鳩山政権の「政見後退」 2010年3月8日

イツも日本も連立政権は不人気である。ドイツのテレビ局(ARD)による最新の世論調査によると、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と自民党(FDP)の連立政権は、発足後わずか4カ月で、支持率が27%に落ち込み、不支持は72%に達している(Die Welt vom 5.3.2010)。一方、日本でも民主・社民・国民新党連立による鳩山政権が発足して来週16日で半年になるが、支持率は過半数を切り、43%まで落ちた(日経ネット3月1日)。この政権交代は、麻生内閣末期の醜態も加速要因となって「自民党を選択しない」という形で起きた。これにより何が変わったのか、あるいは何が変わらなかったのか。この政権の半年を冷静に総括するには、相応の準備と時間が必要だろう。さしあたりここでは、2月26日、第二東京弁護士会主催(日弁連など共催)のシンポジウム「政権交代と憲法『改正』の行方」に触れておく。私はここで基調講演を行い、パネルディスカッションにでも発言した。憲法改正問題をめぐっては、5月18日に施行される憲法改正手続法について、18項目の附帯決議も何一つ検討されておらず施行は延期すべきだと主張した

このシンポの主な関心は、憲法改正問題よりも、鳩山政権や民主党の現状をどう診るかに置かれた。現在、鳩山政権については、「政権交代」ではなく「利権交代」ではないか(早野透『朝日新聞』2月18日「ザ・コラム」)とか、「成金」ならぬ「成権」政治(丹羽宇一郎『東京新聞』2月1日付コラム)といった、さまざまな評価がある。私は、気負いすぎの「政治(家)主導」の結果、政党寡頭制的傾向(R・ミヘルス)が生まれていることに注目しており、シンポジウムでは、「非民主集中制」の現状を踏まえ、「民主党の民主化」の必要性にも言及し、参院選挙における国民の判断を前に、「党中央」が何らかの変更・修正を迫られるだろうとも述べた。

パネラーの一人、平岡秀夫民主党議員は冒頭、参加者に対して、鳩山政権をもう見限ったか、それともまだ少しは期待をもっているかの「アンケート」をしたいと挙手を求めた。「見限った」という人は少なく、多くの参加者が「まだ期待している」の方に手を挙げた。平岡氏は、現在の政権の問題性について、パネラーの天木直人元レバノン大使と私からの批判や質問にも誠実に答えつつ、民主党内部の事情、特に、民主党政策調査会が廃止されたことによるマイナス面を強調していた。

実際、このシンポジウムの6日後にあたる3月4日、平岡氏を含む41人の民主党議員が政策調査会復活を求める会合を開いた。『産経』ネット版(3月4日19時35分配信)はこれを「決起」と表現した。「民主化」への一つのあらわれとして注目されよう。

当初、鳩山首相は、政権発足直後の記者会見や国連総会および安保理での演説などを通じて、政権交代の積極面を内外に強く印象づけた。そして、自民党政権との断絶面を強調すべく、新しい方針や手法を次々に打ち出していった。私は発足1カ月の時点で、NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」において、「気負いすぎた『政治家主導』に矮小化される」危惧を表明しつつ、政権交代の意義と限界について語ったその頃、新政権の防衛大臣が、航空自衛隊のイラク空輸の実態を示す「週間空輸実績」を情報開示するなど、前政権との違いを感じさせる場面がまだあった

発足1カ月を過ぎると、「政治とカネ」の問題が顕在化し、内閣支持率も急下降していった。時間の経過とともに、民主党と連立政権への「期待の貯金」は目減りを続け、鳩山政権に対する国民の態度は、幻滅から反発に変わりつつある。長崎県知事選挙と東京・町田市長選挙はその明確なあらわれと言える。

政策面でもいろいろ問題があるが、とりわけ安全保障政策の面では、自民党政権との連続性が露骨に出てきた。というよりも、外務、防衛両大臣はその独自性をまったく発揮できないどころか、外務・防衛官僚のロボットと化したかの如くである。

