入試の季節である。先月の大学入試センター試験では、972人に追試が行われることになった(そのうちインフルエンザが原因は509人)。この数字は1995年の934人を上回り、「過去最多」となった(『毎日新聞』2010年1月28日付)。だが、全国で「この程度」ですんだわけで、昨年から言われていたよりもはるかに影響は小さかった。
私の大学は、12日の文化構想学部から始まった入試は、今日の社会科学部で終わりである。幸い、新型インフルに対する緊急対応の必要もなく無事に終わったので、本当の本当にホッとしている。それくらい、この時期は緊張を強いられる。
それぞれの大学で、インフルエンザで欠席した者に追試を行うか否かについて、対応が分かれた。東京大学は「追試験を実施した場合の公平性の確保に関わる問題等を踏まえて」追試は実施しないと決めた(1月22日)。北海道大学も「例年の季節性インフルエンザと異なる状況とはいえず、今年だけ入試を行うことで公平性に問題が生じる」として、実施しないと発表した(1月28日)。他方、大阪大学、お茶の水女子大学などの国立大学、明治、立教、法政などの私立大学は、追試を実施する。早大は、「特別な対応をとる場合があります」として、状況によってホームページで随時知らせるとしてきた。2月5日に、おそまきながら「追試験は実施しない」と発表した。
ともあれ、「特別な対応」の必要もなく終わることができてよかった。入試のやり方は各大学それぞれであり、追試にすぐに対応できるところと、そうでないところがある。「一般」入試の場合、「特別」対応で入った者との公平性をいかに確保するかなど、難問は尽きない。
ここで想起するのは、3年前の麻疹(はしか)による全学休講・出席停止のことである。2007年5月21日(月)4限(14時40分〔当時〕)から5月29日(火)まで、早大では麻疹による全学休講・出席停止措置がとられた。冒頭の写真は5月23日(水)昼過ぎの早稲田キャンパスの風景である。学生であふれる時間帯だが、人っ子一人歩いていない。思わず携帯のカメラで撮ってしまった。右の写真は、南門に貼られた告示である。当時、この直言の「雑談」シリーズ冒頭でこれらの写真を使ったが、今回改めてこれを見て、この時の教訓が現在に活かされているのだろうかと思った。
とはいえ、時節柄詳しく書く時間的余裕がない。2009年4月にメキシコで確認された後、世界的に流行していった新型インフルエンザ。その1周年を前にして、日本での感染が確認された翌月に急ぎ執筆した原稿を、ここに転載することにしよう。いま読み返してみると、その時の社会の「空気」がわかるだろう。
新型インフルエンザと法
◆大学のインフルエンザ対処
私は早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団の会長をしている関係から、5月17日の定期演奏会は、ある緊張感をもって臨んだ。5月9日、新型インフルエンザの感染者が国内で確認され、神戸・大阪では、発熱外来に患者が殺到。「ドクターは戦場にいるようだ」という緊迫した状態が続いていた(『朝日新聞』〔大阪本社版〕5月18日付)。大学の対応は冷静だったが、東京でも事態が急変して、課外活動中止要請がくる可能性は捨てきれなかったからである。私の心配は杞憂に終わり、コンサートも成功した。
新型インフルエンザに対する早大の対応をみると、4月28日段階で、全学生に対して次のようなメールが一斉配信された。「今後、日本国内で人から人への感染が確認された段階で、授業は休講とし、全キャンパス立ち入り禁止とし、自宅学習とします。大学内で予定されている全ての行事等諸活動および課外活動についても禁止となります」。教員に対しては「不要不急の海外渡航」の自粛が要請された。学内での学会や研究会の延期を検討する動きも出てきた。
だが、5月2日付通知で、今回のインフルエンザが「必ずしも強毒性の致死性の高いものではないと判明しました」として、「立ち入り禁止」などの予定は事実上撤回された。続く「新型インフルエンザに関する5月7日以降の本学の対応について」では、「授業等の教育研究活動ならびに課外活動は平常どおり行います。ただし、今後の状況次第では新たな対応を行うことがありますので…大学からの連絡に注意してください。…」となった。5月10日の通知以降は「平常どおり」から「通常どおり」へと表現がかわり、全学休講措置への言及は消えた。
6月19日に早大生2人の感染が確認されたが、所属する専攻の学生が1週間の自宅待機になるにとどまった。実際、ある用事のため会った学生のなかに、自宅待機の学生が一人いたが、本人は「いま自宅待機中なので」と涼しい顔をしていた。少し前だったら、少なくとも当該学部は休講になっていただろう。2007年5月のインフルエンザ全学休講の経験が学内的にも検討されて、それが冷静な対応につながったものといえる。
