日本人は四字熟語を好む。誰が、どのタイミングで、どのように使うかで、その漢字4個の効果も変わってくる。例えば、大相撲における横綱・大関昇進時の口上。これは毎度のように注目される。今回、久しぶりの日本人大関として期待されている琴奨菊は、「万理一空」を使った。宮本武蔵『五輪書』のなかにある言葉で、「全ての物事は一つの空の下で起こっていると冷静に捉える」という意味だそうである。当初は、「緊褌(きんこ)一番」(気持ちを引き締めて事に臨む)という情報も流れたが(『スポーツニッポン』電子版9 月28日午前6時)、最終的に「万理一空」に落ちついた。『五輪書』を読んで見つけたわけではなく、テレビに映った琴奨菊の手には、市販の『四字熟語』という本がしっかり握られていた。そのうち、ネットで検索して見つけました、と正直に話す大関も出てくるかもしれない。ちなみに、兄弟子の琴光喜は「力戦奮闘」、若貴兄弟の大関昇進時には、三代目若乃花が「一意専心」、貴乃花が「不撓不屈」だった(9月28日付各紙夕刊から)。
4個の漢字の組み合わせを使うと、多くの言葉を並べるよりも落ち着きがいいし、効果的な場合がある。複雑な説明を省略して、何かを語った感じになってしまう。しかし、これが曲者である。十分に吟味して検討されるべき「政策」の問題が、4つの漢字で中身を語った感じにされてしまうのは危ない。
1990年頃から「国際貢献」という言葉が使われるようになった。この漢字4個マジック。「あなたは国際貢献に反対ですか」という設定がつくられ、自衛隊の海外派遣の道が広がっていった。また、長年にわたり野党のすべて、新聞社説のほとんどが反対してきた小選挙区制を、94年1月に「小選挙区・比例代表並立制」という形で実現させたのも、「政治改革」という、誰もが反対できない漢字4個の威力だった。
「規制緩和」もそうである。「いかなる」規制を、「誰のために」「どのように」「どの程度」緩和するのかという基本問題の検討を抜きには語れないはずだった。しかし、大規模店舗規制は「地域エゴ」だといって外され、地方の「シャッター通り」を増やしていったし、耐震構造関係の建築基準法「改正」の結果や、雇用分野の規制緩和が何をもたらしたかはすでに書いた通りである。
「構造改革」という言葉は特に巧妙だった。「三位一体の改革」や「官から民へ」、「郵政民営化」など、必ずしも漢字4つではないバリエーションを伴いながら、この国の仕組みを大きく変えていった。
ご記憶だろうか。「一家団欒(だんらん)」まで使われたことを。舛添要一厚生労働大臣(当時)は、2007年9月11日の閣議後の記者会見で、一部事務職を割増賃金支払い対象から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション制度」について、「名前を『家庭団欒(だんらん)法』にしろと言ってある」と、その言い換えを指示したことを明らかにした。その上で、「残業代が出なければ、早く〔家に〕帰る動機づけになる」として、働き方の改革の一環として取り組むという考えを示した(2007年9月12日各紙)。「残業代ゼロ法案」という殺伐としたイメージを、「家族団欒」という「温かな」4字で覆い隠す手法である。
「後期高齢者医療制度」が出てきた時も、そのネーミングに批判が高まるや、当時の福田康夫首相は、漢字4つの「長寿医療」に言い換えるよう指示した。だが、時すでに遅し、である。「長寿医療」の4文字の白々しさだけが目立ってしまった。
そしていま、漢字4つを使った最大の曲者は、「復興増税」である。野田内閣は、「復興増税」総額9.2兆円を打ち出した。中身は所得税増税と法人減税凍結、たばこ増税、住民税の増税である。その後、党の税制調査会から11.2兆円という数字が出てきて、税外収入の上積み(JT株の全株売却など)により増税額を2兆円圧縮するかどうかをめぐり「増税混迷」(『読売新聞』9月30日付)状況が生まれた。政府と党の双方に税調を設けるという自民党方式に舞い戻ったものの、政調会長が「破壊的軽口」の前原誠司のため、党内はなかなかまとまらない。国民にはまったくわからない。そうやって、11.2兆円が国民の負担として決まっていく。
「東日本大震災の復興のためならば」と、どの世論調査でも「復興増税」反対は少ない。例えば、『東京新聞』9月30日付1 面に「復興増税『やむなし』――苦渋の中小企業」という見出しで、都内の中小企業の声を集めた記事があった。そこには「仕方がない」という言葉が何度も出てくる。「仕方がない」で物事が進んでいくのは決して望ましいことではない。とりわけ、税金をめぐる問題ではそうである。
1994年2月3日未明、当時の細川護熙首相の「国民福祉税7%」の記者会見は今も鮮明に覚えている。各紙東京本社最終14版締め切りを前にして、翌日の一面トップ狙いの巧妙な時間設定であった。当時3%だった消費税率を7%に引き上げ、それを福祉目的に充当すると説明されたが、与党関係者にも「寝耳に水」。批判が一気に高まり、5日後にその方針は撤回され、細川首相は政権を投げ出す。当時、細川を党首とする「日本新党」に所属した93年初当選組が、野田や前原ら松下政経出身者だった。思えば、「師匠」の失敗から17年たって、「弟子」たちが「震災」のどさくさ紛れに、消費税アップに向けて動きだした。その手始めが11.2兆円ではないか。
憲法84条は租税法律主義を定める。新たな税金を課す時も、その税率を変更する時にも、法律または法律の定める条件による。これは「財政国会中心主義」の歳入面での具体化である。税金を「払う」ことは国民の「義務」とされているが(憲法30条)、他方で、税金を「どのように」「どの程度」とるのかなどについて、国民の代表者が決める仕組みを採用しているのである。「代表なければ課税なし」である。その背後には、税金について決める代表者は、税金をとられる国民の同意を得ていることが前提になっている。だが、1989年の消費税導入は、「大型間接税は導入しない」と公約して国会で多数を占めた政権によって行われた。「税金について語るの『作法』」でも書いたように、税金をとられる国民の同意と納得が何よりも大切である。大震災のどさくさ紛れの増税が一番いけない。復興への課題は山積しており、そのなかで、増税は最後の手段である。国民が納得する根拠と情報の提供に基づく十分な説明が行われることが前提となる。
デフレ不況の真っ只中、国際的な金融危機が重なり、日本経済は危機的状況にある。そんな時に安易な増税を行うことは、この国を疲弊させ、復興への力を削ぐことにならないか。今回の増税はいずれ消費税増税につながるだろう。「復興増税」という漢字4つの前に思考停止することなく、しっかりした議論が求められる。
(文中敬称略)