2010 年の新年は、 早稲田大学ニューイヤー・コンサートで始まった 。私が会長をしている早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団が、大隈講堂を埋めた聴衆の前で、華麗なウィンナワルツを演奏した。本日、12月27日は、その早稲フィルの第63回定期演奏会である。曲目は、 モーツァルトの交響曲第35番ニ長調「ハフナー」とラフマニノフの交響曲第2番ホ短調ほか 。演奏会後の打ち上げコンパには、 信濃ワイン「葡萄交響曲作品201」1ケースを差し入れる手配をした 。激しいラフマニノフに全力で取り組んだ団員たちの体に、このワインはジワッと染み込んでいくに違いない。
さて、2010年最後の直言は、その「葡萄交響曲」以来11カ月ぶりの雑談「『食』のはなし」シリーズで、「川越いも」の話である。なぜ、さつまいもなのか、しかも川越なのか。これは偶然みたテレビ番組がきっかけで、先週の日曜に川越に行ってしまったことが大きい。
私は知らなかったのだが、NHK総合テレビに「キッチンが走る!」という番組がある(金曜夜8時)。12月17日(金)は「小江戸川越 あったか新家庭料理!」。料理研究家の土井善晴氏が、埼玉県川越市周辺の 農家などをキャンピングカーでまわって、地元食材を使った新しい料理に挑戦するという企画である 。たまたま妻がみていて、そこに登場した人物が、水島ゼミ6期(2002~2004年)のゼミ長・武田浩太郎君ではないかと直観。その番組を途中から録画していた。
彼はゼミ時代、父親がいも農家をやっていると熱く語っていたし、途中で東欧チェコの大学に留学して、農業の現場も見て回った。大学卒業後は司法試験の勉強をしていたが、最近家業を継いだという話を聞いていた。5年前、拙宅で新年会をやったとき、少し遅れて到着した武田君が、「父が作ったさつまいもです」と一箱持参したので、妻は記憶していたようである。
私がビデオをみて、武田君であることを確認した。番組では、土井氏が、武田君の農園でとれた「紅赤」という品種のさつまいもと、里芋、それに大根をすりおろして混ぜて揚げた「土井流川越芋餅」という料理を、武田君とご両親、近所の農家の人々が一緒に食べるシーンがあった。本当に美味しそうだった。
翌日の日曜早朝。妻の提案で、急遽、川越近郊の三芳町に「紅赤」を買いにいくことになった。車に、たまたま来ていた娘と孫も乗せて行った。朝9時半には「むさし野自然農場」(代表・武田信太郎)に到着した。急な訪問にもかかわらず、作業着姿の武田君とご両親が出迎えてくれた。
武田君の「むさし野自然農場」周辺は、三芳町上富といって、27軒のいも農家が、街道沿いに「産地直売」の旗を立てている。上富地区は享保の飢饉(1732年)をきっかけに、さつまいも作りが始まった地域である。雑木林の落葉がさつまいも作りに欠かせない肥料の一つであることから、豊かな雑木林に囲まれた川越藩の三富地域で盛んに栽培されるようになった。川越藩主が十代将軍徳川家治に献上したところ、将軍は色の美しさと味のよさを褒め、以来、「川越いも」と呼ばれるようになった。現在は 「富(とめ)の川越いも」というブランド になっている。武田君の家は、元禄時代、川越藩により「三富新田」として開発されたときからの農家で、農地は川越藩の区割りそのままであるというから驚く(以上、むさし野自然農場の案内パンフより)。武田君は10代目にあたる。敷地内には、江戸時代から続く代々の墓がある。
ところで、「紅赤」という品種は110年の歴史がある。「さつまいもの女王」といわれるだけあって、「美麗で外観良好。肉質は黄色濃く粉質」だが、「いも収量は低く、収量を犠牲にした良質品」「施肥及び気候に対する適応性が小さく、栽培が難しい品種」とされている( 『広報みよし』2009年5月31日 )。
父・信太郎さんによると、今年はさつまいもが全国的にも不作だったそうである。猛暑で40日も雨が降らず、しかも秋の大雨があったため、うまく育たなかったようだ。収量は例年よりも2~3割は減っており、こんなことは農家をやっていて初めてのことだという。気象変動など、たくさんの要素が複雑に絡み合っている。「農業は目先のことだけではなく、常に先のことを考えてやらないといけない」とは、信太郎さんの言葉である。そして、「来年は浩ちゃんのいもだから」と、信太郎さんは目を細めた。浩太郎君が地元に戻ったのは最近のことだから、これから植えつけをやって、2011年に収穫される「紅赤」から本格的に彼の「作品」になる。あの番組放映からここ数日で、韓国、中国、フィンランドからの訪問客もあったという。彼は留学経験を活かして英語で対応している。新しいタイプの農業経営者の誕生である。