ところで、新型の問題では、メディアはエキサイトした。4月末から5月第2週までがピークで、その後はクールダウンしていったが、国の当初の対応には疑問も出てきた。厚生労働大臣の先走りパフォーマンスの影響も少なくない。
◆深夜の記者会見
5月1日、桝添要一厚労大臣は、同省18階の大会議室に職員100人を集め、「見えない敵のウィルスに必ず勝つ」と檄を飛ばした。そして、横浜で新型の疑いのある患者が発見されるや、深夜1時30分に記者会見を行い、「ぜひ正確な状況を把握し、落ち着いて行動して」と呼びかけた。朝刊最終版(14版)締め切りギリギリに記者会見を開けば、情報の垂れ流しのような紙面になりがちである。初の患者が出たという情報は、大臣が深夜に記者会見するようなものなのか。ある知事からは、「『落ち着いて』というべきは大臣です」という皮肉も出た(『アエラ』5月18日号)。
大臣の力みすぎが、対応を極端にしていった。国内感染が明らかとなってからは橋下府知事が「これでは大阪がマヒする」と、厚労大臣の携帯に電話を入れ、「毒性の知見を早く示して下さい」と要望。通常のインフルエンザへの対応への切り替えを求めた。厚労省の指針に基づく大阪府の行動計画では、人から人への感染が確認された段階で、発生地域の学校などに休校と定めていた。国の指針は、強毒性の鳥インフルエンザを前提にしており、軽症の感染者を想定していなかった(『朝日』〔大阪本社版〕18日付「時時刻刻」)。
また、5億円もの税金を使って、「冷静な対応をお願いします」という麻生首相のダミ声のテレビCMも流された。さすがにこれには、「厚労相が散々、危機感をあおっておいて、麻生首相が『冷静な対応を』なんてマッチポンプもいいところ。総選挙前のパフォーマンスだ」という批判も出た(『週刊朝日』6月19日号)。実は、感染症への冷静な対応は、法律そのものが要求している。
◆前文のある法律
1998年に制定された感染症予防・医療法(施行は1999年4月1日)。私が三省堂『新六法』の編者となったのが施行の年で、六法編纂の最初の仕事は、在外研究中のドイツ・ボンで行った。99年10月に発売された『新六法2000』には、健康・医事法の章を担当した井田良氏(慶大教授)の判断で、制定されたばかりのこの法律が収録されていた。私は日本から送られてきた見本刷りで、この法律の存在を知った。なぜ印象に残ったのか。それは、この法律に前文が付いていたからである。憲法前文は当然としても、一般の法律に前文が付くというのは珍しい。
刷りたての『新六法2000』を抱えてライン河畔のカフェへ。ドイツ人が新聞を読んだり、談笑するなか、私は小さな声で、もちろん日本語で、この法律の前文を音読した。忘れえぬ思い出である。少々長いが、前文を全文引用することにしよう。
「人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた。ペスト、痘そう、コレラ等の感染症の流行は、時には文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願と言えるものである。医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により、多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えている。一方、我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。ここに、このような視点に立って、これまでの感染症の予防に関する施策を抜本的に見直し、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する」。
「人類は…」で始まる法律は他に例がない。この法律の附則第3条は、「次に掲げる法律は、廃止する」として、伝染病予防法(明治30年法律第36号)、性病予防法(昭和23年法律第167号)、後天性免疫不全症候群の予防に関する法律(平成元年法律第2号)の3つを挙げている。伝染病予防法には「隔離」という言葉が使われていたが、この法律にはない。「患者等の人権を尊重しつつ」、病気の種類や度合いに応じた、段階をおった、きめ細かい施策が定められている。小説や映画に出てくる強制的な「隔離」の思想は否定されたわけである。今回の新型インフルエンザへの対応についても、報道にあたった人々も含め、すべての人がこの法律の前文を読み、それぞれの対応について検証してみる必要があるように思う。
(2009年6月27日稿)
〔「水島朝穂の同時代を診る」(連載第55回)『国公労調査時報』560号(2009年8月)より転載〕