雑談(71)テレビドラマのこと  2009年2月2日

年最初の雑談シリーズである。これから入試・学年末の繁忙期になる。雑談シリーズなどでつないでいくので、ご了承いただきたい。このコーナーでは、 「音楽よもや話」(計11回)と「『食』のはなし」(計13回)を除けば、私自身が日頃感じていること、気づいたこと、こだわっていることなどを自由に語ってきた。映画についても、けっこう書いている。71回目の今回のテーマは「テレビドラマ」である。

私は日頃あまりテレビをみない。新聞の切り抜き作業をする時とか、原稿書きの際、BGM 的に「ながら視聴」をする程度である。ただ、10時台のニュース番組は必ずみるし、重大事件が起きたときは、ワイドショーの類もチェックする。NHKスペシャルは、25年間ビデオに収録してきたので、けっこうな本数になる(いまだにVHS 録画をしている)。「直言」でも、「『小さき人々の記録』をみる」について書いたことがある。

テレビドラマはどうかといえば、これは脚本家によって決める。私はドラマで最も重要なのは脚本だと思う。これがよくないと、どんな名優を配してもよい作品にはならない。その点、倉本聰のものは期待を裏切られたことがない。直言でも、「『北の国から』に寄せて」(フジテレビ)で触れている。ドラマは、「ハケンの品格」(日本テレビ)、「踊る大捜査線」について書いた。家族に付き合って、朝の連続テレビ小説をみた年もある

NHK大河ドラマは、「太閤記」(1965年)、「源義経」(1966年)あたりから、何年かおきにみている。「風林火山」(2007年)は欠かさずみていた。その「惰性」でみた「篤姫」(2008年)は、当初の予想に反して大変よかった。

何よりも田渕久美子の脚本がいい。この人についての知識は皆無だったので、『アエラ』(朝日新聞社)2008年12月22日号「現代の肖像」を読んで、「篤姫」が、田渕の人生を重ねた、まさに「家族ドラマ」であることがわかった。ありきたりの幕末ものではなく、また「官軍=薩長史観」ではない点も新鮮だった。滅びゆく徳川家と、その「壮大なる世襲維持装置」たる「大奥」の消滅の過程を、天璋院篤姫を軸に描いているが、その成功の秘密は、やはり「家族」だろう。

「人の幸せとは、地位や名誉、ましてや財産などではなく、気のおけぬ友や家族たちとともに過ごす穏やかな日々の中にこそあるのだとおもうておる…」。最終回、天璋院が勝海舟に語る言葉である。脚本家の田渕は、2年前に再婚した相手が末期癌であることを、「篤姫」の脚本執筆中に知る。そして、夫はクランクアップ(番組収録終了)の半月後に死去する。篤姫は49歳で亡くなったが、田渕も同じ49歳。再婚してわずか2年で逝った夫のことを、「あの人は家族を持つことが一番のテーマだった。それを遂げて、天に戻っていったのでしょう」と語っている(前掲「現代の肖像」)。「篤姫」の脚本には、夫との2年間、その凝縮した時間、「絶対に揺らがない愛情」「何をしても、すべてを受け入れる深い愛」が結実しているという。田渕はいう。「本当に良い脚本を書こうと思ったら、いかに人間をみとめ、愛して、許せるかということに尽きる。もうありとあらゆる存在を愛し抜かないと書けないんですよね」と。壮絶なまでのこだわりは、登場人物たちが発する、その時々の印象深い「言葉」を通じて、視聴者に伝わったのではないか。

例えば、私自身も「うつけ」だと思い込んできた徳川家定を、堺雅人が好演して、実はそうではなかったと描いたところも面白い。このドラマは、将軍としての家定ではなく、「家族を守りたい」というところで一貫させたところに、とりわけ女性のファンを獲得した秘密があるだろう。

鳥羽伏見の戦いから逃げ帰った徳川慶喜の助命嘆願のため、天璋院は奔走する。「なぜ、そこまでのことを」と問う慶喜に対し、天璋院は、「あなたは家族です」という。ここまで徹底しても不自然でないのは、このドラマ全体の組み立てと、宮崎あおいのキャラにおうところが大きい。

