さようなら「新聞を読んで」 2011年1月31日

1997 年4月からNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」のレギュラーをしてきたが、1953年4月に始まったこの番組が、この3月末で廃止されることになった。私の出番は、今週の土曜日、 2月5日の放送をもって 終了となる。私は1953年4月生まれなので、この番組と私の人生とは完全に重なる。番組は「58歳の誕生日」を待たずに終止符を打つことになった。

昨年12月22日、NHKから速達が届いた。ラジオセンター長と解説委員長の連名の文書で、そのなかに次のような下りがあった。「…1953年から続いているこのコーナーではありますが、半世紀を超え、情報や考え方を得る手段として新聞以外のメディアが多種多様化していくなかで、来年度、『土曜あさいちばん』のコーナーのリニューアルを進めるにあたり、大変残念ではありますが、『新聞を読んで』のコーナーを無くすことになりました」。

「つひに行く道とはかねてより聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」(在原業平)の心境だった。あと1年くらいやり、15年で降板になるのかなと内心思っていた。体調もかんばしくなく、そろそろ引き際と自分でも思っていただけに、番組自体がなくなってしまうのは想定外であり、また残念である。

当初、この番組を担当したときは「ラジオ深夜便」のコーナーとして、土曜24時30分に放送され、日曜朝7時40分に再放送されていた。放送時間は12分30秒。収録は土曜16時から。午前中から原稿を準備するので、けっこう余裕があった。放送も深夜と朝7時40分なので、学生にも一般の人にも聴きやすい時間帯だった。それが、2000年になって日曜の朝だけ、しかも早朝5時38分に変更になった。日曜に普通に起きる人は、まず聴けない時間である。

 2005年になると、放送日が日曜から土曜に変わった。放送時間が早朝である点は変わらない。そのため、収録は前日の金曜19時になった。毎週金曜5限(18時終了)に講義がある。時間固定の必修科目だから、講義を動かすわけにはいかない。2004年まで8年間、土曜の朝からゆっくり準備できた原稿を、木曜夜に授業を終えてから深夜にかけて準備し、金曜2限から5限まで授業をやってNHKに駆けつけるということを続けてきた。ディレクターは申し訳なさそうだったが、放送日の変更は、視聴者のライフスタイルの変化を踏まえた「上の判断」ということだった。他のレギュラーの方々も、この金曜収録は日程調整上、相当大変だったと推察する。

2009年になって、日本人のライフスタイルがさらに朝方になったとも思えないのに、放送時間はさらに20分近く早まり、朝5時18分になった。つらかったのは、持ち時間が12分30秒から8分に短縮されたことである。それまで3つほどの柱で話を組み立てたが、この年から話題を2つにしぼらざるを得なくなった。その分、中身が薄くなったことは否めない。そして今年4月から、ついに番組そのものがなくなってしまった。番組終了に向けて、ゆっくりと、少しずつ締め上げてきたという印象である。

「新聞をラジオで語る」という手法は、古典的な2つのメディアを組み合わせたものである。テレビ全盛期でも、ネット時代でもラジオファンはいる。 騒がしいバラエティ優位(ニュース番組までも)のテレビを消して、ラジオをつけてホッとする人々も少なくないはずである 。テレビコメントは8秒ないし15秒とされている。だから、ラジオの12分ないし8分の枠というのは、ある問題について背景を含めてそれなりに語ることができる。あわただしいテレビの世界とは大違いである。ラジオの世界も捨てたものではない。

 私のコーナーが「ラジオ深夜便」にあった頃は、宇田川清江さんや加賀美幸子さんといった、超ベテラン級のアナウンサーが担当しており、その落ちついた安定感のある声が、夜の時間帯にマッチしていた。 憧れの加賀美さんに、「水島朝穂さんです」と紹介されたときはうれしかった 宇田川さんには、私の名前を「あさほさん」と、「あ」にアクセントをつけて呼ばれたのでよく覚えている 。なお、宇田川清江著『眠れぬ夜のラジオ深夜便』(新潮新書、2004年)参照。

ラジオのスタジオは小さく、机と椅子、マイクと古びたカウント装置だけ。調整室のディレクターと2人だけの孤独な収録作業である。1、2年前からプロデューサーが同席するようになった。強風で髪の毛が乱れていようと、学生との合宿先からラフな恰好でスタジオ入りしようとも、服装はまったく問われない。外見が重視されるテレビとの違いであり、そこでは声が勝負である。だから、風邪をひいたり、体調不良のときは苦労した。でも、歴代ディレクターはやさしく配慮してくれた。咳き込んだり、声がかすれたりしたときは、入れ直すこともいとわなかった。当初はオープンリールのテープだったので、編集はけっこう大変だったようだが、 秋山ディレクターは見事に編集してくれて、実際に聴いてみると、切り貼りした部分がほとんどわからなくなっていた 。まさに職人芸だった。2004年頃からはパソコンで編集できるようになったので、収録途中での言い換えや、入れ直しがスムースになった。時間オーバーをしても、画面上でどのフレーズをカットするかを指示して、時間内におさまるように編集してくれた。

   ラジオで語るための準備についても思い出が多い。新聞記事の山のなかから、何を語るかを収録ギリギリまで悩んで決める。定期講読している4紙を比較し、ブロック紙や地方紙のサイトも細かく見ていく。かつては地方紙のデスクに電話して、書斎にファックスしてもらったこともある。それも土曜夕方の収録だったから可能だった。金曜の収録になってからは、授業の関係上、取材時間に制約が出た。それでも、いろいろな手段を使って最新の情報を集めた。