まず、核密約問題をめぐっては、それを検証する「有識者委員会」の人選が、前政権時代の審議会常連とかなり重なり、連続性が際立つ。結論は十分に予測できるものだったが、結果は完全に尻すぼみのひどいものになりそうである。また、2010年度防衛省関係予算はもっと露骨で、前政権下の要求がほとんどそのまま計上されている。「防衛費」の事業仕分けは小手先にとどまり、1139億円もする22DDH(空母のようなヘリ搭載護衛艦)は当初、さすがの海幕も無理と踏んだらしいが、簡単に通ってしまった。また、冷戦終結後に調達した90式戦車の壮大なる無駄の反省もなしに、新型戦車をズラリと揃える神経は並みではない。どのような「安全保障」を構想するかを議論した上で、どのような「防衛力」整備が必要かという議論ではなく、まずは前政権時代からの発注予定の装備をズラリと並べる。すべて「事業仕分け」の対象外であり、壮大なる税金の無駄遣いが堂々とまかり通っている。本来ならば、前政権の「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」を根本的に見直して、鳩山首相のいう東アジア共同体構想とも親和的な安全保障構想を検討すべきところなのに、前政権のものがそのまま引き継がれようとしている。

「新大綱」と「中期防」の策定に向けて、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・佐藤茂雄・京阪電鉄CEO)を発足させたが、メンバー的には、前政権の「安全保障と防衛力に関する懇談会」(安倍内閣、麻生内閣)と重なる人もいる。加えて、専門委員には斎藤隆前統幕長(「あたご」事件時のトップ)と伊藤康成元防衛事務次官(小泉内閣がイラク戦時派遣を決めたときの事務方トップ)、加藤良三元駐米大使(「9.11」以降7年間在任)が就任した。この3人が「大綱」の骨格を決めていくだろう。前政権との連続面は一段と際立つ。もっとも、陸上自衛隊出身者が入っていないので、陸自削減の方向が出てくる可能性はある

1月12日、中米のハイチがM7の大地震により壊滅的な被害を受けた。各国が救援隊を派遣するなか、日本政府は、JICA医療チームの25人を派遣するとともに、陸上自衛隊第13旅団(海田市)を基幹とする「ハイチ国際緊急医療援助隊」約100人を派遣した。13旅団は08年に、「即応近代化旅団」(別名・海上機動旅団)に改編されていた。派遣の根拠は、国際緊急援助隊法(1987年法律第93号)である。初動で鈍った日本が、1月23日から3週間、医療を中心に援助を行った。とはいえ、大地震で生き埋め被害者の「生存限界」は72時間と言われている。隣国キューバは400人の医師を即日派遣し、野外病院を30棟設置し、最も評価された。日本が行うべき緊急支援のあり方を示唆している(山本太郎「ハイチ国際医療援助の現場から」『世界』2010年4月号は有益)。

だが、医療支援はここまで。実際に行われたのは、地震のどさくさにまぎれて、自衛隊の実動訓練のようなものになった。被災地の人々への緊急支援というよりも、国連ハイチ安定化支援団(MINUSTAH)に対して、PKO等協力法に基づく派遣である。ハイチは武装勢力と政府との抗争が続いている。MINUSTAHはその「安定化」が目的である。実際、武装勢力との間での衝突も起きている。前政権下でも、ハイチ派遣は現行のPKO等協力法では困難として見送られてきたものである。

実際、米82空挺師団が地震直後から空港や港を管制して、支援団体の活動にも支障をきたしたと言われている。チュービンゲンの軍事化情報センター(IMI)の分析によれば、米国による「1915年以来の4度目のハイチ侵略」という評価であるMINUSTAHの活動にも疑義が出され、ハイチの「再植民地化」の動きとして警戒を要する。そこに自衛隊の精鋭部隊を送ることは、従来のPKO派遣の枠を超え可能性がある。にもかかわらず、連立政権は十分な議論もなく、簡単に派遣を決めてしまった。法的枠組が変わっていないにもかかわらず、である。内閣法制局長官の答弁も禁止されていることもあり、国会での議論はまったく不十分。閣内でも、社民党も簡単に賛成してしまった。由々しきことである。

PKO等協力法には、PKO派遣五原則がある。①停戦合意、②受け入れ同意、③中立性、④必要最小限の武器使用、⑤以上が満たされないときの撤退、である。政府は、武装勢力は「国に準ずる組織」ではないので、法的意味での「武力紛争」は存在しないから、PKO五原則は充足しているという解釈を打ち出した。しかし、次世代型のPKOは一方同意で展開する。PKO五原則との関係で当然には出せない。にもかかわらず、陸自のなかの最精鋭部隊が送られた。海外派遣専門の中央即応集団の主力、中央即応連隊(CRR)である

