7月21日午後1時。衆議院が解散された。「○○解散」というネーミングの数は多く、どれもが「言いえて妙」である。身内からも、「やけっぱち解散」(鳩山邦夫・前総務相)、「後がない解散」(伊吹文明・元幹事長)、「最後の解散」(加藤紘一・同)等々の「自虐的」ネーミングが続出し、祖父・吉田茂の「バカヤロー解散」[1953年] をもじって、「バカヤローの解散」(「バカタロー解散」!)というものまであった。国権の最高機関たる国会の、その第一院の解散という「極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為」(最高裁1960年6月8日「苫米地判決」)にもかかわらず、都議選という地方選挙に絡ませたり、あれやこれやいって先延ばしにしてきた。解散時期の選択から、投票日の設定に至るまで、これほど徹底して、連立与党議員の首がつながるための、いわば「自己保存」の観点からのみ行われた解散はないのではないか。一時は、「ナガサキの日」である8月9日を投票日にすることまで話題になった。「日本人として」(この言葉は好きではないが)恥ずかしくないのか、といいたくもなった。その意味では、田中康夫(新党日本代表)のいう「最後まで国民不在の『ミーイズム』解散」というのがあたっている。
ここ数カ月、いつ解散なのかと新聞各紙は連日のように書き立てた。夕刊紙の1面写真は毎晩のように、麻生太郎の顔。いい加減うんざりというところだが、たまった切り抜きの一部がこれである(『日刊ゲンダイ』『読売』『週刊文春』など)。このうち、真ん中下の写真、イタリア中部ラクイラで開かれたサミットで満面の笑みをしている写真は記憶にとどめておこう。4月6日の大地震で270人以上の死者を出した場所であり、各国首脳は当然、そのことを踏まえてダークスーツで参加したのに対して、わが首相はご覧の通り。ファッションセンス以前の問題である。
さて、解散当日、7月21日の風景は、意外なほどに「静か」だった。それまでの報道では、「造反組」が何かをやるとみられていたが、両院議員懇談会(総会にあらず)は突然公開となり、麻生太郎が目をうるませるなど、終始麻生ペース。最後は「ガンバロー」で終わった。代議士会では、反麻生の急先鋒の中川秀直(元幹事長)が、突然、首相に握手を求め、拍手喝采。一方、麻生のことを「徳のない」と断じた武部勤(元幹事長)は、一転して、「麻生総裁の下で総選挙を戦う」と宣言した。この人は、4年前の「9.11総選挙」の応援演説で、「ホリエモンはわが息子です」といっていたことを思い出した。
もはや内閣や与党の体をなしていない。空気が抜けたような話し方をする幹事長と官房長官ということもあって、メッセージが伝わってこない。この人選は、当初、麻生が一人で仕切るつもりだったことを示す。この内閣発足時、閣僚名簿読み上げを、首相自らがやるという慣例破りを行ったことも、記憶に新しい。直言「麻生お一人様内閣」を出して、そのことを指摘した。これをもう一度お読みいただきたい。そして、昨年の岡崎・安城両市での豪雨災害について彼が何といったのかも思い出してほしい。ほんの11カ月前のことである。
それにしても、統治にたずさわり、「公」に対して自覚的であるべき政治家たちの「ミーイズム」が目立つ。安倍晋三(初代・内閣投げ捨て首相)も「私の内閣」という言い方を繰り返し行った。麻生も「解散は私が決めます」と、「私」を連発した。その「私」は21日18時からの記者会見で、解散・総選挙の意義について語り、幼児教育の無償化や雇用政策の強化など、「安心社会」実現を目指すと述べている。そのなかで、「行き過ぎた市場原理主義から、決別します」と断言している(首相官邸ホームページ『麻生内閣メールマガジン』40号〔2009年7月23日〕)。これも覚えておこう。「構造改革」の荒野からの復興は緊急の課題だが、麻生首相は、なし崩し的に、小泉「構造改革」との距離を広げようとしている。この間、ずっと小泉路線に乗ってきたのに、総括も反省もない。票欲しさのためだけの路線修正といわれても仕方ないだろう。
解散前日の『毎日新聞』7月20日付1面は、ちょっと目をひいた。「9.11=郵政民営化選挙」からの4年間を横軸に、その間の内閣支持率と日経平均株価のグラフを並べて、首相の政権投げ出し2回、自殺・辞任・更迭で内閣を去った閣僚たち(「絆創膏」もいる!)の写真を連ねる。一度の総選挙の委任で、2人の首相と11人の閣僚がかわり、新教育基本法から憲法改正手続法、任務遂行射撃(海外での武力行使)に道を開く海賊法まで制定し、後期高齢者医療制度から、国民生活を悪化させた雇用規制緩和まで、これらはすべて、「9.11総選挙」の落とし子ではないだろうか。そのことは決して「忘却」されてはならない。
