私のゼミでは卒業の際にゼミ論文を課している。毎年、12月の第1週は、ゼミ生一人ひとりを研究室に呼んで、論文指導をする。ほぼ1日がかりになる。それまで彼らが書いてきたゼミ報告やレポートとは違い、「論文」であることを自覚させる。構成、引用の仕方、注の付け方などを細かく指導するので、相当緊張するという。参考文献を明記していなかったり、引用部分と筆者の主張との区別が曖昧な場合には、書き直しをさせることもある。人の書いたものを切り貼り(現在ではコピペ)して提出したものは、注を見ればだいたいわかる。私の学生・院生時代は手書きだったし、12年前の学生たちは手書きのレポートや論文もあったが、いまやすべてパソコンである。引用もそつなく行われ、要領よくまとめられ、注も「程よく」付いている。でも、かつてのような迫力ある論文に出会うことは少なくなった。「論」文なのだから、もっと論ずることに貪欲であってほしい。ネットの発達で、情報やデータの簡易で安易な入手・加工が可能になった分、知的な緊張感が失われた面がないとはいえない。そう思う今日この頃である。と、ここまで書いてきたのは、ゼミ論締め切りを前にした学生たちへのエールだけではない。ある人の、ある「論文」が、事件に発展したからである。
10月31日夜9時少し前、車で出かけようとしていたら、書斎の電話がなった。通信社の社会部記者からだった。航空自衛隊のトップ、航空幕僚長の田母神俊雄空将が書いた「論文」の件でコメントがほしいという。「はなむけ」事件から大して時間もたっていないのに、「またか」という思いだった。くだんの「論文」(A4で9 頁)をファックスしてもらい、すぐに問題点を指摘した。そして高速道路を走る車の助手席で、携帯メールでコメントをつくった。これは共同通信配信で、ブロック紙、地方紙に掲載された(『信濃毎日新聞』『西日本新聞』『東京新聞』〔11版を除く〕『中国新聞』『佐賀新聞』各11月1日付など)。私は、「論文」の内容もさることながら、自衛隊員は政治的表現の自由を過剰なまでに制限され、自衛隊員倫理規程が私企業との付き合いも細部に渡って規制していることを挙げ、「最高幹部が底の抜けたような政治的発言をして300万円もの賞金をもらうのは資金援助に近い」と指摘した。
その後の展開は、単なる「不適切な論文」ということにとどまらない、制服組トップによる政府統一見解に対する目的意識的な抵抗(組織的「叛乱」)の様相を帯びてきた。奇しくも、栗栖弘臣統幕議長の「超法規発言」(写真)から30周年である。
この問題には、たくさんの論点がある。「文民統制」あるいは「シビリアン・コントロール」という概念についても、日本における特殊な議論の仕方があり、これについてはきちんとした議論が必要である。また、文民統制がしっかりすればいいのかといえば、問題は単純ではない。日本国憲法9 条の観点からすれば、文民統制が徹底した「理想的」な自衛隊であっても、違憲性の問題はなお解消されない。これらを前提として、以下、メディアがあまり触れていない点を中心に、問題点を指摘しよう。
まず、「論文」が焦点になっているが、私にいわせれば、これは論文の体をなしていない。まず形式面。懸賞論文だから、詳細な注は不要かもしれないが、主張の裏づけとなる資料や文献は最小限、明記する必要がある。この「論文」には、文章のなかで使う「割り注」らしきものが8 箇所ほどあるが、根拠としているものは二次的文献であり、しかも引用された秦郁彦氏から異議が出るなど(『週刊新潮』11月13日号)、引用の仕方も恣意的である。さまざまなミス(第二次国共合作〔1937年9月22日〕を1936年と表示するなど)も指摘されている。割り注の表示も、( )がなく、しかもタイトルと著者名、出版社名がすべてカギ括弧のなかに入っているという、異様な表記になっている。例えばこうである。〔…それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編(渡辺昇一、祥伝社)」。〕 これでは割り注になっておらず、学生の論文ならば書き直しである。
