沖縄防衛局長「発言」の底に流れるもの 2011年12月12日

衛省の沖縄防衛局長が、米軍普天間飛行場の「移設」計画に基づく環境影響評価(アセスメント)の評価書提出の時期を記者に質問された際、唐突に、「犯す前に犯しますよと言いますか」と述べたことを、『琉球新報』11月29日付だけが一面トップで報じた。当初は女性蔑視のひどい発言ということに関心が集まり、この局長の更迭にまで発展した。

沖縄防衛局長というのはどういう役職なのか。まず、地方防衛局は防衛省の地方支分部局として全国8箇所に置かれ(防衛省組織令211条)、施設の取得や装備品の調達・補給・管理等、駐留軍関係の物品・役務の調達等、防衛省の地方におけるよろず仕事屋である(防衛省設置法33条1、2項)。環境影響評価法に基づく環境影響評価に関する事務も行っている。沖縄防衛局長は、沖縄県における国・防衛省の出先のトップということになる。

「犯す」という言葉は使っていない。この人物は弁明した。防衛省が公表した「釈明」(11月29日)にはこうある。
   《「『やる』前に『やる』とか、いつごろ『やる』とかいうことは言えない」「いきなり『やる』というのは乱暴だし、丁寧にやっていく必要がある。乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になりますから」といった趣旨の発言をした記憶はある。自分としては、ここで言った「やる」とは評価書の提出することを言ったつもりであり、少なくとも「犯す」というような言葉を使った記憶はない。しかしながら、今にして思えば、そのように解釈されかねない状況・雰囲気だったと思う》(『沖縄タイムス』11月30日付総合面)。

「やる」という言葉を、本人も言うように「男女関係なら犯罪になる」という脈絡で使えば、明らかに特定の行為を念頭に置いており、「犯す」という言葉でまとめられても仕方ないだろう。むしろ、こういう「雰囲気」のなかで話を合わせ、誰も疑問を差し挟まなかったことの方が問題である。もし琉球新報が書かなければ、記者たちは笑ってすませていたのだろうか。ちなみに、これを当初報じなかった沖縄タイムス記者は、その場の10人のなかにはいたものの、「記者と局長との席が離れており、発言をはっきりと聞き取れなかった」そうである(平良武・政経部長談『朝日新聞』11月30日付)。居酒屋の喧騒のなかで聞こえなかったのか、質問をした記者にだけ密かに呟いたのか。いずれにしても、「犯す」という言葉を使ったか、使わなかったかは主要な問題ではない。「そのように解釈されかねない状況・雰囲気」と本人も自覚している脈絡そのものが問題なのである。

朝日那覇総局長は1時間遅れで酒席に到着したので「発言」は聞いていないとしながら、もし自分が聞いていても、それを聞いた同僚から報告を受けても記事にはしなかっただろう、という。「酒の席で基地問題を男女関係に例え、政府が意のままに出来るかのように表現するケースは、防衛局に限らず、時々聞いたことがあるからだ」と。そして、「国は辺野古で、まさに発言通りの行為をやろうとしてきた。県内移設を拒む沖縄県民の意思に反し、『理解を得て』と言いながら是非を許さず、金を出すからとなだめ、最後は力ずくで計画を進める。下劣な例えだが、もっと下劣なのは現実の方だ」と書く(谷津憲郎「問題なのは言葉だけか」『朝日新聞』12月3日付「記者有論」欄)。その通りだが、そんな「下劣な例え」が以前から行われているのなら、それを問題にしないできたメディアの惰性も問われてしかるべきだろう。

何よりも、私は沖縄防衛局長が語った、「軍がないから薩摩に侵攻された」「沖縄は弱い」という考え方(『沖縄タイムス』同上)の背後に、沖縄の歴史への無理解と偏見があるだけでなく、薩摩侵攻から、琉球処分、沖縄戦、米軍統治を経由して、米軍基地が集中する現状にまで一貫している「沖縄切り捨て」の思考があると考える。この人物は、国家公務員の指定職給与(民間企業の役員報酬に照応)のポストについてまだ3カ月という時点で、記者たちを「はべらせて」得意になっていたのだろう。思わず本音が出てしまった。

環境影響評価書の提出時期を質問されて、なぜ「やる」という例えが出てきたのか。私は、この人物が「やる」だの「沖縄が弱い」だのと述べたあとに、次のように続けたことにも注目した。すなわち、「政治家は分からないが、(防衛省の)審議官級の間では、来年夏までに米軍普天間飛行場の移設問題で具体的進展がなければ、普天間移設はやめる話になっている」と。この点に関して、防衛省の「釈明」文書には言及がない。防衛大臣は「自分は聞いていない」と言うだけでなく、本来ならばもっと「不快感」を示すべきところだった。残念ながら、この大臣には問題の重大性に対する認識や自覚がまったく感じられない。

