ゼ ミ執行部と来期のゼミ生選考について話し合っていた12月10日午前10時46分。大野友也鹿児島大学准教授から、携帯にメールが届いた。「無罪でたそうです」。注目の 鹿児島強盗殺人事件の裁判員裁判判決公判の第1報である 。裁判員制度のもとでの初の無罪判決。しかも一審の死刑求刑事件で無罪となったのは、統計をとりはじめた1975年以降で4件(統合失調症による心神喪失の無罪を含む)しかない。私が思わず「無罪だ!」と叫ぶと、副ゼミ長の女子学生は「先生、鳥肌がたちました」と言って腕をさすった。
大野氏は、地裁前の地元テレビ局のテントから、判決解説の合間をぬってメールしてくれたものだ。先月、私が鹿児島に滞在していた時にその第1回公判があり、傍聴した大野氏からこの事件の重大性について詳しく話を聞いた。すぐに 「死刑か無罪か」という直言を書いて、無罪判決が出る可能性を示唆した 。40日間という裁判員制度としては異例の長期審理の結果、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に忠実な、立派な判決が出たと思う。「死刑か無期懲役か」という量刑に傾きがちな裁判員裁判が、「有罪か無罪か」を問う陪審制的に機能したケースと言えよう。
上記の判決が出た11日、ストックホルムでは、中国の民主活動家・劉暁波氏に対するノーベル平和賞の授賞式が行われた。本人も家族も出席しない、「空席への授与」となった。このような授賞のかたちは、1935年、ナチスに強制収容所に入れられて出席できなかったジャーナリスト、カール・フォン・オシエツキー以来である。結果的に中国はナチスと並べられる不名誉賞を受賞してしまったようである。
なお、今回の授賞は、劉氏個人に対してというよりも、彼が起草した 「零八(08)憲章」 に対するものという意味合いをもつ。この宣言で劉氏は、現在の中国は「法律あって法治なく、憲法あって憲政なし」と喝破する。そして、自由、人権、平等、共和、民主、憲政の6つの柱のもと、19項目の個別的な要求を掲げている。権力分立、民主的立法、司法の独立、人権の保障など、当たり前の国際的スタンダードを主張して 「国家転覆煽動罪」で処罰される国とは一体何だろうか 。このことで中国が失ったものは限りなく大きい。
北朝鮮による延坪島(ヨンピョンド)への地上砲撃 を口実にして、政府は「新防衛計画大綱」を何の「熟議」もなしに決めようとしている。実質的な日米韓の合同軍事演習の展開など、3国の軍事的協力関係も強化されている。延坪島事件は、まさに政治的・軍事的な「朝鮮特需」と言えようか。この問題についても、別に論ずることにしたい。国会の状況についても、 前回の直言を参照されたい 。
そこで今回は、検察審査会による「小沢起訴議決」問題について書いた論稿を転載することにしたい。健康は回復しつつあるもののまだ万全ではなく、長時間の仕事はまだ困難である。ご了承いただきたい。
水島朝穂の同時代を診る(70)
―「国民目線」という妖怪―
◆二人の首相の「カメラ目線」
「すみませ~ん。目線くれますかぁ?」 この言葉は、テレビ業界では普通に使われている。私もかつて言われたことがあるが、撮影現場では違和感はなかった。
その「目線」にこだわった二人の首相がいる。一人は安倍晋三首相(当時)。「ぶら下がり」(記者会見)で、「キョロキョロすると国民に向かってしゃべる気持ちになりにくい」とのたまい、2007年4月から「カメラ目線」になった。当時、「朝日川柳」には、これを皮肉る一句が掲載された。「目線さえ人に請うのか国の長」(北九州市、女性〔紙面では実名、以下同じ〕)。選者の言葉は「気になるテレビ写り」だった(『朝日新聞』2007年7月3日付)。
就任後、しばらくは記者を見て話していたが、2009年大型連休後に「カメラ目線」に転じた鳩山由紀夫首相(当時)は、「キョロキョロしていると批判もあるから、国民に語りかけるように努力している」と説明した(同2010年5月27日付)。二人とも「カメラ目線」に転換後、すぐに首相の座を投げ出している。目だけでなく、そもそも腰が座っていなかったようだ。
◆「国民目線」って何だ
近年、この「目線」という言葉がよく使われる。それが「国民」という言葉と合体すると、何とも言えない曖昧さを醸しだす。「朝日川柳」には、「国民の目線って一体何かしら」(南相馬市、男性)と、鳩山内閣の「目線」多用路線を疑問視する一句が載った(同2009年12月5日)。その少し前、「国民目線で『安心安全』を目指す」(福田改造内閣発足時の記者会見〔2008年8月1日〕)と宣言した54日後に政権を放り出した首相がいた。
「国民目線で司法改革」とか、「国民目線の外交推進」、あるいは「国民目線の警察を目指す」(岡崎トミ子国家公安委員長の就任挨拶)等々、最近ではどこにでも「国民目線」が登場する。新聞の社説も、さまざまな問題で「国民目線」を一つの基準として持ち出してくる。