内容面では、独断と決めつけ、論理の飛躍のオンパレードである。あまりに杜撰な「大東亜戦争肯定論」のために、この種の議論を支持する側からも評判が悪いようだ。歴史認識に関わる問題については、『朝日新聞』11月11日付において、秦郁彦氏と保阪正康氏が詳細に検証している通りである。田母神氏の主張の骨格である「日本は、相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」という点については、彼が満州事変について一言も触れずに論を進めている一事をもって、すでに破綻しているといえるだろう。文科省検定済教科書で勉強している普通の高校生ですら、日本の関東軍が謀略で鉄道を爆破して「一方的」に始めた戦争であると理解している。田母神氏の「論文」に一貫しているのが「コミンテルン謀略説」だが、歴史学の世界ではまともに相手にされていない。
第二次世界大戦の「戦前・戦中・戦後」を通じて、各国のさまざまな裏事情や力学が働いていたことは事実である。それをどう評価するかで、さまざまな見解が生まれてくる。だが、この「論文」は、「日本は侵略をしていない」という結論に導くために、歴史的事実を強引に操作するもので、「乱文」としかいいようがない。
「論文」という形をとりながら、日本の侵略を認め、謝罪した「村山談話」(1995年)を標的にしている。現在の内閣も「村山談話」を「踏襲」(麻生首相は「ふしゅう」と読む)しており、田母神氏からすれば、現職の空幕長が異論を唱えれば、世間の注目を浴びるという「計算」があったのだと思う。自らの地位と立場をわきまえない、浅はかな行為としかいいようがない。「論文」の内容面は、歴史学者に任せることにし、以下、この「論文」をめぐる問題点を4点指摘しておこう。
第1に、自衛隊員の「表現の自由」に絡めた議論についてである。自衛隊法61条は自衛隊員の「政治的行為」を厳しく制限している。「何らの方法をもつてするを問わず」という全面一律禁止である。「政治的行為」とは何かについては、政令(内閣の命令)に委ねられている。自衛隊法施行令87条は、「政治的行為」として17のものを具体的に列挙している。例えば、集会などで公に政治的目的を有する意見を述べること(87条1項11号)や、政治的目的を有する署名や文書・図画の回覧・掲示・配布・朗読・聴取、著作の編集なども禁止される(同13号)。政治的目的をもった演劇を演出することや、これを援助することもだめ(同14号)。これらの行為は、勤務時間外においても禁じられる(同2項3号)。これでは、自衛隊員は、市民としての表現の自由を実質的に持たないことになる。私は、ドイツにおける「軍人の自由」を論ずる脈絡で、一般の自衛隊員の市民的自由について論じたことがある(拙著『現代軍事法制の研究』日本評論社)。あらゆる態様の表現行為を、一律に、しかも勤務時間外まで禁止することは、過度に広範な規制となりうる。自衛隊の違憲性の問題はありつつも、一般の自衛隊員については、私生活上は過度な制約を減らすべきだろう。自衛隊員が「制服を着た市民」としての権利を行使できるようにすべきだという考えからである。だが、高級幹部は別である。権限も強く、言動の一つひとつが部下を動かす地位にあるものは、おのずから制限の程度は高くなる。
なお、田母神氏が「論文」を発表する場合には、防衛省の内規により、官房長への通報が義務づけられていた。内規とは、「部外に対する意見の発表について(通知)」(大臣官房長・官広第814号〔昭和56年2月23日〕、最終改正・平成19年8月30日)である。「出版物、テレビ、ラジオ等を通じ、あるいは講演会等において、職務に関し意見を発表する場合は自らの立場と責任を自覚して節度をもって行うことは当然のことである。…発表に際してはあらかじめその旨を上司に届け出るよう改めて周知徹底されたい」とされ、「各幕僚長にあってはあらかじめ大臣官房長(大臣官房広報課長気付)に通報するものとする」とある。田母神氏は官房長に口頭で伝えたというが、官房長は「通報」されたという自覚がなかったようである。田母神氏は、大臣官房広報課長を通じて、応募を明確に伝えることをしなかったのは事実である。この「通知」によれば、広報課長を通じて行うように指示されているからである。田母神氏にとって、そんな「通知」など、はなから眼中になかったのだろう。
