今回は第9条の話から始めよう。日本国憲法ではなく、オリンピック憲章の9条1項である。「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない」。
だが、現実のオリンピックは、この理念からかけ離れ、国家間の熾烈なメダル獲得競争と化している。中継するアナウンサーまでが「ニッポン」と絶叫する。通常の報道やニュースでは考えられないような伝え方になる。「お祭り」だといえばそれまでだが。
それにしても、今回の北京五輪はどうだろう。国家間の競争という面はいつものことだが、今回は大会そのものが、「国家主義・党治主義を前面に押し出した場所での国家間メダル獲得競争」となっている。ヒトラーの権力獲得後3年目に、独裁体制を権威づけ、確固たるものにしたベルリン五輪 (1936年) 。これと並ぶ、オリンピック憲章の理念の対極にある大会として、オリンピック史上に記録されるだろう(写真はDer Spiege vom l 4.8.08)。
もちろん、参加した選手たちの活躍は貴重であり、「自分とのたたかい」「自己ベストをめざす」など、それぞれの選手が日頃の努力の積み重ねで競技をしている姿からは、自然にわき起こる感動がある。メダルをとった人々の「一言」も感動を呼ぶ。これは、「競技者間の競争」という憲章9条の理念に忠実に、選手たちが感動をつくり出しているからである。オリンピックの主役は、世界204の国・地域から、「参加することに意義がある」ということでやってきた11000人の選手たちである。その点は確認しておきたい。
そもそも北京でオリンピックをやっていいのか。これをめぐっては大いに議論があるところだった。だが、始まってしまえば、メディアは「メダル獲得競争」報道に急転換する。テレビの報道は、私の嫌いな、スポーツキャスターの妙に明るいノリに支配される。そこに冷静な報道はない。そういう時はテレビを消すことである。この間、テレビのチャンネルが少ないところに滞在しているので、世の中のオリンピック狂想曲から免れている。それでも、開会式は全部みてしまった。「何が起こるか」に関心があったからである。
8月 8日の開会式は北京五輪の問題性を集中的に表現していた。それは、すさまじい格差社会の矛盾を、虚飾と虚像で覆い隠し、検閲と統制を軸に、軍事国家と予防的警察国家の全装置を動員して実現した国家主義的な一大ページェントであった。
ベルリン五輪と北京五輪をいろいろな角度から比較してみると、さまざまな共通性と興味深い論点が発見できる。「中華」(世界の中心)思想と「世界に冠たるドイツ」 (Deutschland über alles)。国家主義を煽り、利用する側には、そのメンタリティと手法の点で驚くほどの共通性がみられるものである。ここでは気がついた点だけ述べることにしよう。新聞もパソコン環境も十分でない場所に滞在しているため、携帯電話(サイト)を使った情報収集の範囲内で書いたことをお断りしておきたい。
まず、開始時間と終了時間が、誰のための開会式かをよく示していた。「8」という数字は縁起がいいというだけで、8月8日午後8時開催が決まり、式は延々、深夜1時近くまで続いた。しかも真夏である。体調管理が何よりも重要な選手たちを、夜遅くまで長時間、猛暑のなかに拘束することになった。水分補給も十分でなく、翌日午前中の競技に響いた選手もいたはずである。五輪史上、最も「選手にやさしくない」開会式だった。
「気象変動」ロケットを 1100発以上打ち込んで、降雨を抑えたという。不自然な形で気象を変えるということ自体も問題だが、そういう物質を空中に大量撒布したことが環境や人に与える影響は考慮されたのだろうか。「テロ対策」ということで、ペットボトルなどの飲み物の持ち込みを禁止した結果、高温多湿の会場で、観客だけでなく、スタッフやボランティアなども、500人以上が熱中症で倒れたという。国家体育場は「鳥の巣」と呼ばれているから、人間の居住環境は考慮されていないようだ。5時間近い長丁場なのに、観客には移動・行動の制限が課せられていた。高齢者や障がい者、子どもには相当な負担だったと思う。
虚飾と虚像という点では、これから明らかになってくるだろう。二つだけ指摘しておく。まず、「巨人が鳥の巣に向かってくる」という演出で、北京上空に29歩の足跡を示す花火が打ち上げられたが、放送映像は最後の1歩だけが実写で、あとはすべてCGを使っていたことが判明した。また、9歳の少女が愛国歌を独唱するなか、民族衣装を着た子どもたちが中国国旗を掲揚台まで運び、人民解放軍兵士に引き渡すのだが、その少女の声が「アテレコ」(別の少女の声)だったことも明らかとなった。責任者が「その少女はかわいいが、歌は上手でないから」といってのけたのには驚いた。虚飾と虚像で作られた「党治国家」の「常識」は世界には通用しないのに、それに気づかず、居直ってしまう。何か哀れを覚えた。
