3月下旬から4月にかけて、教育現場は1サイクル動く。大学の学部でいうと、4年生が卒業し、新1年生が入学する。在学生はそれぞれ上級学年に進む。この時期の大学キャンパスは、ジーンズやジャンパーよりも、スーツや晴れ着が目立つ。われわれ教員も、アカデミックガウンと学位帽をかぶる。学部卒業式はアトラクションもあるので普通のスーツだが、入学式はこの恰好で出る。少々気恥ずかしい。教員間のローテーションで、ほぼ隔年くらいの頻度でまわってくる。来月1日には、私も出席する。
先週の卒業式当日、恒例になったが、ゼミ生と記念撮影をした。彼らが手にする「学位記」を見せてもらうと、そこには、「学士(法学)の学位を授与する」と書いてある。博士前期課程を修了した院生のそれには、「修士(法学)の学位を授与する」とある。大学院生にとっては、「学位」という言葉は特別の響きをもつ。修士の学位を手にした一人は、次なる「博士(法学)」を目指してがんばる決意を改めて語っていた。
「学問」に終わりはない。学位は、学問の途中の一つの区切りにすぎない。とはいっても、卒業や修了は人生の節目である。学士や修士の学位記をもらい、それぞれに緊張し、また決意を新たにする姿を見るのは、教員として大きな喜びを感ずる瞬間である。
だが、いま世間で関心を持たれるのは、学問の結果としての学位ではなく、むしろ、就職に有利になるから取得しようという、いわば「手段としての学位」ではないだろうか。民間企業では、キャリアアップのため、経営学修士号(MBA)をとる人が増えている。大学には、そのための研究科やコースまで新設されている。学内に同じ種類の学位を出す複数の学科が並立する。昔では考えられないほどゆるくなっている。学問体系上の必要性というより、てっとり早く学位取得を目指す社会人の需要に応えるという面が強い。企業の要請もある。そのため、夜間、最短で学位を取得させる研究科まであらわれた。 学費はかなり高額に設定してある。薄利多売ならぬ、「博士多売」というのは、あまりいい洒落ではない(MBAは修士だが)。
他方、「国際化」ということで、外国人留学生もたくさん受け入れなければならない。学位を取得して帰国することが、本国では当然のように期待されている。そのため、留学生に学位をできるだけ出すことが「要請」されてくる。だが、文系では、実はこれが容易ではないのである。
理系の場合、学位は研究者の出発点である。助手でも講師でも博士号を持っている。だが、伝統的に文系、特に法学や文学では、教授を長くやったあとに、その功労として博士号を出す傾向があった。近年変わってはきたが、理系に比べれば、まだまだハードルは高い。この違いを世間はあまり知らない。文系に対してもっと学位を出せというプレッシャーがかかるのだが、そうすぐに、大量に出せるものではない。ちなみに、博士(法学)になってから学位を授与された人は、早大では1991年1月から2009年3月までの間で、わずか103件。年平均5件程度である。近年、学位を出しやすくする「改革」が行われてきた。国の大学院重点化政策もあって、とにかく院生を増やし、学位を出すことが求められてきた。しかし、この政策も最近、方向転換を余儀なくされている。
昨年6月、文部科学省は大学院重点化政策を見直し、博士課程の定員減を、全国の国立大学に通知した。「産めよ、増やせよ」と院生の増員を求めながら、ほんの数年で言わば「産児制限」に転ずる。生身の院生や留学生を受け入れている教員の立場からすれば、国の政策の変転は、研究・教育の現場に重大な影響を与える。そこへもってきて、2004年には専門職大学院という新しいタイプが発足した。
アカデミックガウンにかける学位章(フード)は、早大では、法学博士が黄緑色、文学博士が銀灰色、理学博士が黄色、教育学博士が朱色というように、学位の種類は色で区別されている(「式服、学位章、アカデミックガウンに関する規程」6条)。学位授与式のあと、さまざまなカラーのフードをつけた学位取得者が、家族と記念撮影をする光景は毎年のことである。そこへ、2007年3月から新しい色が加わった。アカデミックガウンに濃い緑色の学位フードを付けた、200人以上が列を作ってキャンパス内を移動していった。法務博士(専門職)たちである。
いま法学博士と法務博士と言ったが、一般の人には、なかなかその違いが分からないだろう。端的に言えば、法学博士は、「法学という学問」を、博士論文を通じて追究してきた者に授与される。これに対して、法務博士は、「法曹(実務家)」になるための資格である。修士論文も博士論文も語学試験も必要ない。厳密に言えば「学」位ではない。新司法試験受験資格の別名と考えればわかりやすいが、「博士」という言葉を使ったため、やや複雑になった。司法制度改革審議会や中央教育審議会で、どれほど詰めた議論がなされたのかが改めて問われてこよう。
また、法学博士や医学博士という名称も正式のものではなくなった。1991年に学位規則が改定され、米国式に、博士(医学)とか博士(法学)、修士(法学)という形に変わった(91年より前に取得した人はその限りではない)。1991年は大学設置基準の「大綱化」が行われた年である。法学博士をやめて、米国式に博士(法学)にすることで、日本語の表記として何かプラスがあったのか、私には未だに分からない。