第2 に、田母神氏は、高級幹部としての立場を利用して、政府見解を否定し、偏った歴史観と国家観を自衛隊内に広めるための活動を意識的・組織的に行っていたのではないか。これを、一般の自衛隊員の表現の自由の問題とは一律に論ずることはできない。むしろ、高級幹部がその地位と職権を利用した行為こそが問われるべきだろう。自衛隊法施行令87条1 号は、「政治的目的のために官職、職権その他公私の影響力を利用すること」を挙げている。田母神氏が統幕学校長時代、偏向したカリキュラムを編成させて、外部講師に授業をやらせていた。「田母神カリキュラム」を担当する講師(非常勤)の氏名について、防衛省は黒塗りで発表した。表に出せないような、偏った講師の選定がなされていたと推察せざるを得ない。アパグループが募った「真の近現代史観」という偏向した歴史・国家観に沿う論文を、自衛隊員に書くように組織的な働きかけが行われていたのではないか。
11月11日の参議院外交防衛委員会で、田母神氏は、防衛大臣に対しても抵抗する姿勢をみせた。その姿は傲慢・不遜なものだった。そのなかで、田母神氏は、懸賞論文への投稿の指示を否定した。しかし、勢い余って、こう述べた。「私が指示すれば1000を超える数が集まる」(『毎日新聞』11月12日付)と。どんな時代でも、「政治的軍人」に共通する、大言壮語型のメンタリティがよくあらわれた一瞬だった。
実際、空幕教育課長(一佐)が、「隊員の研鑽を積ませたい」とういことで、全国の部隊に応募を呼びかけるファックスを送ったという。その後、空幕人事教育部長(空将補)が、懸賞論文のことを記した手紙を主要部隊に郵送していたこともわかった(『読売新聞』11月15日付)。海自や陸自には一人も応募者がおらず、空自の隊員だけ、計97人が応募した事実は、田母神氏の意向をくんだ幹部たちの組織的働きかけなくしてはありえなかっただろう。第6航空団(小松市)では、司令(空将補)が、懸賞論文に向けて隊員に論文を書かせ、そのなかから62人分を応募したという。田母神氏が司令時代に築いたアパグループ(本社・金沢市)との結びつきの強さを示すものといえる。
教育部長、教育課長、航空団司令といった高級幹部からすすめられれば、懸賞論文は半ば公的な性格をもってくる。この懸賞論文は、偏向した歴史観をベースにして、政府統一見解(「村山談話」)への否定的な声を隊内に広める政治活動ではないのか。しかも、田母神氏の「論文」では、集団的自衛権の行使ができないことや、攻撃的兵器の保有が禁止されていることを批判し、こうした規制を「マインドコントロール」と呼び、これからの「解放」を訴えている。これは、政府解釈や、「専守防衛」政策に対する、制服組トップによる「叛乱」の呼びかけとさえいえる。11日の参議院では、「国を守ることについて、これほど意見が割れるものは(憲法改正をして)直したほうがいい」と主張し、憲法敵視の姿勢を示した。武力こそ使わないものの、「懸賞論文」という「ペン」を使って政府や憲法を攻撃する、「平成の2.26」といえなくもない。
問題点の第3は、特定の私企業(ホテル・マンション経営のアパグループ)の懸賞論文に応募する行為それ自体の問題である。普通ならば、空幕長という立場を踏まえれば、こういうものに関わることはまず考えられない。応募した以上は、受賞の可能性がある。主催者は、F15戦闘機に搭乗する機会を与えられた元谷外志雄代表である。審査委員の審査を経ているといっても、現職の空幕長が応募したわけである。しかも昵懇の田母神氏である。粗末に扱うはずはない。元谷氏が「お礼」の意味を込めて、最優秀賞にするであろうことは、応募段階からわかっていたことではないだろうか。
