や や「先取り」的写真かもしれない。お菓子メーカーの「おまけ」の MV22オスプレイ高速強襲輸送機 の144 分の1 モデル ( 初出・直言2007年8月27日 ) なのだが、どこか変だ。日の丸と奇妙な迷彩(砂漠とグリーン)。この飛行機は米海兵隊を中心に配備されており、まだ日本には導入されていない。でも、この「おまけ」モデルには陸上自衛隊のオスプレイと書いてあった。これは面白いと3年前に入手したものである。先月、防衛省が「離島防衛」を口実に「陸自海兵隊」の新編を検討していることが明らかになった(『朝日新聞』8月31日付)。オスプレイの航続距離(最大3700キロ)は魅力だろう。近い将来、「陸自海兵隊」が日の丸を付けた高速強襲輸送機を使って、アジア・太平洋のどこにでも展開する日が来るのだろうか。
前回は、 政治家の軍事知識の「過少」について述べた 。憲法の平和主義を具体化していくとき、実は軍事についての知識や知見は不可欠である。その意味で、政治家の軍事知識の「過少」ないし「過誤」は憂慮すべきことである。
9月9日、岡田克也外相は、普天間飛行場の「代替施設」にオスプレイを配備することに関連して、「可能性があるなら、そういう前提で議論すべきだ」とサラッと述べた(『毎日新聞』9月10日付)。翌10日、米国防総省報道官が、在日米軍へのオスプレイ配備を明言した(『沖縄タイムス』9月11日付)。これでは、辺野古沖にできるのは、普天間飛行場の海兵隊ヘリの「代替施設」ではなく、新たなオスプレイ基地ではないか。
岡田外相は、 鳩山前首相のような「迷走」 をすることもなく、いとも簡単にオスプレイ配備を「前提」にしてしまった。外相は、この騒音がすさまじく、よく事故を起こすオスプレイのことをどこまで知っているだろうか。CH46EやCH-53E( 沖縄国際大に墜落したのはCH-53D )といったヘリの延長で考えたら間違う。高速強襲輸送機の基地が沖縄に新設されることになるのである。今までの環境アセスメントの前提も崩れる。にもかかわらず、外相はあまりにも安易に「前提」をつくってしまった。沖縄県知事は早速、「墜落事故を起こした機種だ。基本的に勘弁してくれという感じだ」と述べている(『毎日新聞』9月11日付)。外相に、この飛行機についての詳しい知識と、住民の不安への想像力があれば、配備についてそう簡単には口にできなかったはずである。米国が配備を明言する1日前に、「前提」という言葉で肯定しておく。これでは、対米関係について、日本国外務大臣は不要である。
このように政治家の軍事知識の「過少」は問題なのだが、他方において、まるで「背広を着た軍人」のように、一面的な軍事知識を振りかざし、軍事思考と軍事的合理性を突出させる「軍事過多」の政治家も困ったものである。制服組との過度のかかわりあいを持ち、 距離の取り方を知らない 。民主党にも その種の人物が少なくない 。
制服を脱いで、そのまま政治家になった人もいる。 佐藤正久自民党参院議員(イラク派遣第1次復興業務支援隊長)が最近では目立つ 。6年前は、元二等陸尉の元防衛庁長官・中谷元が、 「『三防』の二佐」のエリート自衛官に改憲案を起草させた 。
米国留学を経て、ほとんど頭は米国モードという、自民党と民主党の若い議員たちも同様である。ある筋から聞いた話だが、彼らの何人かが、イラク派遣が決まる前、地図を広げ部隊をどこに展開するかなどと、「司令官」になったような気分で語り合っているのを制服組(陸自)に目撃されている。 部下を危険な場所に送り込む「現場」の立場からすれば 、 若い議員たちの無邪気なやりとり は不快だったろう。
いずれの時代でも、大本営や関東軍のエリート参謀のような発想をする人々はいる。憲法9条の武力行使禁止規範を破る、威勢のいい「関東軍的思考」といってよいだろう。これらの人々が学ぶべきは、往時の保守政治家(例えば、後藤田正晴、野中広務など)にあった、戦争体験に裏打ちされた「軍事への抑制」の視点である。
最近は「防衛」問題での与野党対決がほとんどなくなった。民主党内部にも、「関東軍的思考」の議員が存在するからだろう。そうしたなか、今後出てくる可能性があるのは、私は、公海上の補給支援活動の際などの「任務遂行射撃」と見ている。
2001年のテロ対策特措法は、 「特別措置法」にもかかわらず何度も延長を繰り返してきた 。2007年11月1日に期限切れになったため、海上自衛隊は、インド洋から撤収した。後継法のテロ対策補給支援法( 「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法」 ) は参議院で否決され、 衆議院の3分の2再議決(憲法59条2項)でようやく成立した 。昨年の政権交代後、その新しいバージョンがさまざま検討されているようである。
