大震災と公務員 2011年8月1日

8月である。震災の影響で授業開始が5月6日になったため、今週もまだ授業がある。科目によっては先週から試験を始めたが、私が採点する答案は学部だけで1039枚ある。その採点締め切りは8月10日である(法科大学院の私の科目の試験は12日)。毎年のように夏休み(「休み」ではなく集中的に仕事〔原稿書き〕ができる期間)が減っていく。同僚と学内のエレベーターで一緒になるとき口を衝いて出るのは、節電による研究室・教室の暑さと、この「時間がない」ということである。というわけで、この「直言」も夏休みモードに入る。毎週の更新は原則として月曜の朝までに行うが、その内容は、ストック原稿(「雑談」など)のアップや既発表原稿の転載という形にさせていただきたい。採点に入った今週は、先月執筆した連載原稿の転載がメインとなる。とはいえ、そこで触れなかった点や、その後の展開を含めて若干補足しておきたい。

まず、防災行政無線の運用にはいろいろと課題がある。今回の震災でも、大津波が襲来した地域によっては、「まったく聞こえなかった」とか「必要な情報が流れなかった」といった住民の声も報道されている。私がこの4月に東北3県をまわったときに案内をお願いした白土正一さんは、福島第一原発20キロ圏内の双葉郡富岡町で、昨年まで生活環境課長をしておられたので、防災行政無線の運用についても詳しい。富岡町では、一般的な行政情報は女性の声で、老人が行方不明になるなど、緊急を要する場合には男性が担当し、声で区別して運用してきたという。男性の声が流れると、住民は何事かと緊張して聞いたそうである。今回、大津波は富岡町も襲ったが、住民の避難が早かったため、死者は8 人と、近隣市町村では一番少なかった。

山梨県北杜市では、震度5 強の地震直後、間の抜けた男性の声で、「人生相談のご案内」が大音響で流された。男女の声の区別というよりも、声の出し方や情報の中身の問題ではないかとも思う。ニュース映像で何度か確認したが、南三陸町職員の遠藤未希さんの場合、女性のやさしい声だったものの、「6メートルの大津波」とはっきり断定しており、住民の腰を上げさせるだけの適切な情報提供だったように思う。下記の連載原稿について、まずこのことを補足しておきたい。

次に、消防団について。『読売新聞』が6月にこの問題をかなり大きく扱ってから、他紙も報道するようになった。『朝日新聞』7月20日付は「殉職消防団員 届かぬ補償」という見出しで詳しく扱った。そこには、消防団員の死亡・行方不明者の数が251人に達したことが書かれている。下記連載の『読売』6月19日付では249人だったので、この間に2人増えたようである。これだけ多数の団員が一度に亡くなったので、遺族補償のための福祉共済の原資が「枯渇」(片山総務相)。補償額が従来の半分以下に減額されている。『朝日』記事はまた、「地域防災の柱 細る担い手」という見出しで、被災のショックで消防団員の退団者が出ていることも伝えている。下記の連載執筆から1カ月半の間で、事態は何も改善されていない。

今後の課題を含めて、『朝日新聞』7月21日付は、「津波と消防団――251人の教訓から学ぶ」と題する社説を出している。そのなかで、「危険を顧みずに職務を全うすることを是とする風潮は危うい…彼らの安全を確保する方策は十分だったのか」という専門家の問題提起を受け、「三陸地方の団員は毎年、津波訓練を積んできた。浸水想定区域のすぐ外側で海を監視し、逃げるときはしんがりを務める。そんな想定は適切だったか」と書いている。そして、「かねて消防団員のなり手不足は深刻だった。大震災は地域の防災の担い手としての重要性を改めて教えてくれている。だからこそ、悲劇から学ばなければならない」と結ぶ。私は、大槌町吉里吉里地区の消防団員の方から直接話を聞いたが、担い手の減少は深刻な問題だと思った。「小泉構造改革」によって地方が小さく、細く、弱くさせられたところに大震災がきたわけで、あの「改革」の根本的総括と「復興」が求められている。 以下、大震災と公務員について書いた連載原稿を転載する。

公務と「犠牲」
   ――東日本大震災(4)――

◆避難呼びかけ亡くなった女性職員
   赤茶けた剥き出しの鉄骨に息をのむ。瓦礫や漁具の浮き、木の枝などが絡みつき、3階まで完全に破壊されている。屋上にアンテナ塔があり、道路に面した1階右側に「防災対策庁舎」というプレートが見えるので、かろうじて役所の建物とわかる。
   4月29日午前10時過ぎ。宮城県南三陸町に着いたとき、津波で広範囲に破壊された市街地のなかで、鉄骨だけになったこの建物は一際目立った。津波が来たとき、この庁舎2 階の放送室で、危機管理課の職員・遠藤未希さん(24歳)が住民に避難を呼びかけていた。「最大6メートルの大津波が予想されますので、急いで高台に避難してください」。これを聞いた住民は、ただごとではないとすぐに避難を始めた。間一髪で助かった人は、「未希さんに命を救われた」と語っている。だが、放送を続けた未希さんは津波にのまれ、約40日後に遺体で発見された。
   テレビのニュース番組で、押し寄せる津波に未希さんの声を重ねた映像を何度か見る機会があった。その現場に立ち、私も手を合わせた。
   公務員も人間である。命がけで活動することはあっても、命を失うことまでは要求されない。ある番組で、未希さんの夫のブログが紹介されていた。「今まで一番近くで毎日聞いていた声。ぼくを支えてくれていた声。きっと恐怖の中で発していただろう声は、とても力強く、南三陸町の避難を後押ししたものと思います。けど、家族としては逃げてほしかった。あとでなんと言われようと生きてほしかった。これが素直な気持ち…」。この言葉を誰も非難することはできないだろう。

