7月1日、大学の私のボックスに丸いものが入っていた。何だろうと思ってみると、指を入れる穴のついた団扇(うちわ)だった。早大マスコットキャラの「ワセダベア」が神妙な面持ちで頭を下げている。「節電にご協力ください。7/1より9/22まで」。その下に「電気事業法27条により、15%削減が必要です!」とある。具体的に、「空調温度設定28℃」「不要照明のOFF」「待機電力のcut 自販機の一部運転停止」「エレベーターの間引き運転」の4つが挙げられている。団扇の裏面は、「ワセダベア」の上に、「水分補給や十分な体調管理により熱中症に注意して、暑い夏を乗り切りましょう」とある。
私がこの団扇で注目したのは、「電気事業法27条により」という法律名が出てくるからである。政府は、7月1日付で、東京電力および東北電力管内の大口需要者に対して、「電力使用制限令」を発動した。所管大臣は経済産業大臣であり、その法的根拠が、この電気事業法(1964年7月11日法律第170号)27条である。
「経済産業大臣は、電気の需給の調整を行わなければ電気の供給の不足が国民経済及び国民生活に悪影響を及ぼし、公共の利益を阻害するおそれがあると認められるときは、その事態を克服するため必要な限度において、政令で定めるところにより、使用電気量の限度、使用最大電力の限度、用途若しくは使用を停止すべき日時を定めて、一般電気事業者、特定電気事業者若しくは特定規模電気事業者の供給する電気の使用を制限し、又は受電電力の容量の限度を定めて、一般電気事業者、特定電気事業者若しくは特定規模電気事業者からの受電を制限することができる」。
ここに出てくる政令とは、内閣の命令である「電気事業法施行令」(1965年6月15日政令第206号)のことである。その2条1項は、電気の使用を制限される者として、「500キロワット以上」の大口需要者を定めている。当然、早大もこれに含まれる。
なお、この電気使用制限の命令に違反した者は、100万円以下の罰金に処せられる(同法119条7項)。これまで、処罰された例はないようだが、今年の夏はわからない。
ところで、この電力使用制限令が発動されたのは37年ぶりだそうだ。私が大学3 年生だった1974年、第1次オイルショックのおりにも発動されたのだが、実はあまり記憶がない。大学が特別措置をとり、いろいろな対応をしていたのかどうかも、まったく覚えていない。
今回、大学は6月段階から細かな対応を次々と打ち出していた。例えば、「電力使用制限令」発動の当日、「授業中の急病人対応(教員用)」(2011年7月1日付)を全教員に一斉メールで送信した。5日後、「計画停電実施の際の授業休講について」(7月6日付)と「大規模停電発生の際の授業休講について」(同)が大学から届いた。計画停電の時間枠に応じて、90分×2の授業時間が休講になる。授業期間中に大規模停電が起きたときは、「大規模地震発生時(授業中)の教員対応」(4月22日教務担当教務主任会)に準じた行動をとることが教員に求められる。授業時間外に大規模停電が起きたときはすべて休講となるが、授業時間中に起きたときは、大規模地震時と同様、学生たちを教室内に待機させるのが教員の仕事となる。大教室の場合、マイクが使えなくなる。私は声が大きいので学生の「制圧」は可能だが、高齢の、あるいは女性の教員のためには、メガホンか、小型ハンドマイクのようなものを教壇下に備えておくことも必要かもしれない。
いつもなら、7月半ばで授業は終わっている。だが、今年は違う。東日本大震災の影響で授業開始が5月6日に延びたため、終了は8月4日である。7月中はびっしり授業がある。
すでに6月段階で、大教室の温度はかなり高めに設定されていた。私のように300人から400人の大講義(3コマ)をやっていると、学生たちが発する体温で教室は蒸し風呂のようになる。実際、他の教室で、何人かの学生が熱中症で倒れたと聞いた。
私自身、6月の猛暑のとき、10号館109という大教室で気が遠くなりかけたことがある。この教室はかなり高いところに教壇がある。400人の学生たちが発する熱気が上方にたちこめて、自分の声が遠くなっていくのを感じた。「危ない」と思って、すぐに深呼吸をしたのでもとにもどった。一瞬だったので、異変に気づいた学生はいなかったようである。同僚に話したところ、やはり同じような体験をした人がいた。
7月第2週になると教室は比較的涼しくされるようになったとはいえ、8月上旬まで授業は続く。
そもそも節電というのは、電気の使用の無駄を見直して、不要な電気を消すことが基本だろう。前述の電気事業法施行令2条2項にも、用途を定めた電気の使用制限に関して、「装飾用、広告用その他これに類する用途について行う」と定めている。つまり、装飾や広告という緊急かつ直ちに必要というわけでは必ずしもないところについて制限をかけている。大学の場合、研究・教育の核心部分は制限されてはならないだろう。教室や研究室は大学の生命線だからである。この間、教室は涼しくなったが、研究室はかなり暑い。私は研究室では仕事をしないタイプだが、研究室で仕事をする教員は、今年の夏はかなり大変だろう。
思えば、大学に、コンピューター管理の機密性の高い高層ビルの校舎が増えてきたことも背景にあるように思う。また、昔の早稲田だったら、「15回授業をやれ」と文科省(当時は文部省)が言っても、無批判に追随することはなかっただろう。大学の自治の衰退は、いろいろなところに反映しているとつくづく思う。
2005年6月、小泉内閣の小池百合子環境大臣(当時)の肝入りで始まった「クールビズ」。6年たって、かなり定着したようである。一般の人々が涼しい夏のためにいろいろな工夫をしているとき、日本の政治の中心では、毎日のように、暑苦しく、見苦しいドラマが展開されている。もういいかげんにしてほしい。
学級崩壊ならぬ内閣崩壊の異常さを書いた『朝日新聞』7月8日付社説。ここまでひどい内閣はかつてなかっただろう。それもひとえに菅直人首相の発する言葉の一つひとつの「暑苦しさ」に基因している。そのなかでも、「満身創痍、刀折れ、矢尽きるまで、私の力の及ぶ限り、やるべきことをやっていきたい」という言葉はすごい(『読売新聞』7月7日付)。閣僚が次々離反し、与党の支持も失い、自分一人になっても首相をやるという決意表明にほかならない。憲法68条2項(国務大臣を任意に罷免できる)がある以上、イエスマンを任命しては使い捨てにすることも可能である。先週の原子力発電所の再稼働をめぐる閣内不一致は、もはや内閣の体をなしていない。
今、最も憂慮すべきことは、暑い夏に向かう被災地のことである。『読売新聞』はこの間、被災地の問題を一面トップで連続して報道している。例えば、原発30キロ圏で避難を余儀なくされた特養老人ホーム入所者の死亡者が昨年同期の3倍に達し、「災害関連死」の可能性が指摘されていること(7月2日付)、避難所の扇風機が足らず、集団生活のなかで熱中症が心配されていること(同夕刊)等々。さらなる猛暑に向かうなか、被災地では差し迫った生命の問題である。首相が先頭にたって、被災者への対応を迅速に行い、被災地の復旧・復興に全力をあげることは、まず期待できない。自らの在任期間を1日でも長くするためには何でも利用するという人物が首相をやっている「宰相不幸社会」(『読売』社説が初出?)をいつまで続けるのだろうか。