4月17日に、名古屋高裁は航空自衛隊のイラク派遣について、憲法9条1項に違反するという画期的な判決を出した。その3週間後の5月7日、今度はドイツの連邦憲法裁判所が、イラク戦争開戦をはさんで、連邦政府が、トルコ上空で偵察・監視活動にあたるNATO軍の早期警戒管制機(AWACS)にドイツ軍人を派遣した行為が、憲法上要求される議会同意を欠くとする判決を出している。「違憲」(verfassungswidrig)という文言は判決には出てこない。だから厳密な意味での「違憲判決」とはいえないかもしれないが、議会同意を欠くことにより、憲法から導かれる一般原則に反するとした点で、広い意味での「違憲判決」ということができよう。新聞各紙の見出しは「トルコへのAWACS出動は違憲だった」(Die Welt vom 7.5)、「『戦争と平和に関しては連邦議会が決定する』」(Frankfurter Allgemeine)、「カールスルーエ〔連邦憲法裁〕は議会の軍隊を強化する」(Frankfurter Rundschau)等々。一様に、カールスルーエにある連邦憲法裁判所が、ベルリンの連邦政府のとった措置に違憲判決を出したとして、判決を大きく扱っていた。同じ違憲判決でも、日本とドイツとでは、憲法の規定の仕方も、「軍隊」の存在の仕方も異なるので同様には議論できないとはいえ、ほぼ同時期に、裁判所が「軍隊」の海外派遣に対して、クギを刺したという点で注目に値する。この写真は週刊誌『シュピーゲル』5月10日号のものだが、タイトルが「カールスルーエのかんぬき」(Karlsruher Riegel)というのは象徴的である。
ドイツでは、90年代はじめにカンボジアに衛生部隊を派遣したのを皮切りに、連邦軍の「外国出動」(Auslandeinsatz)が増大していく。日本では「海外派遣」ないし「海外派兵」というが、ドイツは島国ではないので、カンボジアやバルカン、アフリカなどへの派遣は「外国出動」という。NATO加盟国以外に派遣されることが多いので、「NATO域外派兵」(out of area)とも呼ばれた。日本との根本的な違いは、連邦軍には憲法上の根拠があり、集団的自衛権に基づく軍の運用も憲法上予定されていることである。「外国出動」についても、1994年7月12日の連邦憲法裁判所判決により、連邦議会の過半数の同意を条件に一応クリアされている(ボスニア空域につき1993年4月8日連邦憲法裁判決の評釈、拙稿「NATO域外派兵と基本法――AWACS(早期警戒管制機)訴訟」ドイツ憲法判例研究会編『ドイツの憲法判例』〔第2版〕〔信山社、2003年〕527頁以下も参照)。
「軍隊」や「戦力」の保持が禁止され、政府解釈により、「自衛のための必要最小限度の実力」たる「自衛力」のみが合憲とされている日本とは大きな違いである。日本の場合は、「自衛」隊を海外に派遣した場合、隊員の防護等のための「武器の使用」はできても、「武力の行使」は許されない。これはPKO等協力法からイラク特措法に至るまで一貫している。
これに対して、ドイツの場合は、外国での武力行使の可能性のある出動には連邦議会の同意を必要とし、それ以外の非武装の派遣や人道援助などには同意を必要としないという運用がなされてきた。1999年3月のコソボ紛争では、NATO軍の一部として、ドイツ連邦軍はユーゴスラヴィア空爆に参加した。当時はシュレーダー政権(社会民主党[SPD]と「緑の党」の連立政権)だった。やがて「9.11」後の「テロとの戦い」では、連邦軍を派遣するにあたって、連邦議会の会派内部の意見も割れた。
2003年のイラク戦争に対してドイツ社会民主党(SPD)シュレーダー政権は、アフガン戦争の時とはうってかわって、フランスとともに反対にまわった。一時はイラク戦争のための在独米軍基地の使用を拒否する構えまで示した。だが、連邦政府は2002年12月、トルコ上空に早期警戒管制機(AWACS)を派遣することを決定した。イラク戦争は国際法違反の侵略戦争に他ならない。そのことは、開戦直後にこの「直言」でも指摘した。ドイツは、表向きはこのイラク戦争に反対しながら、トルコ上空におけるAWACS活動を通じて、戦争に実質的に参戦していたという批判が、平和研究者などから出てくる所以である。