ところで、今回は、内閣不信任決議案可決の場合における「対抗的解散」(憲法69条解散)ではなく、内閣が裁量的に行う「7条解散」だったわけだが、これについては、しばしば衆院議長経験者から異論が表明されている。例えば、衆院議長をやった綿貫民輔(現・国民新党代表)は、「憲法7条に基づく解散は、政府が勝手に思いついたら解散やるぞということで、本当はおかしい」と発言したことがある(『朝日新聞』2003年1月21日付)。また、故・保利茂元衆院議長は、解散が行われる場合として、(1)「議院内閣制のもとで立法府と行政府が対立して国政がマヒするようなときに、行政の機能を回復させるための一種の非常手段」、(2)「その直前の総選挙で各党が明らかにした公約や諸政策にもかかわらず、選挙後にそれと全く質の異なる、しかも重大な案件が提起されて、それが争点となるような場合には、改めて国民の判断を求める」の二つを挙げて、「特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようということであれば、それは憲法上の権利の濫用ということになる。…“7条解散”の濫用は許されるべきではない」と主張した(『朝日新聞』1979年3月21日付)。この指摘は、7条解散限定の主張である。福田赳夫内閣(当時)が意図した解散に反対する目的で書かれたものとされているが、解散権の濫用という視点は興味深い。
この観点からいえば、麻生太郎が昨年9 月の段階から、「私がしかるべき時に〔解散を〕判断します」を繰り返し、結局、解散権を玩具のようにもてあそんだことになる。その意味では、解散をことさら引き延ばすことも、解散権の「濫用」といえなくもない。
さらに、今回の解散・総選挙で特筆すべきことがある。それは、現職の再選だけを考えて解散を引き延ばすことに執拗にこだわった結果、解散から総選挙までの日程が、憲法の許容限度である40日間になったことである。現行憲法下では22回目の総選挙になるが、初めての事態である。
憲法54条1項は、総選挙は、「解散の日から40日以内」に行われると定める。「解散の日」とは、解散の詔書が公示された日、その日付の日であるが、期間の計算は初日をカウントしないのが民法の原則である(民法140条)。しかし、国会法133条は「当日から起算する」と定めている。これは、「期間は一日でも短く計算すること(すなわち、一日でも早く総選挙を行うこと)がのぞましい」という趣旨に理解されている(宮澤俊義・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』日本評論社403頁)。
これまでの最長は、祖父・吉田茂が行った1953年「バカヤロー解散」の際の36日間とされている(『朝日新聞』7月14日付)。最短は、中曾根内閣の「田中判決解散」(1983年)の20日間。今回はその約2倍である。麻生太郎はこんなところで、祖父を「超えた」と思っているのだろうか。
それにしても、よくぞここまで引っ張ったものである。任期満了選挙も考えたのだろうが、それだと、総選挙は「議員の任期が終る日の前30日以内に行う」(公職選挙法31条1 項)ことになるから、8月30日よりも前になる可能性が高い。それに「私の解散」をやりたかったので、任期満了はどうしても避けたい。国民のためではなく、すべて連立与党の現職議員のための選択でしかなかった。しかも、真夏の選挙は、老齢の候補者と運動員の寿命を縮めることぐらい、たやすい道理なのに、それすら配慮することもなく、麻生は「自己チュー解散」に打って出たわけである。
そもそも福田康夫の突然の自民党総裁辞任(→内閣総辞職に連動)は、「総選挙を勝てる総裁を」という、一党一派の事情だった。そのあとに首相になった麻生の最大の任務は総選挙をやることだった。それが「選挙より景気だ」とばかり、ここまで引き延ばしてきたのである。衆議院を解散した以上、「一日でも早く総選挙を行うこと」が要請されるのに、麻生は目一杯の40日をとった。
かくも長期間を設定した狙いは明らかだろう。追い込まれた与党が時間稼ぎをして、反転のチャンスをうかがう。まさに「何でもあり」の世界が始まった。民主党議員のスキャンダルは当然出てくるだろうし、民主党代表の「お金」の問題や「出自」の問題など、ありとあらゆる手を使ってくるだろう。「3月3日の雛祭り」事件での「反転」を教訓に、より緻密に、より迅速な民主党攻撃を狙ってくるだろう。
何があってもおかしくない。北朝鮮絡みの「重大事件」が起きる可能性も、普段よりはずっと高くなる。緊急事態を首相が「鮮やかに仕切る」。もしかしたら、参議院の緊急集会も開催されるかもしれない。
「内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」(憲法54条2項但書)。これは首相の裁量である。内閣が参議院議長に対して緊急集会開催を請求すれば、議長はこれを各議員に通知。これを受けた議員は、内閣が指定した日に、「参議院に集会しなければならない」(国会法99条2項)。つまり、首相は参議院に緊急集会を開かせる権限をもち、参議院はこれを拒否できないのである。
例えば、首相は自衛隊の防衛出動を命ずる際、国会の承認を必要とするが(自衛隊法76条)、衆院解散の場合は参議院の緊急集会の承認で足りる(武力攻撃事態対処法9条4項)。「重大事件」でメディアが大騒ぎになっているとき、この参院緊急集会はインパクトが強い。それを開催させた首相は「頼もしく」見える。そして、投票日になだれこむ。「政権交代」を阻止するための、手段を選ばない抵抗を想定しておく必要があるだろう。
いずれにせよ、首相が「私の解散」を語るようになってから、衆院解散という「国家統治の基本に関する行為」が、その存在の耐えがたい軽さをさらしている。だが、解散権を玩具のように扱った人々に対して、有権者がはっきりした意思表明をする時はもう間近に迫っている。そして、その結果はきわめて重いものとなるだろう。
(文中・敬称略)