新聞の切り抜きは、高校1年から43年間、毎日欠かさずやっている 。歯磨きと同じで、やらないと気持ちが悪いという感覚だ。ドイツに1年間住んだときも、帰国後、山になった1年分の4紙の切り抜きを数日かけてやった。「新聞を読んで」があるために、「これは使える」という意外なテーマをチェックして保存しておくので、 自分の研究分野だけでなく、いろいろとフィールドが広がっていった 。このコーナーを担当しなければ決して書けなかったような本も出版した。それが 『時代を読む――新聞を読んで1997-2008』(柘植(つげ)書房新社) である。

ところで、NHKは、この番組を廃止する理由として、「情報や考え方を得る手段として新聞以外のメディアが多種多様化してい(る)」ことを挙げている。テレビも多チャンネル化し、選択肢は広がっている。NHKは地デジの宣伝に金と手間隙をかけている。私も仕方なしに昨年地デジを導入した。ハイビジョンで「坂の上の雲」が総合テレビよりも1週間早く見られただけで、「お得感」はあまりない。正月のテレビのつまらなさはひどいものだった。ネットの普及はめざましい。携帯できる端末ツールの発達で、自宅でパソコンを開く必要もなくなってきた。ネットの普及は「時進分歩」の単位に近い。

 その意味では、「新聞をラジオで語る」という二重にアナログ的な手法は「古い」のかもしれない。でも、人々がすべて地デジやネットに向かうわけでもない。「多種多様化」しているからこそ、最も「古い」タイプのものが存在する意味があるのではないか。半世紀以上続いたこの番組を廃止するにあたって、新聞の「古さ」を念頭に置いたNHK上層部の判断には疑問が残る。

確かに最近の学生は新聞を読まない。ほとんどネットから情報を得ている。本も読まない。活字離れは年々ひどくなっている。

活字離れは若者だけではない。東京都が職員にアンケートをとったところ、「新聞を講読していない」という職員は、20代が47%、30代が33%、40代が15%、50代が5%だった。購読しない理由は、「ネットで代替している」が60%でトップ。「時間がない」32%、「お金をかけたくない」13%だった。「読まなくても困らない」が6%いた(以上、『東京新聞』2010年4月22日付多摩版)。

他方で、小中高校における新聞活用はけっこう行われている。「教育に新聞を」(NIE:Newspaper in Education)活動は重要である。2006年の時点で、世界64カ国でこの活動が行われているという。2010年度の全国の実践指定校は533校である。

日本世論調査会が昨年12月に行った全国世論調査で、教育に新聞を活用するNIEの取り組みについて「評価する」54.5%、「どちらかと言えば評価する」35.8%と、90%近くが評価すると回答している(『山梨日日新聞』2011年1月1日付)。新聞の活用を評価する理由(2つまで回答)では、「社会の出来事に関心を持つようになる」79%、「文章を読む力や書く力がつく」49%、「情報を集め、分析する力がつく」31%と続く。

実際、新聞を読むかどうかで、学力にも差があらわれている。昨年12月7日に世界同時に発表された経済協力開発機構(OECD)の国際学力テスト(PISA)の調査からは、世界のどの地域でも、新聞を読んでいる生徒ほど学力が高いという結果が出たという。新聞を読む日本の生徒は57.6%。OECD26カ国平均の59.4%よりやや少ないものの、新聞を読む生徒の読解力の平均得点は531点と、読まない生徒の506点より高かった(『毎日新聞』2010年12月8日付)。この調査と数字にそのまま乗ってあれこれ言及することはしないが、新聞を読むことが児童・生徒・学生の読解力や思考力にプラスに働くことは確かだろう。

ラジオもまた、聴覚のみという限られた回路のおかげで、人間の想像力を膨らませるという効用がある。テレビではすべて見えてしまう。必要のない情報も多い。だが、ラジオの場合、限られた聴覚情報から頭のなかで情景を具体的に思い浮かべたり、人の話を組み立てたりするので、かえって思考がピュアになるという側面がある。「新聞をラジオで語る」という手法のコーナーを8分程度、土曜早朝に残しておいても、NHKにとっては決して損はなかったはずである。すでに決まったことだが、1953年から続いた長寿番組の廃止が、「新聞以外のメディア」(ネットを念頭に置いている)の「多種多様化」を理由にしている点は、何とも視野の狭い判断と言わざるを得ない。

ともあれ14年の長きにわたって、私の人生の一時期、ラジオのレギュラーという素敵な機会を与えてくれたNHKには感謝している。特に歴代ディレクターの皆さまには、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたい。最初の頃は秋山ディレクター、2004年からは井田ディレクターに大変お世話になった。 7年前、沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件の興奮もさめやらぬ沖縄から駆けつけて収録した とき、「今回は『沖縄からの新聞を読んで』にしましょう!」という井田さんの一言で、冒頭の収録をやり直した。 いま読んでも、そのとき熱く語ったことを鮮明に思い出す

 今週、2月5日(土曜)早朝5時18分の「新聞を読んで」は私の最後の担当 となる。心をこめて語りたいと思う。

 NHKラジオ「新聞を読んで」さようなら、そして、ありがとう。

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