そのポイントは「任務遂行のための武器使用」である。自民党内には、与党時代からこれを認めるべきだという意見が存在した。その際、補給支援法8条の改正が焦点となるだろう。現在は、「補給支援活動の実施を命ぜられた自衛隊の部隊等の自衛官は、自己又は自己と共に現場に所在する他の自衛隊員若しくはその職務を行うに伴い自己の管理の下に入った者の生命又は身体の防護のためやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で、武器を使用することができる」となっている(8条1項)。いわば「自己保存型」の武器使用に限定されている。そこで、「任務遂行型」の武器使用を認めようという動きが早晩出てくるだろう。それは、「補給支援活動を妨害する者の妨害を排除するための武器使用」ということになろうか。
1992年のPKO等協力法の24条には、「自己の管理の下に入った者」はなかった。これは2001年のテロ特措法12条(武器の使用)で入ったものである。その後、イラク特措法でも「管理下」が踏襲されている。なお、上記の補給支援法8条2項で定める「上官命令」による射撃も、1998年に小沢一郎自由党党首が、 PKO等協力法24条の改正で入れさせたものである 。
第174国会において自民党は「国際平和協力法案」を作ったが、そこでは、「PKO等における任務遂行のための武器使用」が認められている。この法案では、「任務遂行のための武器使用」は、現行法制度上認められる自衛隊の武器使用の類型である、警察権の行使、防衛力の維持(武器等防護など)、自衛権の行使のいずれにも該当しないことを前提に、戦闘が行われていない地域における国又は国に準じるものに対するものではないため、合憲という論理を引き出している。1998年同様、まずは合意を得やすいPKO等協力法から「任務遂行射撃」を導入しようという傾きにある。98年の経緯からすれば、小沢一郎はこれに乗ってくる可能性がある。この点で、自民と民主に違いはなくなる。
では、「任務遂行射撃」は憲法9条1項が禁止する武力行使にならないか。内閣法制局は、「任務遂行のための武器使用」でも、相手が国又は国に準じたものでなければ、憲法9条違反の問題は生じないという解釈をとるようである。
第171-衆議院-海賊行為への対処(2008年04月23日)
○宮崎政府特別補佐人(法制局長官) 「憲法第9条第1項で規定しております武力の行使とは、基本的には、我が国の物的、人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいい、この場合における国際的な武力紛争につきましては、国家または国家に準ずる組織の間で生ずる武力を用いた争いをいうのであると考えております」「いわゆる自衛隊の任務遂行を妨げる企てを排除するための武器の使用ということにつきましては、相手が国家または国家に準ずる組織である場合には、憲法第9条1項の禁ずる武力の行使に該当するおそれがあるというふうに考えております」
政府は、 海賊対処法 の場合も、武器使用の相手が海賊であり、国又は国に準じたものではないので、憲法9条違反の問題は生じないという論理を組み立てていた。この考え方を一貫させれば、 海賊対処法により自衛隊に与えられた武器使用 の範囲は、政策的に現行法の範囲に限定しただけであって、どのような形態の武器使用であっても、9条違反の問題は生じないことになってしまう。仮に正当防衛以外の場合の危害射撃やNATOやEU軍のように海賊の母船を破壊するための武器使用を認めたとしても、憲法9条に違反するといった憲法上の問題は生じないことになる。
このような考え方は、憲法9条の武力行使禁止をあまりに緩く解釈しすぎてはいないだろうか。武器使用の相手方が「国」と「国に準ずるもの」ではないもの、つまり「単なる私人」であれば、9条の武力行使禁止の問題は生じないという考え方は、あまりにも形式論にすぎるのではないか。この理屈でいけば、自衛隊が「非戦闘地域」に潜伏しているオサマ・ビン・ラディン拘束作戦を展開して、自衛隊がその武器を用いてビン・ラディンを殺害したとしても、彼が「国」または「国に準ずるもの」ではない以上、9条の武力行使の問題は生じないということになりかねない。機能的、実質的な理解の仕方をすれば、この拘束作戦における自衛隊の武器使用は、武力行使として評価されるだろう。
海賊対処法については、昨年、衆議院海賊対処・テロ防止特別委員会に参考人として出席し、 法案に反対の意見を述べた 。その際、「つきまとい」船に対する武器使用は、「任務遂行のための武器使用」に道を開くと批判した。