中即連は3個普通科中隊からなり、レンジャー徽章をもつ選りすぐりを全国から集めている。各中隊には狙撃班があり、他の部隊よりも射撃を重視している。「日本一実弾を使う部隊」(中即連幹部の言葉)とされる所以である(『下野新聞』2008年9月12日付)。

ソマリアの海賊対策のためにP3C哨戒機が派遣されたが、その「護衛」のため、ジブチに中即連が派遣された。その活動の実態は滑稽である。ジブチを取材した東京新聞の半田滋記者に直接聞いたところでは、セキュリティ万全のジブチ国際空港のなかにわざわざ「警戒監視塔」を設置して、そこで24時間態勢で警備にあたっているという。例えて言えば、羽田空港の格納庫の近くに監視塔を建てて警戒するようなものだ。海外に戦闘部隊を出して警備活動を行うことを自己目的にした派遣と言えよう。派遣地域の「警備地誌」を作成したり、警備訓練などを行っているのではないか。実際、イラクでは警衛隊を軸とした「デモ対処部隊」を編成して態勢を組んでいた。それは、入手したイラク派遣部隊マニュアルをもとに、すでに明らかにした通りである

ハイチに派遣された中即連が何をやっているのか。メディアが十分に取材に入らないのではわからない。ブルドーザーやトラックなどで設営工事をしている場面がテレビで流れたが、派遣された部隊は施設科ではなく、「腐っても中即連」という戦闘部隊である。おそらくは武装勢力が存在する緊張感のなかで行動すること自体が、実戦訓練として有益ということだろうか。また、陸上幕僚監部直轄の「教訓収集班」というのがあって、現地の情報収集を徹底して行っている。次の派遣に向けた「戦訓」を集める任務である(東京新聞・半田滋記者)。中即連は第5旅団(帯広)の部隊と交代するが、中即連の初の大規模海外派遣は、準戦時地域への実動訓練として、さまざまに「戦訓」化されるだろう。

普天間基地問題についても、鳩山首相は結論を5月まで先送りし、県内、国内、国外などの選択肢につき、「ゼロベース」で検討していると繰り返してきた。だが、3月上旬になって雰囲気は変わった。沖縄の辺野古陸上案や嘉手納統合案など、「県内移設」の方向に急速に傾いてきた。そもそも「普天間移設」というから間違うのである。米国はグァムの強化を前提に、沖縄にMV22オスプレイという高速強襲輸送機の基地を新たに確保したいのである。緊急展開部隊、「殴り込み部隊」としての海兵隊を適時、適切に送る能力を強化するわけである。そのために、強襲揚陸艦を横付けできる、辺野古V字案が、米国にとってはベストと言える。だからこそ、これ以上、沖縄に米軍の新基地を設置していいのかという、根本的な問題が問われているのである。

3月中に出される方向性が「県内移設」ならば、鳩山政権は大変なことになるだろう。沖縄の民意は基地反対で一致しており、それを無視して新基地を沖縄に押しつけるようなことがあれば、鳩山政権の終わりは早まるだろう。鳩山政権のさまざまな政見(マニフェスト)の後退、まさに「政見後退」である。

社民党は、「県内移設」が政府の方針になるか、その可能性が高くなったときは、公約通りに連立を直ちに離脱すべきだろう。沖縄の「民意」は1月24日の名護市長選と県議会の全員一致の決議で示されているからである。

「日米同盟の深化」論については繰り返し批判してきたがこの論点については共同通信配信の地方紙に、「『同盟』施行発想の転換を」を書いたので参照されたい。そこでは、県外で国外でもなく、狭隘な「日米同盟深化」論の「圏外」にこそ解決策を求めるべきであると主張した。このことに関連して、経済学者の宇沢弘文氏らとともに普天間問題での声明を出した。これは、研究者を中心とする人々による最も現実的な対案であると思う。また、同じメンバーによるシンポジウムも予定されているので、参加を呼びかけたい

鳩山首相は政権交代時の原点にもどり、「政見後退」にストップをかけるべきだろう。

 

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