3月19日午後(日本時間20日未明)、仏英米などの多国籍軍は、リビアのカダフィ政権に対する空爆を開始した。12年前の3月のコソボ紛争におけるNATO空爆を想起する。「人道的介入」タイプの軍事介入だが、根拠とされる国連決議1973をめぐっても、ドイツが棄権するなど、欧州も一枚岩ではない。周辺諸国の旧植民地宗主国フランスの突出が目をひく(リビアの旧宗主国はイタリア)。この問題については、次回以降の直言で書くことにしたい。
八 ヶ岳南麓の仕事場で一人原稿を書いていた。何の前触れもなく、突然大きな揺れがきた。壁の額縁が落ちた。これは大きいぞ。すぐにテレビをつけると、震度5。東北地方は震度7のところもある。マグニチュードは8.8(後に9.0に修正)。これは大変なことになったと画面を見つめていると、電気がダウンした。ストーブも止まった。雪がちらついてきた。すぐに復旧すると思ったのが甘かった。日頃、夕方5時に「家路」のメロディーを大音響で鳴らし、「人権相談」や「お悔やみ放送」まで垂れ流す防災無線の放送塔は沈黙したままだ。一度だけ、この地域一帯が停電しているという事実を簡単に触れただけだった。
停電から3時間たち、薄暗くなってきた。懐中電灯などを用意していると、突然、防災無線が大音響の放送を始めた。当然地震についての情報だと思って耳を傾けると、「明日1時から○○○において、人生相談を行います。個人の秘密は固く守られます」というごく日常的な行政情報だった。地震の情報を求めていたので、体の力が抜けた。
あたりは暗くなり、やがて真の闇となった。街灯を含め、すべての人工の光が消えた。星がものすごく近くに見える。何と美しいのだろう。これだけが一瞬の安らぎだった。また雪が少し降ってきた。何度か車のエンジンをかけ、ラジオに耳を傾けて情報収集をした。インターネットのe-mobileがつねに「圏外」のため、いつも車で麓のコンビニ駐車場まで走り、メールの送受信をやっている。この夜は2往復してネットの動画をみた。愕然となった。「津波!」。信じられない光景だった。画面が小さくて、いま一つ全体の様子がわからない。
暗闇のなか、寒さが増してくる。ジャンパーを着てマフラーをして布団にくるまった。ウトウトしていると、夜10時過ぎ、暗闇のなかで突然、防災放送が流れた。「東京電力からお知らせします。現在、○○地域は全面的に停電しています。医療機器をお使いの方は、電気が通っている地域にすみやかに移動してください」と。県内全域が停電している。「電気が通っている地域」とは具体的にどの方面なのか。医療のため電気を求める人々にとって何の情報も含まない、官僚的な冷たい放送である。日頃から一種の「囚われの聴衆」(captive audience)状態にある者にとって、この「いざ」という時に役に立たない防災放送のシステムにはあきれるばかりだった。
朝5時に、15時間ぶりに電気がきた。室内は4度まで下がっていた。テレビをつけると、津波が町を飲み込む瞬間を伝えている。絶句した。これは何だ。今まで見たこともない光景がそこにあった。町全体が炎上しているところも。津波のすさまじい力に、ただただ息をのんだ。東北地方での講演や学会の際、観光でまわった地域も含まれている。体が震えた。
大津波がくる2日前、宮城県北部で震度5弱の地震が起きた際、気象庁は津波警報を出したが、実際には石巻市で50センチ程度だったそうだ。津波警報が出ても、こういうことが繰り返されてきたため、住民が気象庁の警報を重視しなくなっていたという指摘がある(『日刊ゲンダイ』3月16日付)。私が山梨の仕事場で経験しているように、防災システムを一般行政情報の案内などに安易に利用していると、いずれこういうことになるのではないかと思った。
さて、地震で電車も中央高速も不通である。東京の自宅に電話すると、書斎は書類や本などが床に散乱していたが、大丈夫だという。
大学に電話すると、私の研究室は11階にあるため揺れが激しかったらしく、ドアが開かないという情報が届いた。
