昨年の12月29日。仕事場で原稿書きをしていた。朝10時、「ながら音楽」のつもりでNHK-FMのスイッチを入れた。その瞬間、ブルックナーの交響曲第7 番ホ長調の第1楽章冒頭の主題が流れてきた。「この演奏、もしや…」と思ったところで、女性司会者の声が入った。「今日は一日○○三昧。本日は朝比奈隆さんです」。えっ、エッ、えーっ、と声をあげないで、そのまま11時間、外出もせずに聴いてしまった。かつて私は新幹線で大阪まで行って大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴くほどの朝比奈隆ファンであった。この日が没後10周年という自覚がまったくなかったのは迂闊だった。でも、たまたまFM放送をかけた瞬間、朝比奈のブルックナーが流れてきたので、これは運がいいと思った。
朝比奈隆といっても、クラシック音楽に関心のない方はご存じないと思う。ブレイクしたのは70歳代になってからという「遅咲き」タイプなので、クラシックファンのなかでも必ずしもポピュラーというわけではない。そこで、新年最初の「雑談」シリーズ「音楽よもやま話」の17回目は、この朝比奈隆没後10年の年末番組について語ることにしよう。
朝比奈隆は1908年7月9日生まれ。2001年12月29日、93歳で死去した。在外研究中にファンになったギュンター・ヴァント(ケルン放送交響楽団)も続けて逝ってしまったので、ショックが大きかったのを覚えている。
番組は、山田美也子さんの司会、音楽評論家の片山杜秀氏の解説で進行していく。片山氏は1963年生まれで、中学生の頃、朝比奈のブルックナー・コンサートに通ったというから、大学院生だった私と同じ会場で聴いていた可能性は高い。
さて、演奏の方は、ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調の第3楽章から始まった。2000年12月20日の、亡くなる1 年前の、最後の第9演奏会のライブである。ここまでゆったりした3楽章は滅多にない。
おしゃべりといろいろな曲の触りが紹介され、昼前からは、ブルックナーの歴史的な演奏が放送された。これはうれしかった。1975年のザンクト・フローリアン修道院における朝比奈・大阪フィル、ブルックナーの交響曲第7番第2楽章。第3楽章との間に、5時を告げる鐘の音が入っている。放送ではそれも流された。心にしみ入る演奏だった(なお、この日夕方には、その第3楽章も演奏)。
番組の片山解説によると、この日(12月29日)には作曲家の山田耕作も死んでいる。こちらは没後46周年だそうである。山田耕作は「日本人には交響曲の演奏は無理だ」といったのに対して、朝比奈はあえてベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲を演奏し、その全集を何度も録音してきた。日本人指揮者とオーケストラで、ヨーロッパでも通用する演奏をやってみせたのである。その意味で、「12月29日」というのは象徴的な日だと片山氏はいう。なるほどと思った。
この日午後にかけて演奏された主な曲目は、ベートーヴェン「コリオラン序曲」、交響曲第7番イ長調第4楽章、ブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調第1、3楽章(ピアノ・伊藤恵)。共演者がゲスト出演して、朝比奈との思い出を語っていくという趣向で、飽きさせない。
14時半過ぎからは、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のライブ録音の全曲演奏が行われた。1993年に「FMシンフォニーホール」という番組のために収録したのだが、朝比奈の演奏は63分もかかった。番組の時間枠は60分のため、放送が見送られたという幻の演奏である。まさかベートーヴェンの3番が1時間を超えるとは思わなかったのだろう。3分どこかを削るわけにもいかず、お蔵入りになったようである。そのテープが今回初めて放送されたわけである。聴いてみて、確かにテンポは遅いのだが、無理に引き延ばしているような感じはしない。どこまでも自然だった。
番組のなかでは、晩年の朝比奈へのインタビューも紹介された。朝比奈は、最終的にベートーヴェンのスコア(総譜)にもどるということを強調した。彼は京都帝国大学法学部と文学部を卒業している。憲法や法律の条文はそこに厳然として存在しているが、学者によって解釈が異なる。ベートーヴェンのスコアも完璧にそこにあるけれど、演奏家がそれをどう解釈するかで、演奏家の全人格、全教養が問われるという。何とも含蓄深い言葉である。