気象、環境、人権などに優位させようとしたのが、「国家的威信」である。開会式アトラクションの華麗・壮麗な歴史絵巻は、本当に巻物を使って圧倒的な迫力を出していた。だが、その一糸乱れぬ演技は、北朝鮮のマスゲームが小さくみえるほどのもので、そこまでやるかという世界だった。中国の歴史と文化は奥深く、また世界文明の観点からもすばらしいものがある。「紙」「活版印刷」「絹」「陶磁器」「羅針盤」「論語」等々。
だが、それを派手な演出と効果で、これでもか、これでもかという形で押しつけられては、どんなに技術的完成度が高くても、それに反比例するように興味と感動は減退していく。感動の押しつけからは、共感は生まれない。しかも「一糸乱れぬ」集団演技を行ったのは、9000人の人民解放軍兵士だったという。1万4000人がアトラクションに動員されたというから、約三分の二が軍人だったことになる。開会式は、師団規模の部隊を使った一大軍事作戦だったわけである。中国国旗はともかくとして、五輪旗の掲揚までも人民解放軍兵士が行った。不快なり。天安門事件で学生たちの命を奪い、チベットなどで市民弾圧に手を染める、「党を人民から解放する軍隊」が、足を高くあげる独特のパフォーマンスで五輪旗を運ぶ。「平和の祭典」の軍事色は濃厚だった。
アトラクションも長時間だったが、開会式自体もかなり時間がかかった。聖火の最終ランナーが登場したのは、午前0時(日本時間の午前1時)をまわっていた。
空中に浮遊したランナーが、世界各地での聖火リレーの映像をバックに聖火台に向けて空中移動していく。アッと驚く演出だった。周知のように聖火リレーは、ベルリン五輪から始まった。ギリシャのオリンピアから、ブルガリア、ユーゴ、ハンガリー、オーストリア、チェコを経由してドイツにやって来た。走者には著名人や地元名士、オリンピックゆかりの人物など3000人が選ばれた。メインスタジアムの聖火台に点火。観客は興奮の極致に。開会式の構成として、この聖火台への点火をピークに持ってくれば、いやがおうでも盛り上がる。以来、この方法が継承されてきた。聖火リレーを映像で回想しつつ、聖火台への点火に持っていくあたり、さすがである。
だが、驚いたのは、最終ランナーの人選だった。李寧氏。体操の金メダリストで、かつスポーツ用品ブランドの実業家である。しかし、ドイツのdie tageszeitung紙は、かつて同紙のインタビューで死刑廃止を強く主張していたことに注目して、聖火の最終ランナーは「死刑廃止論者の法律家(Jurist)」と書いた(taz vom 9.8.08)。世界最大の死刑執行国が、最終聖火ランナーにそういう人物を選択したこともまた、実に巧妙な演出だった。
開会式だけではない。この原稿を書いているのは大会6日目であるが、さまざまなところで綻びが見えてきた。例えば、テレビの映像でうまく隠されているが、本当に競技場に観客は入っているのか。当局者は650万枚のチケットが完売したというが、個々の競技会場には空席が目立つ。チケットのブラックマーケットができて、ダフ屋が横行している。市民監視に重点を置く警察は、これを取り締まらないという。空席が目立つのはみっともないとなれば、奥の手がある。学校の生徒を動員して、応援をさせたケースもあるという。ホッケーのオランダ対韓国戦は、たくさんの中学生が座席を埋め、声を揃えて応援したという(taz vom 13.8.08)。サクラを動員して声援を送ることは、手慣れたものだろう。
警備態勢のすさまじさは、英国人ジャーナリストが拘束されるなど、さまざまなところにあらわれている。人民解放軍と公安警察、人民武装警察の三大抑圧機関を総動員しての警備である。配置された治安要員は11万人。北京全体では20万人の人民解放軍兵士が動員されたという報道もある。各種の対空ミサイルも配備された。
表現の自由に対する規制も徹底している。インターネット規制については、開会式の1週間前にNHKラジオ「新聞を読んで」で紹介した。
ドイツのFrankfurter Allgemeine紙は「中国とプレスの自由」という北京からの論説を掲げているが、それは、二人の日本人ジャーナリストに対する人民武装警察による暴行事件から説き起こしている。そして、検閲と統制の実態を鋭く抉る。例えば、週刊誌『シュピーゲル』(Der Spiegel)は中国批判の記事などを切り取って販売されているという。それでも、オリンピック期間中は、当局は報道規制を緩和した。オリンピック後も、この緩和が続くかどうかが危惧されている(FAZ vom 12.8.08)。別の新聞の論説は、「2008年北京は、オリンピック史において、不自由の大会として記録されるだろう」(H. Maass, Spiele der Unfreiheit, in: Frankfurter Rundschau vom 7.8.08)と書いている。