ここで、博士学位の取得について、私の所属する法学研究科を例に、簡単に説明しよう。まず、学士の学位を取得した者が、専門科目と語学1カ国語の試験に合格して、博士前期課程(修士課程)に入学する。講義・演習に出て、所定の単位を取得する。研究指導を受け、修士論文を書き上げたあと、かつてはすぐに2カ国語の語学試験を受ける。これに合格しなければ、博士後期課程(ドクターコース)には進めなかった。後期課程は3年間。その間に原則として博士論文を完成させる。博士論文を出さないで単位取得退学をした者は、その後の3年間は、課程博士論文を申請できる。それ以降は、一般と同じく、「論文博士」として審査を受ける。
なお、2年前、この後期課程に進学する際の語学試験が廃止された。修士論文だけで博士後期課程に進学できる。「マスター・ドクター(MD)一貫制」と呼ばれている。語学試験は、博士論文資格試験として、博士進学後にどこかのタイミングで1カ国語を受験すればよい。そして、計画書と達成度をはかれるように、毎年1度の中間発表会を行い、3年間で書き上げるよう指導していく。かつてのように、院生個人の自発性に任せていた面が強かったところを、外から援助、助長、促進していく方向に転換したわけである。
大学院を担当する者としては、院生と一緒に無心に研究をやりたい。共同研究も自然に生まれる。学問が好きでたまらない、学問を徹底して追究した人に学位を出したい。こういう学問内在的な形が失われ、「結果への強迫」の「空気」がいま、大学を厚く、重く覆っている。
さて、ディプロマミル(学位証書工場)という言葉をご存じだろうか。学位を売ってもうける商売である。ネットで検索すると、米国にはディプロマミルが実に多い。「国際」がつく大学が多いのは偶然ではないだろう。これだけあるということは、それだけ需要があるということである。こういうところで学位を買った大学教授が、経歴詐称で問題になったこともあった。
法科大学院も教職大学院(2007年3月の学位規則改定で導入)も、前述の「博士(○○)」の表記も、すべて米国にならったものだった。その米国の大学では、「企業家教授」という新しいタイプの人物像がキャンパスを闊歩している。このようなタイプは、日本の大学でも増殖している。
過度の競争原理と任期制など、米国流の大学教員人事のやり方も、日本で大分取り入れられてきた。先月、その米国で、教員人事をめぐって悲惨な事件が起きた。アラバマ大学で、女性准教授が、学部の同僚教授ら3人を拳銃で射殺したのである(『朝日新聞』2010年2月13日付夕刊)。理由は、彼女は任期制教員で、「テニュア」(終身在職権)をもつ教授になれず、雇用打ち切りが決まっていたこと。その心理的重圧に耐えきれず、凶行におよんだらしい。競争原理を研究・教育の現場に徹底した場合、ここまでいってしまったという不幸な例である。
ところで、日本が長年学んできたドイツの大学においても、米国化が著しい。社会学者U.ベックは、「反教育的教育改革」を批判し、「ドイツの大学のマクドナルド化」に警鐘を鳴らす(U.Beck, Die Wiederkehr des Sozialdarwinismus, in: Frankfurter Rundschau vom 5.2.2010)。彼は「ファースト・フードはファースト・エデュケーションに照応する」と指摘。国家は「マッキンゼー・スターリン主義」を養成していると述べている。市場原理主義と旧東ドイツ的な管理手法の合体が大学を壊していく。新自由主義的な大学改革を「社会ダーウィン主義の再起」という観点から批判するベックの切り口は鋭い。
最後に、そのドイツで、多くの大学教員が、学位(博士号)をめぐって検察の取り調べを受けるという事件について述べておきたい。
昨年8月、ドイツ紙のサイトを眺めていて、一つの記事が目にとまった(FR vom 24.8.2009)。見出しは「博士号を売る」。100人の大学教員(教授、講師)に対して、検察当局が、収賄容疑で捜査しているという。関係者が所属する大学は全国13にのぼり、医学から経済、法学などほとんどすべての学部にわたっている。教授らは、仲介者から1件4000~20000ユーロ(約49万から246万円)を受け取ったとされる。
発端は、2008年6月、北ドイツの大学の法学部教授が60件以上について収賄容疑で逮捕され、3年の自由刑の判決を受けた事件。金を払った裁判官や高級官僚などは、おとがめなしだった。ここには、ドイツの学位授与制度の構造的欠陥が隠されている、と記事は指摘する。もともとあったドイツの学位授与をめぐる仕組みの問題と、市場原理主義が結びついて、「博士多売」が起きたのだろう。
学位を出せ、資格を出せ、と外からせっつかれる。「第三者評価」などでその点を執拗に問いただされる。こういう雰囲気のなかで、ドイツで起きたことが日本で発生しないという保証はない。すでに全国各地で、金品が絡む事件にされたものが数件起きている。「手段としての学位」だけでなく、過度な「目的としての学位」化にも、私は疑問を感じている。学問の自由(憲法23条)の観点からすれば、研究対象・方法の選択から研究成果発表の仕方を含め、「もっと自由を」が必要ではないだろうか。博士号取得とは、本人の学問・研究の発展の「確認点」とも言えるのではないか。前のめりで学位取得を「援助・助長・促進」していくことは、学問の自由のデリケートな性質を損なう可能性はないかなど、私自身も研究指導に関わりながら、悩みは尽きないのである。
「改革の荒野」から大学を復興させる課題については、昨年末に述べたので参照されたい。