これを補給支援活動にスライドさせて、例えば、アフガニスタンへの麻薬運搬船に乗っている犯罪者集団が海上自衛隊のインド洋での補給支援活動を妨害した場合に、その妨害行為を排除するための武器使用は、法制局解釈によれば犯罪者は「国」や「国に準ずるもの」ではないので、憲法問題にならないという解釈をとったらどうだろうか。私は、「相手が国・国準でなければ9条の武力行使の問題は生じない」というのは、思考停止に陥った公式ではないかと考えている。相手が国か国準かを問わず、武器使用の規模やその程度、その行われる局面の性質などにより、実質的に軍事行動のレヴェルに達しているのであれば、それは武力行使にあたると解すべきだろう。
もっとも、この点についての法制局答弁は現在のところ出ておらず、相手が国・国準でなければ憲法問題は生じないという「公式」にとどまっている。その「隙間」を衝いて、自衛隊の海外活動全般における武器使用の規制緩和を狙って、まずは海賊対処と補給支援のところで「任務遂行射撃」の規定化をはかるだろうというのが、私の見立てである。 自民党の「関東軍的思考」は、小沢一郎の内閣法制局廃止論 とも微妙な形で響き合い、思わぬ展開を見せる可能性があるので要注意である。
もう一つ、自衛隊の海外派遣において、武器使用をする際に注意しておく手法がある。それが、自衛隊法95条の「武器等防護のための武器使用」である。
第95条 自衛官は、自衛隊の武器、弾薬、火薬、船舶、航空機、車両、有線電気 通信設備、無線設備又は液体燃料を職務上防護するに当たり、人又は武器、弾薬、火薬、船舶、航空機、車両、有線電気通信設備、無線設備若しくは液体燃料を防護するため必要と認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。ただし、刑法第36条〔正当防衛〕又は第37条〔緊急避難〕に該当する場合のほか、人に危害を与えてはならない。
この条文は都合のいいときに、「切り札」のように持ち出される傾きにある。相手に近づき、相手がその「船舶」に攻撃を仕かけてくれば、その 「船舶…を職務上防護する」ために、武器使用をする 。このやり方を使えば、地球の果てまで行っても武器使用ができる。「駆けつけ警護」のように、相手にわざと接近して相手を刺激し、攻撃してきたところを「武器等防護」で反撃する。自民党参院議員の佐藤正久は、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」と語った。そうやって武器を使用する。まさに「独断越境」の「関東軍的発想」そのものではないか。
法解釈という点で指摘しておけば、ここで注意すべきは、95条で列挙されている防護対象は9種類である。「その他防衛上必要な装備…」といった表現がないことは軽視できない。 かつて、自衛隊法121条(防衛用器物損壊罪)で牧場主が起訴された恵庭事件で、札幌地裁は、「自衛隊の所有し、又は使用する武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物を損壊し、又は傷害した者は、5年以下の懲役又は5万円以下の罰金に処する」というこの条文を厳格に解釈して、「その他」を武器、弾薬、航空機と同等評価が可能なものに限定し、通信線はこれに含まれないから無罪とした。 この解釈自体は、憲法判断を避けるための屁理屈としてかなり苦しいが、しかし、「その他」がある場合でもそのような絞りをかけたのに、95条の場合は「その他」がなく、しかも、防護の必要性と相当性があるかどうかのところで、9種の防護対象をもう一度列挙している点に注目したい。つまり、95条の場合は、121条よりも厳格で、武器使用はこの9種の防護に絞っていると解することもできよう。「武器等防護」ためなら何でもオーケー、ではないのである。
もう一つ大事なことがある。この95条を含む自衛隊法は1954年に成立したが、その年の6月2日、参議院は「自衛隊の海外出動禁止決議」を行っていることである。95条を含む自衛隊法に賛成した参議院議員は、この決議に全員賛成している。つまり、自衛隊法95条は、あくまでも日本領土内の弾薬庫や武器庫などを防護することを主眼にしていたわけで、艦艇を海外に出して、その艦艇を防護するために武器使用を想定していたものではないことは当然だろう。この立法時に95条に込められた趣旨は厳格に解すべきである。「武器等防護」のためならどこでもオーケー、ではないのである。
政治家たちの間に生まれる「関東軍的思考」と、 内閣法制局廃止を含む特異な「政治主導」的手法 とが、変な形で結びつかないよう警戒を怠ってはならないだろう。(文中敬称略)
[付記]最初の写真は、海賊対処で最初に派遣された護衛艦「さざなみ」「さみだれ」の関係者が記念に作成したものである。後の写真は、護衛艦「くらま」がテロ特措法に基づきアラビア海に 派遣されたのを記念して、関係者が部内で作成したもの。 これはすでに紹介した 。