現在、連邦軍は7500人が外国に派遣されており、すでに68人が死亡している(08年6月4日現在)。「外国出動」の手続を明確する目的をもって、2005年3月24日、「議会関与法」(Parlamentsbeteiligungsgesetz)が制定された。正式名称は「外国における武装した軍隊の出動における議会同意に関する法律」である。日本では「海外派遣恒久法」という言い方がなされ、国会の同意をできるだけ緩和しようという傾きをもっているのとは対照的である。議会(国会)の力の差というべきか。なお、「議会関与法」以降、外国出動の本来任務化はさらに進んでいる。
今回の判決は、2003年のイラク開戦前に、トルコ上空にNATO軍の早期警戒管制機(AWACS)にドイツ軍人を派遣する際、連邦議会の同意を得なかったことが問題となった。この点を、連邦議会の野党・自由民主党(FDP)が、会派としての資格で機関訴訟を申し立てたのが本件である。
シュレーダー政権とこれを引き継いだ現在の連邦政府(保守のキリスト教民主・社会同盟[CDU/CSU]とSPDの大連立政権)は、AWACSが武装しておらず、かつ武装した軍事出動ではなかったから、議会の事前同意は不要という態度をとってきた。FDPは連邦議会の同意が欠如しており、議会が軽視されていると主張したが、シュレーダー首相(当時)は、このAWACSの使用はNATOの日常活動であると反論。「4機のAWACSは武装していないから、連邦議会の同意は必要ない」とも主張した。2月の口頭弁論では、連邦政府はこの主張を擁護した。当時のAWACS部隊の司令官も出廷。「ドイツ軍人の撤退はAWACS出動全体を著しく阻害し不可能にしただろう」と証言した。
5月7日午前、連邦憲法裁判所第2部は、AWACS任務にドイツ軍人が参加するにあたって、連邦議会の同意を得るべきだったと判決した。機関訴訟のため、FDP会派の申し立てを容認することで決着した。判決には、「基本法は、国民の代表機関としてのドイツ連邦議会に、戦争と平和に関する決定を委ねた」という文言がある(Cの1、RN57)。判決は、ドイツ連邦議会の同意権に強い確信をもち、連邦軍は「議会の軍隊」(Parlamentsheer)であることを宣明した。
判決のポイントは次の4点である。
第1に、1994年7月12日の連邦憲法裁判所判決(アドリア派兵、ソマリア派兵などを合憲とした)において確認された基本法の一般原則、すなわち「武装した軍隊のいかなる出動にも、ドイツ連邦議会の構成的な(konstitutiv)、原則として事前の同意を必要とする」という原則が再確認されていることである。
第2に、「連邦政府の同盟政策的な行動の自由」を限定し、「同盟体制の政治的動態性(Dynamik)のゆえに、武装した軍隊の出動に対してより大きな責任が国民の代表機関の手に存するということが重要となる」。「ドイツ連邦議会は、武装した軍隊の外国出動に際して、根本的で、構成的な決定をなす権限を有し、連邦軍の武装した対外出動にとっての責任を議会に課す。…軍事に関する憲法上の議会留保(Parlamentsvorbehalt)の機能と意義に鑑みて、その射程は制限的に規定されてはならない。むしろ議会留保は、疑わしきは議会親和的(parlamentsfreundlich)に解釈されるべきである」。
第3に、「基本法のもとで、連邦議会の構成的同意に基づいて許容される、武装した軍隊の出動は、ドイツ軍人が武装した作戦行動に参加する場合である。軍事に関する憲法上の議会留保にとって重要なのは、…その時々の出動との関連で、また個々の法的および事実上の事情により、ドイツ軍人が武装対立に巻き込まれることが具体的に想定されうるかどうかである。…一方において、ある出動が、その目的、具体的な政治的および軍事的事情、ならびに出動の権能に徴して、武力の適用につながりうるような、十分に具体的な事実上の根拠が必要である。他方において、武力の適用の特別の近接さが必要である。…ドイツ軍人が武装対立に差し迫って巻き込まれる根拠は、彼らが外国において武器を携帯し、かつそれを行使することを授権されるときである。ドイツ軍人が武装した作戦行動に巻き込まれるかという問題について、裁判所は完全に審査することができる」。