◆過去最大の公務災害
   東日本大震災では、東北3県で、遠藤未希さんのように公務中に死亡・行方不明になった公務員が330人もいる(『読売新聞』2011年6月15日付一面)。庁舎で津波にのまれたケースが多く、住民の避難誘導にあたっていて逃げ遅れた人も少なくない。
   岩手県大槌町では、役場2階の会議室に災害対策本部を立ち上げたところを津波に襲われ、町長と課長クラス全員を含む38人の職員が死亡・行方不明となっている。陸前高田市でも市役所庁舎に津波が襲来し、105人が犠牲になっている。警察官は、東北3県警で計30人である。また、非常勤の特別職地方公務員である消防団員の犠牲も甚大だった。総務省消防庁によれば、東北3県の消防団員の死者・行方不明者は計249人にのぼる(以上『読売』6月19日付)。
   公務員には職務専念義務があり、家族が被災していても、まず公務を優先する。そうしたなかで命を失った方々に対しては、きちんとした補償がなされなければならない。
   地方公務員の場合、地方公務災害補償金の制度がある。「地方公務員災害補償基金」が財源となり、同基金の本部が認定すると支払われる。役所の水没、勤務場所からの避難中、あるいは住民の避難誘導中などがこれに該当するが、地震と津波のなかで判断が微妙なケースもあろう。ただ、今回の大震災では厳密な証明を求めずに、合理的に推定されれば認定するという方針を、本部が示したという。妥当な判断である。すでに細かな事情を問わず、一括申請する自治体も出ている。その結果、遺族に支払われる公務災害補償金は、過去最大規模になる見通しである。ちなみに、阪神大震災で認定された公務災害死は10人だった(『読売』6月15日付)。
ただ、この制度はあくまでも常勤に適用される。非常勤の消防団員の場合、「消防団員等公務災害補償等共済基金」から給付金が出るが、「消防団員福祉共済」弔慰金は、多数の死亡者が一度に出ることは「想定外の事態」(日本消防協会担当者の言葉)として、6割減額されることになった(『読売』6月21日付夕刊一面)。
   津波が迫るなか、住民の避難誘導にあたって命を失った消防団員の大半は働き盛りで、家族を支えてきた。遺族に支給される弔慰金が6割もカットされることについて、石巻市の消防団長は、「公務中に命を落としたのに、家族の将来を十分保障してやれないなんて…」と涙を浮かべたという(『読売』同上社会面)。
   東日本大震災は「想定外」が頻出するが、そこで思考停止するのではなく、人のために命を落とした消防団員に対する配慮が求められる。

◆「犠牲を厭わない」という思想
   「小さな政府」という感情的スローガンで強行された「小泉改革」により、公務員の定員や予算は削られ、公務員の士気も下げられてきた。もともと東北の被災地は、公務員削減や補助金カットで弱り切っていた。そうした「弱くなった地方」の横っ腹を津波が突いたのである。「安全神話」で思考停止していた原発はひとたまりもなかった。
   原発事故対応の場合は、放射能の危険という特別の負担がある。大規模な災害派遣を行った自衛隊でも、過酷な活動のなか、下士官(曹)クラスが3人死亡しているが、実は福島原発の爆発事故で隊員が負傷している。負傷の程度など詳しい情報はあまり出てこない。その後、3号機冷却のため、警察、自衛隊、消防の順番で、放射能で汚染された危険な場所での注水作業が行われた。米国との関係など、体面を気にした政治(官邸)の過剰介入が、この活動の過程で無理を生じさせた疑いも指摘されている。特に経済産業大臣が、東京消防庁レスキュー幹部に対して、「(長時間放水を)実施しないと処分する」と恫喝したことは軽視できない。
一般に、確実に生命が失われる危険な活動を命令できるか。「被曝の危険をかえりみず」などと軽く言えないような問題がそこにある。
   『国家と犠牲』(NHKブックス)の著者、高橋哲哉氏は、原発を「犠牲を組み込むことでしか動かないシステム」と呼ぶ(『毎日新聞』6月17日付夕刊「特集ワイド」)。事故収束の目処はまったくたっていないなかで、今後さまざまな「犠牲者」が出てくるたびに、高橋氏が危惧する国家の論理が出てくるおそれがある。
   いま、原発の作業員は、東電の正社員よりも、下請け、孫請け…の名もなき人々が多い。そういう「民間人」が原発事故に懸命に対処している。これらの人々に対する配慮も忘れてはならないだろう。
   では、今後、原発がさらに危機的状態になったとき、誰が「そこ」に行くのか。高橋氏が紹介する「戦争絶滅草案」(デンマークの陸軍大将が起草)のアイデアがいい。戦争開始後10時間以内に、国家元首、首相、大臣、官僚トップ、国会議員(戦争に反対した者は除く)ら指導者を最前線に送り込むべし、と。原発事故に応用すれば、歴代の原発関係大臣や電力会社幹部らがその対象となる。
   下請け、孫請けの民間人のがんばりで、かろうじて維持されている福島第一原発の現状は、「官から民へ」の「小泉改革」の罪深さを象徴しているとも言えよう。

(2011年6月21日稿)

〔水島朝穂の同時代を診る(78)「公務と『犠牲』」『国公労調査時報』584号(2011年8月)2-3頁所収〕

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