「113 年間で最も暑い夏」は「異常気象」と公的に言われるようになった。先月24日から31日まで沖縄と函館に滞在したが、28日に東京を経由するとき、沖縄より暑いのには驚いた。北海道滞在中も記録的な猛暑で、『北海道新聞』31日付が「猛いいっ暑」という、北海道以外では通用しない洒落た見出しを付けるほどだった。異常なのは気象だけではない。この国の政治も、首相がくるくる変わるという異常な記録を更新している。
猛暑のなか、民主党代表選挙が行われている。 菅直人と小沢一郎 の両候補が街頭に出て、「国民の皆さん」に向けて演説している。 この風景には既視感がある 。2006年から毎年9月、国民に投票権のない与党トップの選挙が行われてきた。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎。毎年のように首相の「首」が変わった。そして、 昨年夏は政権交代により、民主党の鳩山由紀夫が首相となった 。私の2010年版手帳には、「9月16日 鳩山内閣発足1年」「9月30日 鳩山代表任期切れ」と書いてあった。すでに線が引かれているが、書き込み自体は読める。何ともむなしい。菅首相は国会で施政方針演説もしないで去るのか。猛暑のレコードだけでなく、首相の短命記録も更新されるのだろうか。 かつて「総理・総裁」という言葉を問題にしたが 、「総理・代表」の党内選挙。菅・小沢のいずれが代表(首相)になっても、遅い秋が政局絡みになることは確実である。
それにしても、「首」がしょっちゅう変わるのには困ったものである。比喩的に言えば、バスの運転手なのに、道路交通法も知らないで運転している。ブレーキとアクセルを踏み間違える。あるいは運転席から勝手に降りてしまう。そんなことで、日本国というバスの乗客は安心して乗っていられないだろう。 歴史認識の問題でも 、最近では平和や安全保障の問題でも、常識を疑うような発言が続いている。
例えば、普天間飛行場「移設」問題においては、 「最低でも県外」と語った鳩山前首相 が、「県外」案の一つとして、 海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」 の活用案を検討していたというのだ。最大で10機搭載できるので、「3艦か4艦あれば(ヘリが)40機くらい積める。日米の共同訓練もできる。案は消えていない。引き継いでもらいたい」と語った(『毎日新聞』2010年6月22日付)。インタビューした毎日新聞記者は、「まったくの初耳である。沖縄県民の『県内移設』反対の声の中、政府が水面下で進めていたウルトラC、つまりこれが『腹案』だったのか?」と驚いている。北沢俊美防衛大臣は「鳩山前首相から指示はまったく受けていない」と否定したという。
私は13年前の橋本龍太郎内閣当時、コントグループ「ザ・ニュースペーパー」の企画「日本国憲法施行50年の夜」のシナリオに協力した際、辺野古沖の海上ヘリ基地を「ひょっこりひょうたん島」にするとやって笑いをとったことがあるが、これはあくまでもジョークだった(拙稿「日本国憲法施行50周年―『笑い』から憲法を考える」『法学セミナー』1997年7月号)。まさか鳩山首相が本気でヘリ空母活用論を考えていたとは。ヘリ搭載護衛艦に搭載可能なヘリの「数」だけで、そういう結論を出すのにはあまりにも飛躍がある。海兵隊輸送ヘリの大きさやその運用法、さらに法的な問題も含め、「普天間飛行場の代わりが海自護衛艦」という構想は、いずれの立場からもありえない話である。平和や安全保障に責任をもつ一国の首相として、やはり問題があったと言わざるを得ない。
菅直人首相も同様である。6月23日の「慰霊の日」に沖縄に行き、 基地問題について「謝罪」と「感謝」を同時にやって、県民の怒りを買った。彼は安全保障問題について疎いと聞いてはいたが、「これほどとは思わなかった」という「事件」が最近起きた。あまり注目されていないが、私はかなり深刻だと考えている。
8月19日、菅首相は首相官邸で、折木良一統合幕僚長と陸海空3幕僚長という「制服組」トップと会談した。政権交代後では初めてのことである。冒頭、首相は、「昨日予習したら、〔防衛〕大臣は自衛官ではないんですね」とか、「改めて調べてみたら、首相は自衛隊の最高の指揮監督権を有している」と述べたというのだ。折木統幕長は、終了後の記者会見で、これを「冗談だと思う」と突き放した(『読売新聞』8月20日付)。