ホテルチェーン「アパ」のホームページをみると、元谷代表がF15戦闘機に搭乗する写真が掲載されていた(すでに削除)。本社は金沢市のため、田母神氏が第6航空団(小松市)司令のときから親しい間柄である。親密な関係は10年に及ぶという(『朝日新聞』11月7日付)。そもそも、部外者は戦闘機に乗ることはできない。「航空機の搭乗に関する達」(航空自衛隊達第8号〔昭和43年2月21日〕)8条は、部外者の搭乗を「真に必要と認められる場合に限定する」とし(1項)、「輸送機以外の航空機による部外者の体験搭乗は原則として実施しないものとする」(2項)としている。ただ、空幕長が推薦して、自分で承認すれば、この限りではない(9条)。空幕長である田母神氏が6空団司令に対して、元谷氏の搭乗を軽く示唆するだけで、現場が実行するのは見やすい道理である。
空幕長にとってアパグループは利害関係者ではないが、自衛隊員倫理規程(平成12年3月31日政令第173号)5条は、「利害関係者以外の者等」との間の禁止行為を定めている。そこには「社会通念上相当と認められる程度を超えて…財産上の利益の供与を受けてはならない」とある。「懸賞金300万円+全国アパホテル巡りご招待券」は、これに該当する疑いがある。佳作が「懸賞金1万円+アパホテル全国共通無料宿泊券」だから、その違いは大きい。賞金の金額だけでなく、無料宿泊券ならツインで23000円程度だが、「ホテル巡りご招待」となると、アパホテルは札幌から那覇まである。「巡りご招待」では金額は多くなる。いずれにしても、「相当な程度を超えて」いるといえよう。
一般の自衛官は横6センチ×縦9センチの「自衛官倫理カード」を携帯させられている。各部隊の倫理管理官の上に立つ、最高の倫理監督官は一人だけである。それは事務次官である。守屋武昌前事務次官は、接待ゴルフ漬けなどで、その腐敗と反倫理性は目に余るものがあった。守屋氏については、すでに一審で、懲役2年6月の実刑判決が出ている(控訴中)。今回は、空幕長である。防衛省・自衛隊のトップがこう立て続けに問題を引き起こしたことは、重大といわなければならない。
なお、今月11日、田母神氏が参議院外交防衛委員会に参考人招致された当日、『産経新聞』には、アパグループ代表・元谷外志雄氏が一頁全面を使った「意見広告」が掲載された。 そこには、「最優秀作品」として、「前・防衛省航空幕僚長 空将」の肩書付きで、「日本は侵略国家であったのか」の全文が収録されている。国会に参考人として出席する当日に、まるで「援護射撃」のようである。田母神前空幕長を使った「意見広告」であり、きわめて挑戦的な姿勢といえる。
第4に、なぜ、こんな人物が空自のトップになれたのかという問題である。野党は大臣の任命責任をいうが、安倍内閣時代の人事である。当時の防衛大臣は「原爆、しょうがない」で辞任した久間章生氏である。
自衛隊の準機関紙『朝雲』11月6日付は、1面トップで「田母神空幕長を更迭」を報じた。この自衛隊の新聞を28年間、定期講読してきて、その都度の将官人事や定期異動などをチェックしてきた。幕僚長にのぼりつめる人は、各幕の防衛課長、防衛部長をやり、陸なら師団長、方面総監、海なら地方総監、自衛艦隊司令官、空なら三つある方面航空隊の司令官、総隊司令官を経験してからあがってくる。第5高射群司令、厚生課長、6空団司令、装備部長というコースから総隊司令官になり、幕僚長になったのは、かなり異例だなという感想をもっていた。パイロット出身ではなく、高射運用(当時はナイキミサイル)の出身。同期やその近くに、前述のエリートコースをたどった人がいて、なぜ、その人たちでなく田母神氏だったのかということを、当時ふと思った。何らかの政治力が働いたともいわれている。今回の問題が起きたとき、防衛大臣らに対して、田母神氏は、森喜朗元首相の後ろ楯があるとして抵抗したという(『毎日新聞』11月9日付一面トップ「元首相の名挙げ抵抗」)。アパグループ(金沢)、第6航空団(小松)、森元首相。共通点は石川県である。安倍内閣のときの空幕長人事に、森元首相の意向が働いた可能性はないか。「神の国」発言の森元首相の後ろ楯とあれば、暴言・失言・妄言は想定の範囲内か。