帰宅後、京王線や山の手線が通るようになってから大学に行って見ると、研究室のドアは開いたものの、室内に足を踏み入れられないほど本や「歴史グッズ」が散乱していた。机上のパソコン上にも本が積み重なっている。ドアから半分体を入れて撮影したのが冒頭の写真である。計画停電で電車が止まるため、撮影後、すぐに帰宅してパソコン画面で見たところ、思わず笑ってしまった。撮影時は興奮していて気づかなかったのだが、一番手前には、「安全第一」という沖縄米軍のプレートが写っている。奥にはドイツの反原発団体の黄色いワッペンも。これは断じて「やらせ」ではない。
私のごく小さな体験から始めたが、暗闇や寒さもわずか15時間である。研究室の散乱もまる1日もあれば片づくだろう。東北の被災地に比べれば、かすり傷程度のものだ。従来、東京の感覚はいつも「地方の災害」という感覚だが、今回は間違いなく「当事者」になった。九段会館が崩落して死者が出るほどの揺れだったというだけではない。「計画停電」による生活や交通についての重大な影響、そして後述する原発の問題がある。今回の大震災ほど、日本の国民全体のレヴェルで「当事者性」を高めたカタストローフ(大災害)はなかっただろう。
この地震について、関東大震災よりも阪神・淡路大震災よりも巨大な、「観測史上最大の地震」という表現がなされている。当初この地震は、「東北地方太平洋沖地震」と命名された。やがて、メディアによって3種の呼称が使われるようになった。「東日本大震災」(朝日、毎日、共同通信→ブロック紙、地方紙)、「東日本巨大地震」(読売、日経)、「東北関東大震災」(NHK)。名称は異なっても、「大」がつくことに違いはない。被災地の『河北新報』や『福島民報』などが共同通信にならって使っているので、以後、この直言でも「東日本大震災」と呼ぶことにしたい(注)。
この大震災の特徴は、地震だけでなく、津波災害と原発災害を伴う複合型の大災害(カタストローフ)という点にある。これは真正の非常事態である。何を、どこから書いたらいいか、正直迷う。あまりにもたくさんの問題や論点があるからである。また、研究室の惨状を撮影して帰宅した直後、私がノロウィルスに罹患したため、新聞やネットをまともにフォローできないでいる。災難は重なるものだが、しかし、被災地の現状を思うとき、それどころではないだろう。一刻も早い救援が必要である。今回の災害は巨大津波のため、行方不明者が極端に多いのが特徴である。地方自治体や地域単位で消滅してしまったため、救援の手が届きにくいということもある。個人的には、当面は義援金を送ることくらいしかできないが、何かをしなければという思いが突き上げてくる。
この大震災の悲惨さは、原発事故が重なったところにある。被災者救援の物資が原発事故による避難地域よりもずっと手前で止まってしまう。これが被災者救援を鈍らせている原因になっているという。放射能の恐怖は、目に見えない、よくわからない分、過剰反応をもたらしやすい。流言飛語がネット上にも飛び交っている。
テレビは、どのチャンネルに合わせても、ほとんど同じ切り口、同じトーンである。コメンテーターには、「何でこの人が?」というような「専門家」も含まれている。そういう人を各局が使い回し、好きなことを言わせている。これは「口害」である。そういう人々が一緒になって、「原発は安全だ」というトーンを押し出しているように感ずる。もちろん過剰反応は危険だが、過少評価はもっと危ない。外国のメディアのサイトをインターネットで見ている方がリアルに理解できるように思う。
特にドイツは、2004年12月のスマトラ沖地震の津波で、旅行客3200人が巻き込まれて死亡したこともあり、「Tsunami」(ドイツ語の辞書にそのままある)への関心はきわめて高い。また、原発政策も転換点にあるため、常時トップで扱いも大きく、情報も詳しい。例えば、『シュピーゲル』誌のサイトには、福島第一原発から流れ出る放射能の、時々刻々の拡散図まで出ている。この映像を日本のテレビは決して使わないだろう。