第4に、「この基準により、ドイツ軍人が2003年2月26日から4月17日まで、NATOによるトルコの領空監視にドイツ軍人を参加させたことは、軍事に関する憲法上の議会留保により連邦議会の同意を必要とするところの、武装した軍隊の出動であった。NATOのAWACS機におけるトルコ領空監視によって、ドイツ軍人は、武力対立に差し迫って巻き込まれる具体的な事実上の根拠の存する軍事出動に参加したのである。出動したAWACS機はNATOの同盟領域への攻撃のおそれに対する具体的な軍事的防護システムの一部だった。トルコ領空の監視は、はじめから…イラクとの軍事対立と特別な関係を有していた。かかる対立に、NATOは、遅くとも2003年3月18日から重大な覚悟をもって対処した。なぜなら、イラクにおける戦闘行動の開始が一般的に予期されていたからである」。
なお、この判決は、連邦憲法裁判所副長官のW. Hassemer裁判官(68歳)の最後の判決だった。判決言い渡しの午後に裁判官を定年退官した(後任はA. Voskuhle教授)。裁判長が辞める直前の判決だったことから、その点を問題にするメディアもあった。この点は、4月17日の名古屋高裁のイラク派遣違憲判決の青山裁判長の場合と似ている。しかし、辞めていく裁判長の判決を別の裁判長が読み上げることはよくあることで、 問題はない。
判決のタイミングが実に効果的であった。CDU/CSUが新しい安全保障構想を公表してまもなくだったからだ。この構想では、連邦軍の外国出動を柔軟に行えるように、短期の出動には連邦議会の同意は不要という提言をしていたからである。CDU/CSUは、この構想を前述の「議会関与法」に「適合」させようとして、議会の同意が必要な場合を限定しようとした。CDU/CSUは「議会関与法」の改正も視野に入れていたが、この判決によって当面、困難になった。CDU/CSUは、連邦軍をその時々の政府の判断で柔軟に使えるようにしたが、FDPはこれを「政府の軍隊」として批判し、連邦軍は「議会の軍隊」であると主張してきた。連邦憲法裁判所は、今回の判決で、「議会の軍隊」という言葉を再確認した。
また、CDU/CSUの新しい安全保障構想は、エネルギーと原料資源の確保のための軍事派遣(出動)を正面から打ち出しおり、冷戦時代の「国防」(国土防衛)とは明らかに異なる、全世界をターゲットにした「国防」(国益防衛)にシフトしていることがわかる。戦争は今や、“平和強制”というわけである(B. Schröder, Krieg heisst jetzt Friedenserzwingung, in: Telepolis vom 8.5.08)。
ちなみに、6月3日、アフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)にドイツが戦闘部隊を派遣することになった。7月1日にノルウェー軍から引き継ぐ任務である。また、6月5日、連邦議会は、コソボの国際治安部隊(KFOR)へのドイツ連邦軍の派遣期間の1年延長を決定した。コソボ独立宣言により事情が変わったのに連邦軍を派遣することについて、連邦議会の左派党の会派が連邦憲法裁判所に機関訴訟を申し立てた。
「外国出動」の恒常化により、連邦軍の外国任務は増大の一途である。今回の判決の焦点が議会同意の有無だったため、上記の活動への影響はない。しかし、議会同意を緩和する動きに対する歯止めになったという意味では、限定的ながら意義深いといえよう。
左派系新聞の論説は、この透明度の高い判決が重要な影響を与えていること、つまり雰囲気がかわり、今後、連邦軍の出動決定を議会を差し置いて行うことは許されなくなったと指摘している(Ch. Rath, Glasklar für die Demokratie, in: die taz vom 7.5.08)。名古屋高裁にせよ、今回の判決にせよ、地味な内容でも、ボディブローのように影響力を発揮していくに違いない。
付記:この直言は当初は5月の下旬にUPする予定だったが、「胡錦濤早大講演事件」の「直言」が2回続いたため、今回UPする。