その田母神氏は、今年の4月18日、名古屋高裁イラク派遣違憲判決に対して「そんなの関係ねえ」と発言した。空自トップの言葉かと耳を疑った。本当にこの人は危ないと思った。東京大学での「講演」(5月24日)の際にも、挑発的・挑戦的な勢いを感じた。田母神氏の言動をみていると、30年前の栗栖弘臣統幕議長(第10代)の事件を思い出す。『週刊ポスト』1978年7月20日・8月4日合併号を書庫から出して、久しぶりに読んでみた。見出しには、「いざ戦闘となれば自衛隊は独断する」「徴兵制は有効だ」「イザとなれば超法規で戦闘突入する」と物騒な発言で物議をかもした。緊急事態法制の不備のため、政府が何もできなければ、現場は戦闘加入せざるを得ないという、軍事的合理性に沿った発言をしたわけだが、それを制服組トップが週刊誌に語ったということで、大事になった。
当時の金丸信防衛庁長官は、栗栖議長を直ちに解任した。後にこのことを問われた金丸氏は、「私の原点は出征する私を両親の目の前で殴った憲兵の横暴である。シビリアン・コントロールがいかに大事かということは、習わずとも身にしみている」と回想している(坂本龍彦『風成の人』岩波書店168頁)。田中派と汚職のダーティなイメージの金丸氏だが、この点だけは、戦中派政治家の矜持を感じた。田母神空幕長を一喝できる政治家は一人もいなかった。
高級幹部が政府批判を展開した第2弾は、空幕長(第14代)を経て統幕議長(第12代)になった竹田五郎空将である。竹田統幕議長は、1981年2月に『月刊宝石』(光文社、現在は廃刊)で、徴兵制は憲法違反という政府統一見解を公然と批判した。政府見解は「徴兵制は憲法18条にいう『意に反する苦役』ならば、自衛隊は苦役なのか」とかみついたのである。竹田議長はまた、当時の政府がとっていた「防衛費GNP1%枠」と「専守防衛」も批判した。野党は国会で竹田議長の罷免要求を提出し、大村襄治防衛庁長官(当時)は、注意処分にした。これを受けて、竹田空将は退官した。
その後もいろいろあったが、近年では、陸上幕僚監部(陸幕)防衛部の二等陸佐が、憲法改正案を起案し、憲法調査会起草委員長に渡した事件が重大である。軍隊の設置と権限や集団的自衛権行使、特別裁判所(軍法会議)、国民の国防義務など8項目について条文を列挙していた。二陸佐の行為は憲法尊重擁護義務(99条)違反であった。
この間、防衛省・自衛隊をめぐる「不祥事の連鎖」は目を覆うものがある。「いま、なぜ『防衛省』なのか」を書いたが、防衛庁を「省」にしてからの不祥事が目につく。大きくなった「肩書き」から、今までの抑制が外れて、おごりが生まれていることは明らかだろう。私は参議院外交防衛委員会で参考人として、防衛省への「昇格」に反対したが、それは正しかった。
現実の日本的文民統制システムは「文官スタッフ優位制度」として機能してきたことから、制服組のフラストレーションが一部「好戦的」文民(政治家)と結びつき、守屋事件で「文官」の相対的地位低下により、軍事的合理性むきだしの主張として表に出るようになった。海外派遣の「本務」化も、自衛隊内部にゆがみやひずみをもたらしている。
市民運動なども敵視し、それを監視する情報保全隊の問題も、民主主義社会においては脅威である。イージス艦「あたご」事故で、漁民2 人の命が失われた。最新鋭艦における見張りの手抜きなど、あきれるばかりの弛緩した状況が生まれている。防衛費という究極の無駄遣いについてもすでに書いた通りである。
防衛費を削減して、自衛隊を軍隊ではなく、非軍事の災害救助隊に解編する方向こそ現実的な道であることがますます明らかになるだろう(拙稿「平和政策の視座転換――自衛隊の平和憲法的『解編』に向けて」深瀬忠一他編『平和憲法の確保と新生』北海道大学出版会、2008年12月近刊参照)。その過程において、「文官統制」ではなく、国会の統制機能の強化や、防衛オンブズマン制度の創設などを加えて、実質的なデモクラティック・コントロールによって、 監視していくことが求められる。
田母神氏は、自衛隊の海外派遣をさらに進め、自衛隊を本格的な軍隊にしようとする勢力にとっては、まさに「疫病神」になったといえよう。