雑談(85)クマとの接近遭遇 2011年2月14日

年10月26日午後4時30分頃、八ヶ岳南麓の仕事場近くで、子グマと接近遭遇した。15メートルの距離である。 医師の指示もあり、毎日1万歩を目標に歩いている 。その日は仕事場まであと200メートルというところで、異変に気づいた。付近の農家の犬の吠え方が激しい。少し遠くの家からも聞こえる。人が近づいたりした時の吠え方とは明らかに異なる。しかも、そんなに広範囲で、複数の吠え声が同時に聞こえてくることは初めてだった。どうしたのだろう、と思いながら進むと、道の真ん中が黒く盛り上がっていることに気づいた。目を凝らすと、それは突然モコモコと動き出した。「あっ、クマだ」。無意識のうちにポケットから携帯のカメラを取り出し、足が前に出た。距離は15メートルほど。クマは後ろを振り向きながら横道に入っていく。携帯をかまえ私もさらに進もうとしたとき、子グマは小さな叫び声を発した。それでハッと我にかえった。悲鳴をキャッチした母グマが横道から飛び出してくるかもしれない。私はすぐに仕事場の方向に早足で引き返した。後ろは見なかった。ドアを閉めて息を整えていると、恐怖感が急に追いかけてきた。

翌朝6時半 、 防災放送(全国瞬時警報システム(J-Alert)と防災無線を連動させる仕組み) で、「有害鳥獣の駆除を行いますので、山には入らないでください」という大音響の放送が流れた。それを聞きながら、あの子グマは、猟友会の人々の手にかかったのだろうか、と思った。

2010年秋は人とクマとの遭遇が急増し、全国各地で、かつてない規模で被害が出た。この点について、私は、 昨年10月23日早朝のNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」で次のように語った

《…今週、全国的にクマが町中にあらわれ、負傷者の出る被害が多発しています。「クマ出没」という社説を出す新聞もあり、その副題は、例えば『新潟日報』10月17日付の「地域力高め里山の整備を」、『西日本新聞』18日付「野性動物と共生の難しさ」、『読売新聞』19日付「森の荒廃が招いた被害の多発」など、問題の背景を示唆するものです。夏の猛暑で山のドングリが不作になったことや里山の荒廃などの原因に加え、『朝日新聞』20日付「時時刻刻」は、猟師の数が1970年代の4分の1にまで減ったことによる「狩猟圧」の低下を指摘します。狩猟期に人間に追われた経験のない「新世代のクマ」が人と遭遇しているというわけです。この猟師の減少に拍車をかけているのが、昨年末施行された改正銃刀法の影響だとして、その規制緩和を求める動きも紹介。とはいえ、獣を撃つことは対症療法に過ぎず、林業を通じた山の環境整備などの対策も重要だとして、それを、「猟に頼らない道を 手さぐり」という見出しに象徴させています。》

 このなかで、『朝日』の記事(矢島大輔記者)は、クマ問題の背景の一つに、狩猟によるプレッシャーを知らないクマの増大を挙げ、犯罪防止の観点から進められた銃刀法改正の思わぬ副次的効果を指摘し、クマ問題への総合的な対策の必要性を示唆している。

2009年夏、水島ゼミ12-13期生は北海道合宿を実施したが、そのうち、 「知床問題」をテーマにした班は 、ヒグマの問題についても取材をした。人間を襲うクマを生み出すのもまた人間である。クマ自体に罪はない。自然界に存在しない甘みを残す缶ジュースなどの空き缶を捨てていくと、クマはそうした特異な甘味を求め、人を襲うのである。道東の弟子屈町の野性動物教育研究室が、『ヒグマかるた』というものを作って、「クマとの共生」の道を探っていることを知り、これを入手した。

 ヒグマの生態に関する正しい知識をもち、ヒグマの発するサインを見分け、またヒグマとの付き合いのルールを学ぶことが大切だという。「クマだって 人間こわい あいたくない」という認識を基本に、もし出会っても、「れいせいに クマとあっても 走らない」「しんだふり するよりゆっくりあとずさり」を実行する。より重要なことは「みちばたに ゴミをすてるな クマをよぶ」という視点である。そして、「いいかんけい みつけていこう 人とクマ」を実現していく。このかるたには、「〔クマとの〕共生に向けた知恵」がつまっている。なお、米田一彦『山でクマに会う方法』(山と渓谷社、1996年)も、逆説的な論じ方で、クマとの遭遇を回避するさまざまな知恵と情報を提供していて、参考になる。

 実は、私はヒグマにも接近遭遇している。15年前、知床五湖でのその体験を、拙著 『武力なき平和――日本国憲法の構想力』(岩波書店) の序文に書いた。以下、関係する箇所を引用しよう。