それはそうだろう。彼らが「最高指揮官」とあおぐ首相が、そのことを「改めて」知ったというのだから。自衛隊法7条には、「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」とある。首相になるということは、自衛隊の最高指揮官として、「武力攻撃」時に自衛隊の出動命令を出すことのできる唯一の地位に就いたことを意味する(隊法76条1項)。制服組に会う際に、それを「改めて」知ったというのでは、 制服組がますます政治家をなめるようになり 、 危うい空気が漂いかねない 。
菅首相の一番目の発言はもっと危うい。憲法66条2項は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民〔シビリアン〕でなければならない」と定めている。憲法上、「文民」をどう解釈するかをめぐって諸説ある。内閣法制局は、「旧職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの」は「文民」ではなく、「国の武力組織である以上、自衛官は、その地位にある限り、『文民』ではない」というものである(1973年12月7日、衆院予算委理事会配付資料)。
一般的には現役軍人は「文民」から除かれるが、戦後は職業軍人の経歴が問題となった。政府解釈(内閣法制局)は「軍国主義的思想」の有無を問題にしているが、これは内心のありようを問うており、基準も不明確であるため学説上支持者は少ない。実際、旧軍体験者が高齢化し、リアリティがなくなってくると、むしろ、現職・退職の自衛官の扱いが問題となってくる。政府解釈は現職自衛官に限定している。学説の多くは、「文民」から、旧帝国陸海軍の職業軍人であった者と現職自衛官を除いている。現段階では、現職自衛官は「文民」ではないというのが学説の多数である。私は最も厳格な立場をとり、旧帝国陸海軍の職業軍人に加えて、現職自衛官+将官クラスの高級幹部で退職した自衛官も含める立場をとる(二等陸尉で退職した中谷元が防衛庁長官になったが、任命の時に問題にしなかった)。
羽田内閣のとき、永野茂門元陸幕長(陸将)が法務大臣に就任した際、「文民」とは何かが改めて問われた。当時私は、「永野氏は、旧軍でいえば退役陸軍大将にあたり、憲法66条2 項にいう『文民』ではなく、国務大臣として不適格である。かかる大臣任命行為は憲法上疑義がある」と述べた(『朝日新聞』1994年5月4日付〔東京本社版〕)。その後、彼は「南京虐殺はでっち上げ」という発言を行い、わずか10日間で法相を辞任した(拙稿「十日間の『軍人大臣』」『法学セミナー』1994年7月号参照)。
そういう曰く付きの憲法66条2項のことを知れば、あっけらかんと、「〔防衛〕大臣は自衛官ではないんですね」などと、冗談であっても言える筋合いのものではない。
自衛隊法2条5項は、「自衛隊員」の定義をしている。「隊員」に含まれないものには、「防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣秘書官」が挙げられている。 また、「自衛隊員」は、防衛省内部部局の職員と、制服着用義務のある「自衛官」とからなる。前者は「背広組」、後者は「制服組」と呼ばれる。防衛省の内局職員は、「自衛隊員」であって「自衛官」ではないのである。とすると、「〔防衛〕大臣は自衛官ではないんですね」と述べた菅首相は、二重に間違っていたことになる。隊法2条5項を見て、「自衛隊員」から防衛大臣が除かれていることを知った菅首相は、「〔防衛〕大臣は〔制服〕自衛官ではないのですね」とやったわけだから。「自衛官」のトップである統幕長ならずとも、「冗談」というしかないだろう。 だが、これは冗談ではすまない。首相が憲法66条2 項の意味がまったくわかっていないことを明らかにしてしまったからである。民主党のいう「政治主導」の観点からも、この発言は問題になるはずである。北沢大臣があまりに防衛官僚の尻に敷かれてしまっているので、「てっきり自衛官かと思ったよ」と皮肉を言ったというふうには到底とれない。
このように、政治家の軍事知識の「過少」がこの間、いろいろと問題となった。「制服組」に馬鹿にされないような知識は必要だろう。だが、他方、政治家の軍事知識の「過多」も困ったものである。「軍事オタク」と言われた大臣もいた。国のトップになる以上、平和や安全保障の問題について、しっかりした見識が求められる所以である。
8月31日夜(日本時間9月1日午前)、オバマ米大統領は「『イラクの自由』作戦」の終結を一方的に宣言した。 この戦争の本質、これに参加した日本の責任の問題 など、根本的総括が求められている。だが、民主党代表選挙の争点から、この重要問題がすっぽりと落ちている。
(文中敬称略)