日本のメディアは無節操に「メダルフィーバー」に突入したが、ドイツのメディアは一貫して冷めている。もともとドイツでは、人権や環境問題などにおける中国の状況に強い危機感と違和感を抱き、北京五輪に批判的だった。ある世論調査によると、ドイツ人の56%が、「北京でオリンピックを行うことは間違いだった」と回答している。「正しかった」は38%にとどまる (FR vom 7.8.08)。なお、ドイツ人選手が、人権について自分の意見を公然と表明することを支持する者が28%、競技に集中すべきだとする者が71%だった。実際、アテネ五輪の女子柔道57キロ級の金メダリストのイボンヌ・ベニシュ選手(ドイツ)が、チベット自治区に対する武力弾圧に抗議して、開会式をボイコットした。ドイツ柔道連盟は、「どの選手も自分の意思に従うべきである」として、ベニシュ選手の行動を認めた(『朝日新聞』8月9日付)。北京五輪に参加すること自体にドイツは批判的だったから、選手がこういう行動をとることは想定内だったし、非難されることはないだろう。ドイツ首相も早い時期に、開会式への不参加を表明していた。
「オリンピックと政治」というのは、ずっと昔から悩ましい関係にある。1916年のベルリン五輪は第一次世界大戦で中止された。1940年の東京五輪も戦争でなくなった(近く「わが歴史グッズ」も紹介する)。1944年のヘルシンキ五輪は戦争の真っ只中で不可能だった。1980年のモスクワ五輪は、旧ソ連軍によるアフガニスタン侵攻のため、西側諸国がボイコットした。こうした政治との関わりからすれば、おそらく北京五輪は、オリンピックの政治化の到達点といえるだろう。
「人権、民主化と五輪を絡めて中国に改善を求める国際社会に反発し、『五輪の政治化は失敗に終わる』と断じた胡主席と中国共産党が、実は誰よりも五輪を政治利用してきた。『党の党による党のための五輪』」「党主導の政治ショー」(『朝日新聞』08年8月9日「時時刻刻」)である。
中国は1971~72年に、ニクソン政権とピンポン外交で接近したが、他方、五輪ボイコット履歴もすごい。「ボイコットに金メダル」という見出しの記事を見つけた(taz vom 9.8.08)。IOCが台湾を正式に受け入れたというので、1956年のメルボルン五輪をボイコットした。1960年のローマ五輪、64年の東京五輪、68年のメキシコ五輪、72年のミュンヘン五輪、76年のモントリオール五輪も、同じ理由でボイコットした。1980年の冬季五輪から復帰したが、1980年のモスクワ五輪はボイコットした。1984年に東側諸国がロス五輪をボイコットしたとき、中国はこれに与せず、これに参加した。それ以来、ボイコットはしていない。1988年のソウル五輪を北朝鮮がボイコットしたときも、これに追随しなかった。むしろ、メダル獲得競争に参加することにメリットを見いだすようになった。五輪の政治利用の歴史であり、その頂点に北京五輪がきたわけである。
さて、このオリンピックにはたくさんの批判がある。だが、問題は、オリンピック後に中国がどうなっていくかだろう。世界に向けて、おずおずと自分を開いてはみたけれど、たくさんのトラブルが起きている。表現の自由や知る権利、情報公開といったあたりまえのことがあたりまえでない国である。政治は共産党一党独裁体制。経済は、資本主義国も真っ青の、剥き出しの市場主義と格差拡大。とりわけ、チベットやウィグル自治区の問題は、現在進行形の「時限爆弾」である。開会中に爆発するか、閉会後かは時間の問題である。それに対して、「党治国家」は暴力で対処するのか。それとも、一気に「上からの革命」が起きて、政治体制が変わるのか。グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)が中国でも起きるのか。単純な評価を許さない複雑な状況が展開するだろう。
中国は13億の国民のうち、1億人が55の少数民族からなっている。開会式でも、中国国旗を民族衣装の子どもたちに持たせて、多民族国家を印象づけた。「一つの国家、一つの民族、一人の指導者」(ナチス)を押し出したベルリン五輪に対して、北京五輪は「一つの世界、一つの夢」をスローガンに「多様性のなかの統一」をアピールしようとした。だが、これは単純にはいかないだろう。
ノルウェーの平和学者J. Galtungは、「一つの国、六つの体制」と題するインタビュー記事のなかで、チベット問題の本質を、中国全体に関わるものと捉えている。中国は、自治や独立を求め、あるいは、それを維持しようとする五つの領域と関わる。台湾、内モングル、ホンコン、ウィグル自治区、チベットである(J. Galtung, Ein Land-sechs System, in: Freitag, Nr.32 vom 8.8.08)。チベットやウィグルの問題の解決の仕方を間違うと、中国は大変なことになるだろう。北京五輪が、中国の一党独裁体制の終わりの始まりになるかは微妙である。
「平和の祭典」の開会式のまさにその日に、ロシアとグルジアが交戦状態に入った。北京五輪が中国内外にもたらす「問題」も、8月24日の閉会式の後、一斉に「開会」するだろう。