序章 ヒグマ・マニュアルと平和論

◆ヒグマとの接近遭遇
1996年夏。北海道は大変涼しかった。冷たい風が吹くなか、浴衣姿で盆踊りに興じる姿もあった。短い夏のいとおしさは、北海道に住んでみればよくわかる。そんな北海道に1年ぶりに行った。知床は実に22年ぶりである。
 知床半島硫黄山嶺にある知床五湖。この周囲はヒグマの生息地域である。5つの湖を徒歩でまわることができるが、入り口には「熊注意」の札が立つ。
 7月31日、この日は朝から霧が深かった。周囲はほとんど見えない。数メートル先がやっとだ。三湖から四湖に向かう下り坂にさしかかる。霧がこちらの方にスーッと動いたように感じたが、その霧にからむように獣の強烈な臭気。登別の熊牧場で嗅いだあの臭いだ。「熊が出る、熊が出る!」。娘と妻は大声で歌をうたい、叫んだ。私はたかをくくっていたが、霧の向こうからくる強烈な臭いに、背筋に冷たいものが走った。ゆっくり後退し、しばらく行ってから早足で三湖方面に戻る。途中、5名ほどのグループと出会う。気を取り直して彼らの後ろからついて、再び四湖に向かう。さきほどの場所に差しかかると、何の臭いもしない。ホッと胸をなで下ろし、やっとのことで知床五湖レストハウスにたどり着いた。そこで、「あなたは大丈夫?――ヒグマの目撃が多発しています」というマニュアルをもらう。
 斜里町役場が作ったヒグマ・マニュアルは、大要次のようなものである。
◆ヒグマ・マニュアル
――斜里の山林はすべてクマの生息地です!
 特に、宇登呂から先は、クマの棲息密度が高い地域です。山菜取りや仕事などで山林に入る時は、クマがいることを前提にいろいろと心構えや準備が必要です。クマはむやみに人を襲うことはなく、むしろ人を避けて行動します。しかし、強力な力を秘めた野性動物であることも忘れてはなりません。人間側がいろいろなルールを守ることで、ほとんどの問題は回避できます。
――まず、出会わないようにすること、引き寄せないことが最も大切!
 自分の存在を知らせてやって下さい! 人の接近に気付くと普通はクマの方で避けてくれますが、気付かぬまま至近距離で出会うと危険です。鈴や笛で物音を立てながら歩くと、ほとんどの場合遭遇を避けることができます。クマは臭覚や聴覚に頼っています。風が強い時や風上に向かって歩く時、水音が騒々しい沢沿いでは特に注意が必要です。
――クマに出会ったら!
 落ち着いてクマを驚かさないこと。ほとんどの場合、クマの方で逃げていきます。
…立ち上がって鼻をヒクヒクさせて周りを見回したら、あなたが何者かを確認しようとしているのです。両手を上げて大きく振って静かに声をかけ、人がいることを知らせてやって下さい。
――もし近付いてきたら!
 それでも、騒がない、走らない! かえって興奮させる可能性があります。相手の動きをよく見ながら、ゆっくり後退しましょう。気付かずに近づいているのかもしれません。落ち着いて声をかけてやりましょう。
――万が一、襲われたら!
 威嚇行動に注意! 突進と後退を繰り返して威嚇するだけのことがよくあります。ここで大騒ぎすると本当の攻撃を誘発します。極力冷静さを保ちましょう。万一本当の攻撃であれば、クマスプレーが有効です。あくまでも最後の手段として用いるべきです。
 本当に襲われたら! 確実な対処法はありませんが、アメリカでの研究では抵抗してさらに激しい攻撃を招くよりも、じっと抵抗しない方がはるかに助かる確率が高いとされています。ほとんどの攻撃行動は防衛的なもので、短時間で去って行くからです。その時は体を丸めて地面に伏せ、両手を首の後ろで組んで顔面やのどや腹部を守ります。
――危険なクマをつくらない!
 人間の食物の味をしめたクマは、人によって来るようになり、たいへん危険です。ゴミを捨てたり埋めたりするのは絶対にやめて下さい。あなたの後からそこを訪れる人たちまで、危険に陥れることになります。山林に隣接した地域では、今はやりのコンポストによる生ゴミ処理は、クマを誘引します。
 空き缶投げ捨てもダメ! ジュースの匂いがついたものをかじって、学習してしまいます。最近の番屋被害では缶ジュースや缶ビールが集中的にねらわれています。
◆ヒグマ・マニュアルの平和思想
〔……〕ところで、もし、都会の人間に、「危険なヒグマにどう対処したらいいか」と問うたら、答えは3つ。
 1つは、先制自衛である。攻撃は最大の防禦とばかり、ヒグマを全部殺すか、捕獲してしまう。これでヒグマが出没する危険性はなくなる。だが、この方法は動物保護の観点から許されないし、誰も支持しないだろう。
 2つ目。ヒグマの出没する地域を立ち入り禁止にして、ヒグマとの遭遇の可能性をなくす。これは一見有効なようだが、これでは北海道の旅はできなくなる。そもそも斜里の町民が住んでいるところは、ヒグマの棲息地内だ。