実は、指定職給与を食む「高給官僚」たちの間では、辺野古「移設」断念を見越して、普天間固定化が狙われているのではないか。沖縄を無視するだけでなく、政治家を無視して、着地点を勝手に決めているわけである。それを、指定職になってまもないこの人物は、記者に対して「どや顔」で語ってしまったというわけか。

「世界一危険な基地」の固定化は許されない。2003年11月、ラムズフェルド米国防長官(当時)でさえ、ヘリコプターで普天間基地を上空から視察した際、「こんな所で事故が起きない方が不思議だ」と安全面への強い懸念を示したとされている(『毎日新聞』2004年2月13日付)。米国内にも在沖海兵隊不要論が出ており、普天間飛行場は「最低でも県外」(鳩山由紀夫元首相)、さらに言えば「圏外」移設でなければならない。

下記は『沖縄タイムス』の依頼により、この件が全国紙に出た翌日早朝に執筆したものである。仕事がたて込んでいたのでお断りしようとも思ったが、熱心な依頼だったので受けることにした。なお、掲載されたのは、この問題に関する連載記事の5回目(最終回)で、12月6日付である。すでにさまざまなところで論じられているので、やや古くなった感もあるが、問題発覚直後の生々しい一文ということで、記録としてここに残しておくことにしたい。

(以上、12月3日脱稿)

緊急寄稿「連鎖する差別――田中発言の裏側(5)」
根底に県民見下す発想

水島朝穂 早稲田大学法学学術院教授

なぜ非公式懇談会の場で話したことが記事になるのか。これを報じた琉球新報はオフレコ取材における「信義」を欠くものだ。「酒席の戯れ言」を針小棒大に伝える沖縄メディアは信用できない。そういう空気が本土にないとは言えない。だが、相手は単なる私人ではない。基地移設先の環境影響評価書策定の実務責任者であり、その発言の公共性は高い。
   新聞協会は「国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材は慎むべきだ」としている。しかも、発言には、辺野古移設に関わる、県民・国民が知るべき重大な内容が含まれている。取材手法に問題は残るが、それは、国 民の「知る権利」に奉仕する報道機関の使命との関わりで判断されるべきだろう。

言葉というのは、誰が、誰に対して、どのようなタイミングで発せられるかによって変わってくる。私は、この局長発言は、10月における一連の閣僚・与党幹部による「沖縄説得活動」の一環、その最も筋の悪いものにすぎないと考えている。

玄葉光一郎外相は訪沖前に「踏まれても蹴られても」という言葉を使い、沖縄を怒らせた。また、北沢俊美前防衛相は、県知事に面と向かって「どんな困難があってもやり抜く」と言った。本土ではほとんど注目されなかったが、この発言は沖縄では、「あなたがどんなに反対しようとも、我々はやりますよ」という「恫喝」と受け取られた(10月15日付沖縄タイムス社説)。局長発言はその延長線上にある。

11月29日夜に防衛省が公表した釈明には、「犯す」とは言っておらず、「やる」と言ったのだとある。「やる」は、状況によっては「殺る」とも聞こえる物騒な言葉である。環境影響評価書提出がなぜ「やる」なのか。辺野古の自然を破壊し、騒音と危険のかたまり「オスプレイ」の基地化により住民に新たな苦痛を強いるからこそ、「やる」という言葉を使ったのではないか。
   沖縄と県民を女性、あるいは弱者として見下す発想がなければ、こんな言葉は使えない。事実、この局長は問題の発言に続いて、「400年前の薩摩藩の侵攻のときは、琉球に軍がいなかったから攻められた。『基地のない平和な島』はあり得ない。沖縄が弱いからだ」と述べている。沖縄の誇るべきアジアとの平和的交流と「命こそ宝」の歴史と伝統への冒涜ではないか。

普通の民主主義国家であれば、その地域全体が反対している所に政府が基地を「移設」することは考えられない。政府間合意が成立しているといっても、その合意の見直しを求めて交渉するのが筋である。
   米国に対しては何も言わず、沖縄にだけ賛成するよう「説得」を繰り返す。一体、どこの国の政府なのだろう。日本国外相なら、自国民たる沖縄県民の意を受けて、米国に「踏まれても蹴られても」交渉を続けるべきではないか。

『沖縄タイムス』2011年12月6日付掲載

〈付記〉12月9日、参議院で一川防衛相に対する問責決議案が可決された。なお、写真は読谷村役場(2010年8月水島撮影)と、本部町備瀬の海(2011年5月水島ゼミ生撮影)、恩納村・万座毛の夕日と米軍ヘリ(同)である。

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