年寄の滝山(稲森いずみ)が、江戸城を退去する天璋院に向かっていう言葉も印象に残る。「自らの運命を知った大奥が、あなた様をここに呼び寄せたと思うております」。

江戸城無血開城。地位も名誉も面子も捨てて、江戸炎上という事態を回避した。これも、家族を守るためだったのか。徳川家という家制度よりも、一人ひとりの家族を描こうとした現代的な眼差しが、視聴者の支持を得た要因だろう。家定が、「わしが残したいのは城でも家でもない。徳川の心じゃ。そちがいるところ、そこが徳川の城じゃ」。「幕末ホームドラマ」という雰囲気だが、それを超える何かがあった。

もう一つ挙げておきたいのが、「風のガーデン」(フジテレビ開局50周年記念ドラマ)である。「人は最期に何処に還るのだろう」。10月9日の第1 回(スノードロップ)から始まり、花の名前が毎回のタイトルになっていた。関連する花言葉が冒頭に掲げられる。放映時間に在宅できないときは、家人に録画を頼んでおき、どんなに帰宅が遅くともその日のうちにみていた、例外的ドラマだった。

物語はフジテレビのサイトに出ているので詳しくはそちらに譲るが、麻酔科助教授・白鳥貞美(中井貴一)が、女性関係が原因で妻に自殺され、訪問医の父親・貞三(緒形拳)から親子の縁を切られる。娘(黒木メイサ)と障害をもつ息子(神木隆之介)は、富良野で母が残したガーデンの手伝いをしている。末期癌とわかった貞美は故郷に帰り、父親や子どもたち、中学校時代のクラスメートたちと再会し、自分の家で最期を迎える。物語は死に直面した人間と家族という、すこぶる重いテーマなので、みているのがつらいはずなのだが、自然・花と花言葉と音楽が巧みに響き合い、重なり合って、番組は独特の雰囲気を保って進行していく。

12月18日は最終回(ナツユキカズラ)。すい臓癌におかされた貞美と娘のルイが、ガーデンのなかのバージンロードを歩くシーンは、私自身、その数日後に同じような儀式が控えていたこともあり、特別の感情がわき起こってきた。

年頃の娘と男親との距離の取り方のむずかしさや、二神(奥田暎二)という株不正取引の黒幕を登場させて時代の空気を感じさせたりもしたが、一番のポイントは、俳優・緒形拳の遺作となったことだろう。

主人公の父親役。かつては札幌の大学病院の名医だったが、その後富良野で訪問医をやっているという設定。在宅医療に徹して、家族とともに死を迎える手助けをしている。だが現実に、緒形自身が肝臓癌をわずらっていた。ドラマのなかで、癌患者や家族にいう一つひとつの台詞から表情、仕種に至るまで、自らも癌におかされていて、限られた命であることを自覚していたと思われるだけに、「迫真の演技」といってしまうことがはばかられるような、壮絶な演技だった。

緒形拳は好きな俳優だった。戦国武将に凝った小学生のとき、「太閤記」は欠かさずみていた。緒形の秀吉役が実に見事だったことを記憶している。本物の秀吉に会ったことはないが、私個人のイメージでは、後にも先にも、あの緒形拳の秀吉が、実際の秀吉に最も近かったのではないかと、今でも思えてしまうほどである。

その彼が演ずる訪問医の言葉が遺言のように響いてきて、いたたまれなくなる場面も少なくなかった。この番組の制作発表会(9月30日)に出席して発言していたが、その5 日後の10月5日に亡くなっている。番組開始は10月9日。放映直前に亡くなっているので、緒形拳が毎回出てくるたびに、もう新しい演技はみられないのだと、寂しい気持ちになった。そして、最終回、息子の貞美が最期を迎える床に伏してから、緒形が発する一言ひとこと、表情の一つひとつはさらに胸に迫ってきた。

「あなたは余命1カ月です」と宣告されたとき、私だったら何をするだろうか。まずやりたいのは、最後の1カ月分4回の直言原稿を連載の形でまとめておくことだろう。これは宣告の直後に一気に書き上げる。更新をサポーターにまかせて、インターネットの世界とは縁を切る。パソコンも携帯もやめる。山を見ながら、ブルックナーの交響曲を、第9番ニ短調から始めて、第0番ニ短調まで逆に聴いていく。究極の「ながら音楽」の用意をして、最期を迎える。でも、実際はわからない。原稿どころではなく、うろたえるかもしれない。「風のガーデン」をみながら、いろいろなことを考えた。その意味で、2008年のドラマは収穫だった。2009年。視聴率競争やコスト削減の波に負けないような、こだわりの作品に出会えるだろうか。

トップページへ。