続いてマーラーの交響曲第3番ニ短調の第1楽章を聴いた。朝比奈はマーラーの9曲ある交響曲(未完の10番を除く)のうち、2番から9番までと、交響詩「大地の歌」は演奏したが、有名な第1番ニ長調「巨人」だけは決して演奏しなかったという。このことは番組のなかで初めて知ったのだが、「マーラーの歌曲をいろいろと寄せ集めただけで、これは交響曲ではない」といって朝比奈は演奏しなかったそうである。「巨人」というタイトルで、マーラーの交響曲では最もポビュラーで、しばしば演奏される曲にもかかわらず、である。いかにも頑固な朝比奈らしいエピソードであり、納得した。
16時半過ぎから、いよいよメインディッシュである。ブルックナーの交響曲第8番ハ短調。2001年7月23日の大阪フィルのライブ(サントリーホール)。亡くなる5カ月前の演奏である。全4楽章、87分。たっぷり堪能した。
精神的深みと鳴り物が結合したのがブルックナー。レスピーギなどのような、鳴り物だけの表面的なものとは異なる。朝比奈は毎回、ブルックナーのスコアを読み込んでいった。例えば、マーラーのスコアは作曲者の指示がたくさん書き込んであって、言わば「注釈付きの法律条文」になっているのに対して、ベートーヴェンとブルックナーは法律の条文そのもので、解釈は指揮者にすべて委ねられている。だから、朝比奈はスコアを深く読み込んで演奏していけるこの二人の作曲家を晩年、最後まで演奏し続けた。
片山氏の解説は饒舌で、なかなか面白かった。憲法や法律への例えが何度も出てきたので、うまい例えだなと思ったら、肩書を見ると慶応大学法学部准教授とあるので、納得した。
チャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調の第2楽章。これは朝比奈隆最後の演奏会となった2001年10月24日のライブ録音である。60年以上前、朝比奈の指揮者デビューの際の曲がこれだったそうである。
この日夜7時過ぎからは、ちょうどその時間に大阪市内のザ・シンフォニーホールで行われた大阪フィルのコンサートの生中継だった。ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調。朝比奈は54年間にわたり指揮してきた大阪フィルで、年末は必ずこの曲をやってきた。今夜の指揮は、「朝比奈隆とは、すべての点で似ていない指揮者」(片山氏)の大植英次氏。きわめて明快で、メリハリのきいたパワフルな演奏だった。朝比奈の骨太でやや荒っぽい、渋みのある演奏とは異なり、まさに現代的演奏と言えるだろう。橋下徹市政のもと、「無駄」の一つとされ、リストラも予告されている大阪フィルは、この指揮者のもとで存続・発展していくことを祈りたい。
番組では次いで、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」第2楽章。これは朝比奈が、1947年に大阪フィルの前身、関西交響楽団を初めて指揮したときのプログラムの一つだそうである。そして、朝比奈が、自分が死んだらこの曲で送ってほしいと依頼していたベートーヴェン交響曲第7番イ長調の第2楽章をラストに持ってきた。彼の「究極のながら音楽」はこの曲だったのだと、初めて知った。
年末の朝から夜までほぼ11時間(途中でニュース・天気予報の中断あり)、「今日は一日朝比奈三昧」を楽しませてもらった。原稿書きの「ながら音楽」のつもりだったが、筆をピタリと止めてしまう迫真の演奏が多く、原稿はあまりはかどらなかった(汗)。仕事場ではもっぱらレコードや、父が残した80年代のFMクラッシックコンサートのカセットテープを聴いているが、この日は11時間もNHKを聴いてしまった。我ながら新記録である。
ちなみに、私は朝比奈隆が会長を勤めた日本ブルックナー協会の会員である(あった)。会員番号は505番。だが、この協会はすでに存在しない。冒頭の写真は会員証の表面である。こちらの写真はその裏面である。「昭和61年」という有効期限も、とっくに切れている。すでに「歴史グッズ」である。だが、この27年間、ずっと名刺入れのなかに入れてきた。これからも入れておくことになるだろう。朝比奈隆没後10周年の日、思い出して名刺入れから取り出し、携帯のカメラで撮影した。