 3番目。各人がヒグマに備えて、必要最小限の武装をする。これは冗談だが、知床五湖の入り口で、町や観光協会が、観光客のグループごとに1丁ずつの猟銃を貸与したらどうなるだろう(当然、日本ではあり得ない想定)。自分の安全は自分で守る。ところが、ヒグマと間違えて、別のグループの人を撃ってしまったり、暴発事故で自分の子どもを死なせたり……。これはアメリカの「銃社会」の矛盾そのものである。
 斜里町のヒグマ・マニュアルのコンセプトは、この3つのいずれでもない。端的に言えば、それは「ヒグマとの共生の思想」である。「自分の存在を知らせてやって下さい」「落ち着いて声をかけてやりましょう」という言葉にもそれは示されている。同じ「町内」に住む、ちょっと怖い「隣人」に対する、何とも愛情あふれる言葉ではある。
 だが、確かにヒグマは危険である。私が知床でヒグマと「接近遭遇」した翌週、写真家星野道夫氏が、ヒグマに襲われ死亡している。カムチャツカ州クリル湖畔で、テレビ番組の取材中のことだ。野性動物取材のベテランが襲われた背景には、テレビ局側の無理な取材手法の問題が見え隠れするが(『創』1997年2月号72~79頁)、ここでは立ち入らない。要は、危険なヒグマとどう付き合っていくかという点である。斜里町のヒグマ・マニュアルは数段構えで書いてあるが、ここには3つのポイントがあるように思う。
 まず第1は、「早期警報」(early warning) 。ヒグマの習性に対する正確な知識をもつ。そして、危険を早期に発見し、回避する。大きな音の出るものを持ち歩き、こちらの居場所を知らせることは極めて有効だ。ヒグマの襲撃を誘発しないようにするには、どのような行動が必要か、という知識が有効な「武器」になる。
第2に、それでも襲われたらどうするか。マニュアルはいう。「威嚇行動」の段階で、慌てない。これも相当大変だが、ヒグマの習性への正確な知識があれば、可能だろう。クマの攻撃行動は防衛的だから、こちらが攻撃態勢をとれば、かえって全面的な攻撃を招く。本当に襲われた場合でも、ことさらに抵抗するよりはじっとしていた方が助かる確率が高いという。しかし、これに対しては、死んでしまっては元も子もないから、やはり「絶対安全」を求めたいという意見もあろう。最後の手段としては、クマスプレーの有効性が説かれる。これはクマを傷つけないですむ。ただ、「もし襲われたらどうするか」という問題だけを取り出して論ずるのは妥当ではない。なぜなら、こういう議論の仕方で「絶対安全」を求めていくと、「ヒグマを全部殺すか、捕獲する」という選択肢につながりやすいからである。交通事故の死亡者は、毎日30人以上。年間90万人以上が負傷している。スズメバチに刺されて死亡する人は、毎年30近くいる。これと比べれば、クマに襲われて死傷する人は、はるかに少ない。確率からすれば、危険性はスズメバチの方が上だといってもいい。むしろ、「襲われたらどうするか」の議論よりも、襲われやすい状況を人間が作っているという問題をもっと考えるべきであろう。
 そこで、第3のポイント。襲われないようにする環境・条件作りの問題である。危険なクマを作るのは人間である。ヒグマ・マニュアルは、ゴミを捨てないようにし、クマが生きる環境を守ることが、襲われる機会を減らし、「共生」につながるという発想を提示している。「危ない『ヒグマに甘い汁』」という見出しの記事に、山のなかの番屋にあった缶ジュース90本を飲み干したクマの話が出てくる(『朝日新聞』1996年11月16日付夕刊)。クマは普段は草の葉や木の実などを食べる。だが、クマは蜂蜜が大好物である。しかも、缶ジュースの甘さと味わいは自然界にはないもので、一度味を占めるとこれを求めて人を襲うことになる。空き缶やゴミを捨てないということが、クマとの「平和」と「共生」につながるわけである。
ボスニア内戦で、西部丘陵地域がセルビア人勢力とクロアチア人勢力との戦場となった。クマはスロベニアに「脱出」。保護地区である北西部の「ゴルチェの森」には約600頭のクマで過密状態という。農家の家畜や穀物にも被害が出て、スロベニア政府は保護地区からは出たクマに対する射殺許可を与えたという(『東京新聞』1996年11月9日)。クマもまた、内戦の犠牲者であった。…〔以下、略〕
水島朝穂『武力なき平和――日本国憲法の構想力』(岩波書店、1997年)1~8頁)

  14年前に書いたものだが、最近の問題についても妥当するように思う。クマだけでなく、自然界には「やっかいな存在」が数多く存在する。隣近所の関係でも、「やっかいなお隣さん」はけっこういるだろう。国際関係についてもしかりである。2010年秋、クマとの接近遭遇は、恐怖感を伴いながらも、いろいろな問題意識を呼び覚ませてくれた。

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