ジャーナリスト生活50年を迎えた田原総一郎氏は、早稲田大学で行った討論番組「田原総一郎の遺言」のなかで、次のように語っていた(『朝日新聞』2010年10月19日付夕刊)。「メディアが無難に、保守的になることで、大衆もどんどん無難を求める。『国民目線』という言葉が出てくると、もう何も言えない。タブーがどんどん増え、社会の閉塞感につながっている」と。この「国民目線」なるものを疑ってかかる指摘だけは共感できる。
そもそも「目線」という言葉自体、誤解を招きやすい。「国民の立場から」とか、「国民の観点で」ということなら、とりあえず理解可能である。だが、「目線」というと、単に国民と同じ目の高さをキープするくらいの意味しか持たず、最初から曖昧さを伴う。「国民目線」は、その時々の「気分」や「空気」にベクトルを与える役回りを果たしているようにも思える。
◆検察審査会と「国民目線」
この間、曖昧なわりに、妙に押しつけがましい「国民目線」という言葉が一人歩きして、さまざまな施策や制度設計に影響を与えてきた。一例が、2009年5月に施行された裁判員法と改正検察審査会法である。ともに「国民目線での改革」の結果だった。ここでは、検察審査会法41条の6の「起訴議決」について述べよう。
もともと検察審査会の制度は、戦後改革期に、「検察民主化」の一貫として導入されたものである。例えば、警察官を恣意的に不起訴するような「仲間かばい」をチェックする場合などがそれである。ただ、この制度が、一般市民を長期にわたり刑事被告人の地位に置く方向に機能したケースもある(1974年「甲山事件」など)。
「小泉改革」期に、十分な議論のないまま法律改正が行われ、二度続けて「起訴相当」が出たときは、強制起訴される仕組みが導入された。これが「起訴議決」である。この制度が俄然注目されるに至ったのは、民主党・小沢一郎元幹事長の政治資金をめぐる件である。検察は本件を不起訴処分にしたが、東京第五検察審査会は「起訴相当」とする議決を行った(2010年4月27日)。議決書には、「絶対権力者である被疑者に無断で…隠蔽工作等をする必要も理由もない」「…市民目線からは許し難い」「…被疑者を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべきである。これこそが善良な市民としての感覚である」といった激しい言葉が並んでいる。
全国紙の社説は、小沢氏非難で横一線。「朝日川柳」には、「起訴相当もう有罪と踊る記事」(長井市、男性)という一句が載ったが、これに選者が付けたコメントは、「国民目線?」だった(『朝日新聞』4月29日付)。「11人全員一致」に、「起訴相当全員一致という怖さ」(東京都、男性)という句も載った(同5月3日)。
そうした「空気」を反映してか、5カ月後に出された2度目の議決(9月14日議決、10月4日議決書作成)も「起訴相当」。これも「11人全員一致」だった。この議決書にも、かなり激しい言葉が並ぶ。特に末尾の文章は異様である。
「検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断で有罪になる高度の見込みがないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判所によってほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考え方に基づくものである。そして、嫌疑不十分として検察官が起訴を躊躇した場合に、いわば国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度である」と。
何様のつもりだろうか。検察が有罪を立証できず、また証拠不十分として不起訴にした以上、被告人となることはない。つまり無罪と同じ効果が発生する。そこに「国民目線」で介入して、不起訴となった人を強引に被告人の地位に置くのが「強制起訴」である。一般の会社などでは、公務員のような起訴休職の制度がないから、起訴されただけで解雇につながる。「有罪・無罪を判断してもらう権利」「法廷で黒白をつけようとする制度」という物言いは、「国民目線」の刑事ドラマ的感覚には馴染むかもしれないが、大いに疑問がある。有罪と無罪とをフラットに扱い、「黒白をつけ」るのが刑事裁判ならば、無罪推定の原則はどこへ行ったのだろうか。
元特捜部検事の弁護士はいう。「検察の『起訴猶予』と『嫌疑不十分』の判断は根本的に違います。これを分けて考える必要がある。検察が『証拠はあるが起訴しない』と判断した起訴猶予の場合、『国民目線』で起訴すべきかどうかを考え直す意味はありますが、嫌疑不十分は証拠の有無の問題。法律家が『証拠がない』と判断したのに、国民目線で見直したら『証拠がある』となるのはおかしい」(『週刊朝日』5月21日号)と。まさに正論である。
この「起訴議決」を含め、すべての分野で、この10年ほどの間に行われた「国民目線の改革」について、冷静に見直すべきではないだろうか。 (2010年10月24日稿)
(『国公労調査時報』576号〔2010年12月〕2~3頁収録)