昨年の今頃、ウィルス対策ソフトの不具合について書いた。今回はその続きで、迷惑メール対策について体験したことを書いておくことにしよう。
2月14日を期して、私が12年使っているプロバイダーが「メール送信制限」を導入した。迷惑メールへの対処である。これにより、私が毎週、知人・友人、教え子、講演などで知り合った方々に送っている「直言ニュース」の送信が困難になった。2月18日号は、アドレス帳のフォルダ整理などもやったために、すべてを送信するのに、半日近くかかってしまった。
「メール送信制限」とは、送信メール1通あたりの最大同報数(TO、CC、BCC)を100宛先までとするものである。ただし、「1単位時間あたりのメール送信数の制限を設けるため、100宛先まで送信できない場合があります」ということである。
「一度に多数のメールを送信せず、しばらく時間をおいてから分割して送信していただきますようお願いいたします」ということなので、時間をおいて試みたが、なかなか送れない。何度やってもだめ。しばらく時間をおいて、試しに送ると1通行く。同じくらい時間をおいてまた送ると、今度はだめ。疲労感は増していった。
「5分おきに送れる」という時間制限の基準が明確ならば、宛て先を100通以下にしぼったメールをスタンバイさせておいて、仕事の合間にそのつど送信できる。私の場合、1200通ほどの宛て先があるので、「友人関係(1)~(3)」「ゼミ生(1)~(3)」…というように、細かく分けてみた。パソコンを常時接続状態にして、かなり時間をおいて送信ボタンを押すと、無事に送信できた。だが、「1単位時間」は予測不能である。プロバイダーはどのくらい間隔を置けばよいかを教えてくれない。「送信制限の基準に関しましては、セキュリティ上公開しておりません。基準となる値を公開することによって、意図的に制限の範囲内で送信が行われることを防ぐための措置となります」ということなのだ。
迷惑メールには、私もほとほと参っている。複数のアドレスから転送されてくるので、いろいろなハードルを突破して、毎日のように届く。その規制は必要だと思っていたが、こういう規制の仕方によって、私のような送り方に不具合が起きた。
プロバイダーによれば、「意図的に制限の範囲内で送信が行われることを防ぐ」というのが規制の狙いだという。
だが、結果的に、迷惑メール送信者と、私のような形で友人・知人にメールニュースを送ろうという人々とを区別しない一律規制になってしまっている。送信の際の労力と時間によって、疲労感や徒労感を惹起させ、迷惑メールの送信を抑制しようという趣旨なのだろうが、セキュリティのために、私のような形のメール利用者が不便になったことは間違いない。迷惑メールの送信者は悪賢いから、またいろいろ研究をして、この制限を突破してくるだろう。他方、「善良な」送信者は嫌気がさしてしまう 。
表現の自由に対する規制立法が、「こんな表現はやばいからやめておこう」という「萎縮効果」(チリング・エフェクト)をもたらすのに対して、このメール送信制限は、私のような利用者に、「面倒な作業はやめよう」という「疲労効果」(タイアド・エフェクト)を生む。いまはこの程度だが、さらにまた新しい規制を行なえば、その副作用がいろいろと出てくるだろう。私たちが「安全」(セキュリティ)を求めようとするとき、そこには必ず思わぬ落とし穴が潜んでいる。どんな規制にも、常に副作用への自覚が必要な所以である。
「直言ニュース」の送り方という点でいえば、メーリングリスト(ML)やメルマガのシステムがあることは重々承知している。しかし、私はそもそもMLというのが好きでない。メルマガ方式に登録することもしない。「直言ニュース」は2003年秋から、BCCにいちいちアドレスを入れる手工業的やり方に徹してきた。今回の送信制限でこれは困難をかかえたが、今後とも時代遅れの「手作り」でやっていくつもりである。ただ、今までのような頻度は無理なので、毎週の送信ではなく、隔週ないし不定期送信とさせていただきたい。
「直言」本体の更新は続けるので、「ニュース」のお知らせが届かなくても、毎週月曜の朝は、 http://www.asaho.com/ のチェックをお願いしたい。このまま毎週更新を続けていけば、今年5月5日、連続更新で600回(11年4カ月)を迎えることになる。
「迅速性」「効率性」「採算性」が突出して、社会のバランスが極端に悪くなるなか、人々が完璧な「安全性」(セキュリティ)を求めて、いま、さまざまなところで「自由」が失われ、息の詰まる社会になりつつある。そんな流れのなかで、あえて週1回の「鈍行」更新で、パソコンを使わずに書いた原稿をワードに変換してUPするという「非効率性」を貫き、自分なりの道を淡々と歩みたいと思う。これからも、どうぞよろしくお願い致します。