実は、私のゼミはこれまでも農業問題をたびたびテーマにしてきた。ゼミでは学生がテーマを決めるので、私もよく知らない、意外なテーマを扱うことも少なくない。農業問題は北海道合宿では必ず取り上げる。2007年はとりわけ「食」や農業に問題意識をもった学生がいて、 合宿で「食」班をつくり、 詳細な報告書 も作成した( 直言2008年1月21日 ) 。この班は、2007年早稲田祭で「日本の食と農について考える」というシンポジウムまで実施した。私は他の学内講演と重なっていたので、冒頭挨拶だけで会場を去ったが、あとで聞くと、熱心な報告と討論が行われたそうだ。
この年のゼミ生の報告書を見ると、日本の食料自給率は39%で先進国のなかでも群を抜いて低いのだが、そこへ、自然の限界を無視して効率性、低コスト、大量生産を追求する市場経済論理をさらに押し進めることで、「食」の安全が脅かされているという指摘がある。「現代の食流通の仕組みがもたらしたのは、食べる人と作る人の貨幣を介した不可視の上下関係だ。食べる人は対価としておいしく、安全に、美しく、安いものを求め、作る人はそれに縛られざるを得ない。両者の距離が開き、消費者の声に背くような供給システムが生まれてしまったとは考えられないか」。そして、生産者との関係性について注目する。「農」は「自然環境保護」や「観光資源」の観点から価値を有するばかりでなく、「教育・地域作り」の観点からも重要であるとして、「食」を通して、人と人とのつながりが生まれることを指摘する。そして「農」は、国の「安全保障」の観点からも重要であるという。「食」は国のライフラインである。日本のアメリカ追随の姿勢の背景を「食」から考えると、新たな視点を得ることができる。有機農業・八木直樹氏によれば、 「『食』なくして平和なし」 である。
憲法ゼミが「食」や農業の問題を扱うのは一見奇妙なようだが、3年前のゼミ生たちは、北海道各地を取材し、ゼミ生シンポジウムを通じて、農業関係者や農政に関わる人々から、「これは憲法問題ではないのか」という指摘を受けたという。いま、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で揺れるこの国の状況を考えると、「食」をめぐる問題は単に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)の問題だけでなく、統治のありようや対外関係とも密接に関係しており、深いところで憲法につながっていると言えよう。
冒頭で紹介したNHK総合テレビ「キッチンが走る!」のなかで、武田君の「むさし野自然農場」のほか、川越周辺の何軒かの農家が紹介されたが、どこも若い世代が地元にもどってきて、農家を継いでいた。「三角キャベツ」という新しい品種の野菜づくりに挑戦している若い男性は7 代目。「笑顔で野菜を作って、お客さんに笑顔で渡して、お客さんが笑顔で食べてくれることがうれしい」と語っていた。農業は自然との対話である。農民が自然から受けとったものを消費者に受け継ぐ過程に「顔の見える関係」を築いていくことは大切だと思った。「便利で、安くて、早い」という価値だけが突出してはならないだろう。川越路を走り、かつてのゼミ長と再会して、私の思考と胃袋は大いに刺激された。
なお、武田君の農園でとれた「紅赤」と「むさしこがね」を帰宅後、妻が大学いもにした。2種類の大学いもを同時に食べるのは初体験だったが、味の違いが鮮やかにわかるのでおもしろい。やはり「紅赤」は「さつまいもの女王」と言われるだけあって、なかなか深い味わいである。武田君のお母さんがレシピを提供する「食べごろ埼玉(60)」(『毎日新聞』埼玉西版2009年11月3日付)によると、「大学イモは表面だけが焦げてしまわないように、低温で中まで火を通すのがポイント。甘いものが苦手な人でも食べられるようにタレにしょうゆを加え、香ばしくもさっぱりとした味に仕上げる」のがコツのようである。
「むさし野自然農場」では、私たちのために武田君が作った「さつまいもサラダ」をご馳走になった。つぶした「むさしこがね」にみじん切りしたタマネギ、マヨネーズを入れて混ぜ、すし酢を加える。お母さんのレシピによると、このすし酢がポイントだそうだ(「食べごろ埼玉(61)」同11月5日付)。驚いたことに、
生後8カ月の私の孫がこれを喜んで食べ、何度も催促するほどだった。
《付記》 水島ゼミ6期(2002-04年)ゼミ長だった武田浩太郎君が代表を務める「むさし野自然農場」の最近の様子について紹介します(2023年12月6日追記)
「 ぐるなび」でも知られる「お芋カフェ」についてはここから。