17日あたりから、ようやく原発内で懸命にたたかう作業員たちに目を向けるようになった。日本では、『東京新聞』17日付第1 社会面が、「建屋内、決死の作業」という見出しのもと、健康被害の可能性のある被曝をしてまで作業にあたる人々の姿を描いている。ドイツの保守系紙は、「名もない50人が日本の最後の希望だ」(50 Namenlose sind die letzte Hoffnung Japans.)の大見出しのもと、福島原発で必死に暴走を止めようとしている人々のことを伝えている(Die Welt vom 16.3.2011)。「福島の英雄たち」という論評を掲載する左派系紙もある(taz vom 16.3.2011)。最後まで残ったこの人々の90%は、非東電社員、つまり子会社や孫請けの非正規雇用者だという。Die Weltは、東電の社員でもないのに自らの危険を顧みずたたかう作業員について、その「職業観」を推し量ろうとしている。安い賃金と不安定な地位にもかかわらず、記者会見で右往左往する東電の常勤エリート幹部たちに比べて、かくも真剣な姿勢に頭が下がる。Die Welt紙は消防士のような倫理観と書いたが、彼らの気持ちは外部からはわからない。
菅内閣は、このような真正の非常事態にまともに対応できていない。いま、ここでその一つひとつの不手際の連鎖を指摘することは可能だが、あえてしない。バスが高速で蛇行運転している最中に、その運転手を取り換えるわけにもいかないからである。いまは、現在進行形の危機をこの運転手のもとで乗り切らせるしかない。ただ、「人命救助の思考と行動」で、私は次のように書いた。「内閣官房が大規模地震などの事態の初動体制についてマニュアルを作成しているが、首相の対応についての規定がない。なぜか。それは、首相は最高責任者として、マニュアルに定めのない判断が求められるからである。日本の『危機管理』の致命的弱点は、システムの問題よりも、それを運用できない人と政治にある」。東電本社に乗り込み、幹部を怒鳴りちらし、「撤退などあり得ない。撤退したら東電は100%潰れる」と恫喝するなど、およそ非常時における「司令塔」になっていない。首相官邸で会談した笹森清内閣特別顧問によると、首相は「自分は原子力には詳しいので〔東電に〕乗り込んだ」と語ったというが(『読売新聞』3月17日付)、理系出身で知識と思い込みが強い分、ぶれが怖い。と、かなり書いてきてしまったので、この問題は、原発事故がおさまり、被災者救援が一段落してからまた論ずることにしよう。
なお、大震災に便乗して、米原子力空母「ロナルド・レーガン」が三陸沖にやってきたことにも留意が必要である。被爆国の原発事故に原子力空母を派遣してくる政治的鈍感さは言うまでもなく、その派遣には被災者救援の「美談」に解消されない問題が含まれている。このことは、また別の機会に書くことにしたい。
大規模災害においては、国や地方のあらゆる機関、民間の力を含めて、その総合的な力の発揮が課題となる。阪神・淡路大震災以降、消防も警察も、また自衛隊も、大規模災害対処について、その組織、装備、運用などあらゆる面で改善をはかってきた。救助組織のあり方は大きな課題である。だが、「司令塔」が不在では、せっかくの物資も、せっかくの人員も総合的に活かすことはできず、被災者のもとに必要なものが届かない。これ以上の「大惨事」は滅多にない。現在進行形の危機に、日々の改善を求めて手さぐりで進むしかない。
憲法学の観点から言えば、16年前の阪神・淡路大震災の際、カール・シュミットの「例外状態論」を引照して、より強い国家を求める声があがったとき、栗城壽夫教授は「危機管理と憲法」を書き、冷静な議論を呼びかけた。栗城他『震災の思想――阪神大震災と戦後日本』(藤原書店、1995年)を再読している途中である。今後出てくるさまざまな立法や施策との関係で、従来の「有事法制」の範囲を超えた、「非常事態と法」の問題についても論じていくことになろう。 (2011年3月17日20時50分脱稿)
(注)なお、NHK は4月1日午後7時のニュースから「東日本大震災」に変更した。これは当日午後の閣議で「東日本大震災」と決まったことによるものである。