. シュミットが、前の州政府(シュトイバーCSU前党首が州首相)がつくった法案のなかに残っていたすべての例外を削り、オクトーバー・フェスト(ミュンヒェンのビール祭)のテントのなかでさえ、喫煙禁止としたのである。このお祭りの200年の歴史のなかで、初めてのことである。
なお、どの州法も、個人が自らのために喫煙することを禁じていない。主眼は、あくまでも非喫煙者の保護である。公共施設や公共交通機関、駅における喫煙は全面禁止である。喫煙が許される年齢も、16歳から18歳に引き上げられる(日本では、未成年者喫煙禁止法により20歳)。
ワインやビールのテントや祭のテントでは、しばしば喫煙禁止の例外が妥当する。ハンブルクやヘッセンなどの州では、テントのなかの期限付の集会においてのみ、喫煙が許される。だが、前述のようにバイエルン州は徹底していて、上記の例外も認めていない。長年にわたり、CSUは保守的な政策をとってきたので、少し驚いたが、「健康に対して保守的」という点では一貫しているのかもしれない。
喫煙という市民の嗜好に対する権力的介入である点で、憲法論としていえば問題があるからである。
こじんまりとした飲み屋でも、煙草を吸いながら酒を飲む。ドイツではこれが許されなくなる。酒場でも、「飲むなら吸うな、吸うなら飲むな」の原則が徹底されるわけである。酒場や居酒屋などでの全面禁煙にドイツが踏み切ったことは、あれだけビールやワインを楽しむ国民性を考えれば、まさに「飲むなら吸うな」ということになる。
喫煙禁止反対派は、憲法裁判所への憲法異議(訴願)から住民投票までのあらゆる手段を使って、禁煙の強制を再検討させていく構えだ。すでにバーデン=ヴュルテンベルク州の3人の居酒屋経営者が連邦憲法裁判所に憲法異議を申し立てた。続いて、ホテル・飲食店団体の支援を受けたチュービンゲンの一居酒屋経営者が提訴する。喫煙禁止は職業の自由と所有権(基本法〔ドイツの憲法〕12、14条)を侵害する、というのがその主張だ。数人が入ればいっぱいになってしまう。喫煙者と非喫煙者を分離するような部屋を別につくれない。小さな居酒屋では、客の70%が喫煙者で、今年8月1日からの法律施行により、前年に比べて30%以上も客を減らしたという。「分煙」が困難な小さな居酒屋は、存続の危機に瀕するというわけである(Vgl. Die Welt vom 21.12.2007)。
とはいっても、喫煙の制限は「時代の流れ」といえる。あまりにも遅すぎたという感じすらする。煙草を吸わなくても、吸う人の近くにいるだけで、副流煙を吸い込む。受動喫煙の対策は、急がれる必要がある。煙草飲みにいわせれば、酒を飲みながら吸うのが一番うまい、ということになる。だが、食堂やレストラン、居酒屋で煙草が充満すれば、食べ物や飲み物の味にも影響する。喉が痛いときに、隣の人が煙草を吸えば、その煙でむせてしまい、食事どころではなくなる。時、場所、方法における制限が適切に行われれば、「分煙」の効果はより明確になるだろう。
2008年は全世界で、喫煙に対する規制が一段と強まるに違いない。実はこれは大気汚染や地球温暖化ないし気候変動への対処と似ているのである。いま、中国の大工場群からモクモクと煙が排出され、日本海側に硫黄酸化物(酸性雪も)が降り注いでいる。中国における経済成長は、アジア規模での環境破壊につながりかねない問題を含んでいる。もちろん、日本もまた、地球温暖化の防止のため、我が身をふり返り努力する必要があるだろう。
私も26歳までは喫煙者だったから、喫煙者の気持ちも感覚も理解できる。喫煙者の利益も保護される必要があると考える。ただ、「煙の行方」をめぐって、喫煙者と非喫煙者のフラットな利益衡量というのは成立しないと考える。喫煙による他者加害性(特に副流煙)が明白である以上、喫煙者の側にモラル以上の抑制が求められる時代になったというべきだろう。
2008年。柚子と煙草という「姿が小さいモノ」の話から始めたが、私たちの周り、小さなモノたちには、いつでもさまざまな大きな問題のヒントが隠されているのではないだろうか。この1年間、どんなことが起こるかわからないが、変わらず直言の更新は続けていきたいと思う(5月には連続更新600回を迎える)。
それでは、読者の皆さん。本年もどうぞよろしくお願いします。